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NON STYLE

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NON STYLE
メンバー 井上裕介
石田明
別名 ノンスタ
結成年 2000年
事務所 よしもとクリエイティブ・エージェンシー
活動時期 2000年 -
出身 baseよしもとオーディション
出会い 中学校時代
現在の活動状況 テレビ・ライブなど
芸種 漫才コント
ネタ作成者 石田明
現在の代表番組 このへん!!トラベラー
よしもとオンライン
過去の代表番組 NON STYLEのフリースタイル!!
ありがとう〜お仕事はNON STYLE〜
こちらかきくけ公園前
音笑! MMM
ウェルカムTVなど
同期 オードリー
ダイアン
キングコング
中山功太など
受賞歴
2004年 MBS新世代漫才アワード準優勝
2005年 ABCお笑い新人グランプリ審査員特別賞
2005年 MBS新世代漫才アワード準優勝
2006年 上方漫才大賞優秀新人賞
2006年 MBS新世代漫才アワード優勝
2006年 NHK新人演芸大賞演芸部門大賞
2006年上方お笑い大賞最優秀新人賞
2007年 爆笑オンエアバトル第9代チャンピオン
2008年 M-1グランプリ優勝
2009年 M-1グランプリ3位 (敗者復活枠)
2010年 S-1バトル優勝
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NON STYLE(ノン・スタイル)は、石田明と井上裕介の2人による漫才コンビ。所属事務所吉本興業よしもとクリエイティブ・エージェンシー)東京本部。2000年5月14日結成しオーディションを受けてbaseよしもとに入る。

爆笑オンエアバトル第9代目チャンピオン。2008年M-1グランプリ王者。

メンバー

石田 明(いしだ あきら、1980年2月20日 - )

ボケ・ネタ作り担当。身長173cm、大阪府立東淀川高等学校卒。
立ち位置は左。血液型はB型大阪府大阪市出身。全身白の衣装を着用することが多い。ツッコミの井上がイケメンを自称しナルシストになりきる場面ではツッコミ役になる。

井上 裕介(いのうえ ゆうすけ、1980年3月1日 - )

ツッコミ、担当。自称イケメン。イケメンを自称する際はボケ役になる。身長163cm[1](公称165cm)、神戸学院大学経済学部卒。
立ち位置は右。血液型はA型大阪府大阪市出身。ジャケットの下にタンクトップの衣装を着用することが多い。

来歴

元々2人は同じ中学・高校に通っていた。高校で仲良くなったふたりは遊びで漫才やコントをしたことがきっかけとなり、井上が大学に落ちたら一緒にNSCへ行こうという話をしていた。しかし井上は大学へ合格し進学。石田は(父親が板前なため)板前として就職することに。

石田は板前修業をしていた2年の間に、高校時代の友人ふたりに誘われ「ほりごたつ」というトリオで心斎橋筋2丁目劇場のWachachaブレイクに一度だけ出演した。トリオを解散した石田は、1人でストリートでコントなどをしようと考えていた。一方井上は、大学でパンクバンドを組んでいたが解散し、ストリートミュージシャンになろうとしていた。

石田の現状を知った井上から「俺がギターを弾くからお前がベースを弾け。合間に漫才をしよう」と誘いを受け、正式に「NON STYLE」が結成された。しかし路上での漫才中、酔っ払いの男に漫才について2時間も説教をされ、男を見返すために漫才だけに絞った。今では漫才の大会で優勝を何回もしているため、「その男の人に感謝をしている」。

プロになる前は神戸・三宮駅付近の路上で漫才を行っていた。ときにはチュートリアル徳井が2人の漫才を見に来ていたという。また、この路上では後にデビューするコブクロもライブをしていた。

2000年5月14日にbaseよしもとのオーディションに受かりプロデビュー。吉本興業に入る前の数ヶ月間は、大阪の小さなプロダクション(ケーエープロダクション)の研修生だった。

オーディション組だが、大阪NSC22期生(ダイアンミサイルマンネゴシックス中山功太キングコングなど)、東京NSC5期生(大西ライオン三瓶平成ノブシコブシピース5GAPラフ・コントロールなど)と同期になる。他の事務所だと、オードリー鳥居みゆきが同期になる。

爆笑オンエアバトル』の前説を行った時にスタッフから「次の週か、次の次の週に出場できる。」と告げられていたが、出場は5年後になった。

2006年、第4回MBS新世代漫才アワードで優勝し、同年末に初冠番組『NON STYLEのフリースタイル!!』が放送された。2007年までにお笑いの新人賞6冠を獲得、baseよしもとのトップ組に昇格するなどして活躍。

爆笑オンエアバトル』では、チャンピオン大会を含めた全ての挑戦で上位5位以内をキープしている。尚、チャンピオン大会に出場経験があり、且つ挑戦回数が4回(通常のチャンピオン大会出場基準)以上の芸人に限定すると、(爆笑オンエアバトル終了時)までにこの記録を達成しているのはますだおかだ、NON STYLE、しんのすけとシャンの3組のみ。 また、全戦全勝(4連勝以上)に限定するとNON STYLEは唯一1度も400KBを下回った事がない。


2008年4月6日をもって、8年間所属していたbaseよしもとを卒業し、東京進出。メンバー共に東京に住居を構え、以降は、京橋花月ルミネtheよしもと等で活動している。

2008年12月21日、第8回『M-1グランプリ』(テレビ朝日系列)に決勝進出。9組目のオードリーまで暫定1位を保持し(ただしオードリーは敗者復活枠)、最終決戦で審査員7人中5票を獲得して優勝を果たした。『爆笑オンエアバトル(チャンピオン大会)』と『M-1グランプリ』の両方で優勝したのはアンタッチャブル以来2組目。ちなみに、NSC卒業生ではない、俗に言う「オーディション組」からの優勝者は彼らが初であり、また彼らは優勝当時二人とも芸歴8年7ヶ月という、M-1グランプリで優勝を納めたコンビの中では最も芸歴が浅い芸人であった[2]

2009年、第9回M-1グランプリに連覇を目指し出場することを表明。歴代王者が再び出場するのは、第3回王者フットボールアワー以来となり、優勝者が翌年も出場するのはM-1史上初だったが、準決勝敗退。その後敗者復活戦から勝ち上がり決勝進出。ファーストラウンドで3位を獲得し、2年連続最終決戦進出を果たしたが、結果は3位だった。余談だが、2004年度M-1王者のアンタッチャブル・山崎弘也はラジオ番組『アンタッチャブルのシカゴマンゴ[3]において、間隔を空けて出場したフットボールアワーと比較した上で前年王者の再出場に苦言を呈している(ただし、M-1のルール上は特に問題ない)。逆に、サンドウィッチマンはM-12009終了直後のよしもとオンラインで「自分達は(連覇を狙う)勇気がないから凄い」と賞賛している。

2009年11月25日には初の書籍『HON STYLE〜こんな感じで、本出しちゃっていいんですか!?〜』が発売された。

2010年10月の時点で最も多く賞金を獲得したコンビ(M-1グランプリチャンピオン、S-1バトル月間チャンピオン、S-1バトルグランドチャンピオン総計して1億2千万円)。

2010年12月23日には、S-1バトルのグランドチャンピオンで獲得した賞金1億円を使用し、埼玉スーパーアリーナにてお笑いライブでは過去最大規模となる1万2千人を収容して「NON STYLE NON COIN LIVE in さいたまスーパーアリーナ」を無料開催した。

芸風

前述の通り、2007年までにお笑いの新人賞6冠を獲得しており、「若手屈指の実力派漫才師」と称される。

スピード感のある話術やテンポの良さを重視し、ボケの石田の動きに全て井上がツッコミを入れていくスタイルのコント漫才が主流。2007年までは「イキリ漫才」と呼ばれるスタイルをとっており、『爆笑オンエアバトル』優勝時のネタも「イキリ漫才」だった。

  • 登場直後、石田が自分の口上にツッコまれた後に、井上のトレードマークであるスーツの下のタンクトップをイジり返してからネタに入ることが多い。
  • 漫才の始め(上のやりとりの後がほとんど)、石田が井上を「お前はイキってる」といじる。その直後に会場の客席に「あ、皆さんイキりって分かります? 関西の方言で、かっこをつけている、調子にのっている、イライラする、なおかつ気持ち悪い、まじ生理的に無理、を合わせた言葉なんです」と解説する(一部「キザ」などの一語が加わる場合もある)。

主なネタとして「お化け屋敷でのデート」、「恋人の振り方」、「親友への恋人の譲り方」など、女性を口説いたり、恋愛に関するものが多い。他にも、「火事」や「人命救助」、「みねうち」などがある。主に井上が話を進めるが、石田が鼻であしらう態度をとるというのが多い。ただし、井上自身が途中からその世界に陶酔して、数分間芝居を続けるというネタもある。

2008年以降は「石田がボケた後井上が突っ込み、さらに自分自身の右太ももあたりをグーで殴り自省するのを井上が突っ込む」というスタイルの漫才に変更し、テンポがさらに速くなった。この変更について石田は、2007年までのM-1グランプリでは準決勝までしか進めなかったことを受けて「今の漫才の形ではこの先は無い(と思ったから)」と語っている。[4]また、雑誌のインタビューでは「ネタ合わせの時に試しに入れたら、井上がそれで笑ったんで」とも語っている。また優勝後しばらくして、漫才ではこのスタイルを封印している様子。

ただし『エンタの神様』などでネタを披露する際に、イキリ漫才のスタイルが残るネタはあった。また、ダイノジ大地のよしもとオンラインでの発言によると、東京では「イキリ」という言葉が通じないため、説明を行うことでの時間の浪費を抑えるためという。

ネタ作りは主に石田が担当している。ネタ帳にはルーズリーフを使用し、これまで書いたものを全部積み上げると電子レンジ2台分ぐらいの高さになるという。ちなみに、二人とも即興性を好むということもあり、ツッコミの大半は井上がアドリブで作っている[5]。また、ネタの完成度を高めているのも井上であり、「石田が書いた台本を井上に見せずにネタをやる」→「台本を見せてからやる」→「その日の晩、電話で井上にネタの確認をする」という流れでツッコミを考えると共にネタの完成度を高めている。ちなみに「電話でネタのおさらいをさせる」理由は、一番に出てくる事柄ほど印象深いわけであるため、どこのボケが印象深いのかを探るためらしい[6]

また、コントをすることもあり、その場合、「ブサイクなのに格好をつける井上に対して、石田がイライラして心の声で悪口を言い続ける」というもの[7]や、少しメルヘンチックなキャラが登場するもの(例:「チェリー」、「同棲(モスキーニョ)」、「指」など[8])が主。

  • ちなみにS-1グランプリではVTRではあるもののコントを披露[9]して優勝しており、コントの実力も高い。

前述の通り、二人とも即興性を好むということもあり、新ネタ以外は事前のネタ合わせを一切せず、舞台に立ちしゃべり始めた内容で決める。アドリブも多く用いる。

  • 出囃子はKEMURIの『prayer』。

エピソード

  • 前向きな井上と内向的で気の弱い石田の性格は正反対で、二人の関係は「井上がNON STYLEの社長で、石田が従業員(下請け)である」と本人たちが述べている。
  • 結成当初は淀川の河川敷でネタ合わせをしていたため、石田はコンビ名の候補に「淀川ピーナッツ」を提案するも、井上はダサいという理由から却下し[10]、「コンビ名に“ん”が入っていると売れる」と言う験担ぎという理由と、当時横文字のコンビが少なかった事をふまえて“型にはまらず自分らしく”(後付け)という意味から「NON STYLE」と命名した。[11]
  • 路上での漫才が口コミで評判を呼び徳井義実チュートリアル)と八木真澄サバンナ)が見学に来たことがある。
  • 中学時代、出席番号1番が石田で、出席番号2番が井上だった。しかし中学時代はほとんど喋ったことがなかったという。また当時は石田の方が身長が低かった。
  • 中学時代、修学旅行のバスの中がカラオケで盛り上がっていたとき、歌が苦手な石田に順番がまわってきたが、流行の曲を知らず親の影響で『ロンリーチャップリン』の男性ボーカル部分だけを仕方なく歌うが、案の定バスの中は気まずい雰囲気になってしまった。そのとき女性ボーカル部分を歌いデュエットしたのが「当時まだそんなに仲良くなかった」井上だった。石田曰く「優しい人もおるんやなぁと思ったけど、やっぱり歌い方はイキっていた」。[12]
  • 高校時代、井上は新大阪駅構内のカレー屋でアルバイトをしており、また駅構内の他のお店でアルバイトをしていた女の子が好きだった石田は、よく井上のバイト先に愚痴を言いに遊びに行っていた。ちなみに石田も駅構内でアルバイトをしようと面接に行ったが、当時声が小さく初対面の人とうまくしゃべれなかったり、目に覇気が感じられないとすべてのお店の面接に落ちたという。[13]
  • 2008年3月頃に井上の提案による東京進出を巡り、大ゲンカになったことがある。解散話にまで発展したが今では無効に。石田曰く「寧ろ東京に来てからしっかり話し合うようになった」と結束がより強まる結果となった。
  • 上京から半年後テレビでのレギュラー番組はゼロになったが、石田は「暇だったが逆にネタを作れる時間ができたので、何も文句はなかった」。またこの夏に「M-1グランプリで優勝したいんですツアー」を敢行し「優勝しなかったら恥ずかしい思いをするのは自分なので、敢えて崖っぷちに追い込んだ」と井上は振り返っている。[14]
  • 2008年M-1グランプリ優勝会見では、記者の「優勝したのは誰のおかげだと思いますか?」という質問に対し、井上は「いろいろアドバイスをくださった先輩方」、石田は「まだネタが出来ていない内から今年のM-1は優勝しますと宣言して、僕を引っ張ってくれた井上」にそれぞれ感謝していた。
  • 2012年THE MANZAI2012に出場。認定漫才師50組に選ばれる。

石田明

  • NON STYLEを組む前は高校の同級生と「ほりごたつ」というトリオで活動。心斎橋2丁目劇場などで活動していた。解散後は「ジャッジメント石田」と名乗り、ピン芸人をしていたが、井上に誘われNON STYLEを結成。
  • 全身白の衣装のきっかけは井上に「ボケやったらもっと明るい色を着てこい」と言われた為。只、そもそもオシャレで通っていた石田にとって、明るい色を着るのにかなりかなり抵抗があり、しかもそれが相方に言われた為納得せず、反抗心から全身白にした[15]と言う経緯がある。衣装はネクタイ、シャツ、パンツ、靴、ベルトを毎回変えているが、本人曰く「誰にも気づかれない」。レディースブランドのパンツを着用している事があり、研ナオコから「私のズボンを履けるのはあなただけです。」という手紙と共に白いパンツを贈られた。元々は白ネクタイであったが、2009年8月頃から「かわいく見えるように」という理由で、白の蝶ネクタイを着用している。白ネクタイを外したきっかけは、山崎弘也(ザキヤマ)とレギュラーが一緒であったが、座る仕事であったためズボンが見えず、ダダ被りをしてしまい、『コザキヤマ』とネット上で書かれているのを見てしまい、被るということを嫌う芸人にとってショックが大きかったため[15]、一時ネクタイを取って漫才をやっており、蝶ネクタイをつけ始めたのは、上記以外に元々ネクタイをしていたため、首に違和感が残った為。
  • スレンダーな体型を活かし「しんにょう」「りっしんべん」「おんなへん」「いとへん」「ぎょうにんべん」など、体で部首をあらわすネタを持っている。
  • 西野亮廣キングコング)とは大阪時代から仲がよく、たまに親友という表現を使うほど腐れ縁で、ある日西野が蕎麦屋から出てくると偶然隣りのカレー屋から石田が出てきて、並んで一緒に帰ったこともある。[16]また現在も近所に住んでおり、度々遊んだり、飲みに行ったりしている。
  • 内向的で根暗な性格で同期のピース綾部祐二からは「もっと人を信じなきゃダメ」「実力は芸人向きだけど性格は不向き」と言われている。
  • 閉所恐怖症でありフルフェイスのヘルメットが被れない。また番組の企画で潜水をした際、過呼吸に陥った。
  • 重度の神経過敏や不安症な面もある。寝床につく時に呼吸の仕方がわからなくなり、メトロノームに合わせて呼吸をしていた事を吉田敬ブラックマヨネーズ)に相談していた。
  • 東京進出してから芸人をやめたいと思うようになり、キングコング・西野と飲んでる時に「芸人をやめる」と打ち明けたところ、西野は「やめるな」と励ましてくれたがそれでも嫌になって居酒屋を飛び出してしまった。その後、西野も追いかけてきたが石田にかけた言葉が「井上、やめんな!」だった。[17]
  • M-1グランプリ以前から、分不相応な車を所持していたせいで借金が400万円以上あったため、賞金500万円のほとんどを借金返済に充てねばならなかった。本人曰く「自分を追いつめないとがんばれない子」。
  • 演歌歌手のジェロと親交があり、ジェロを通じて藤あや子坂本冬美とも交流している[18]
  • 趣味は読書、紙粘土と、井上に悪戯を仕掛ける事(鞄に大量の飴やプルタブを詰める、私服の靴の先にバカと書いた紙コップを詰める、楽屋の弁当を一口食べる、衣装の袖を固結びする、井上が楽しみにして買ったベビースターを粉々に砕いた、寝ている井上の股間にコーラをかけて起こす等。S-1バトルでも「石田の暇つぶし」というタイトルで悪戯を仕掛ける様子の映像を披露した)、ブーメラン(一度海辺でブーメランを投げていたときブーメランが海に落ち取りに海へ入ったところ近くにいた不良に「死ぬな~」と叫ばれたらしい。)[19]。石田曰く「ブーメランの魅力は人は行ったら帰ってこないが、ブーメランは行ってもちゃんと返ってくること。」[20]
  • ペットにオカヤドカリ15匹とクリオネ、食用目的で購入したヤシガニを1匹だけ飼っている。
  • 家には玩具がたくさんある。
  • 酔った井上が泣き出すとすぐに写メを撮る。
  • トータルテンボスの野球チーム「アフロモンキーズ」の一員。だが一度も試合に参加していない。
  • 酒好きにして酒豪。酔うと気が大きくなる節があり、以前酔った際白い服を着ていた井上に「白い服着んのやったら俺に許可とらんかい」と絡んだ。
  • 板前をしていた経験があり、料理の腕はかなりのものである。そのため,黄金伝説の「0円生活」において,対戦相手のブラックマヨネーズから「俺らは男の料理を食べているのに,あいつらだけ,料亭みたいな料理を食べている」と嫉妬されたことがある。
  • 猫等の動物の毛のアレルギー。
  • 2009年6月16日、大阪時代から長年交際していた相手がいたことが報道により判明した。本人も公式ブログなどで認めている。相手は大阪府在住の一般女性。
  • プロ野球は巨人のファンである[21]
  • 小学校から高校までの9年間、野球経験者[22]
  • 2009年7月12日から期間限定で、スポーツニッポン特別編集委員就任[22]
  • 吉本男前ランキング最高3位(2009年)。
  • 2008年の暮れ頃から10円ハゲができて、だんだん大きくなってきている。
  • LIVE STAND 09のPRのために結成された「ライブスタンドボーイズ」の一員である。
  • 実家が貧しく食生活に恵まれなかったため、骨年齢が72歳と判定され、血管年齢は73歳と判定されている。それ故に虚弱なエピソードが豊富であり、井上には「骨折名人」と言われている[23]
    • スキップをしたら足の指を骨折。デコピンをしたら中指を複雑骨折。医者からシッペを止められている。ボールを投げて腕を螺旋骨折。相方、井上のツッコミにより、肩を脱臼など。
    • 病院の食事で痛風になったことがある。蛍光灯で日射病になったこともある。
    • タバコを吸ったら風邪をひく。手を洗うと指先から流血することがある。
    • 野球をしているとき、ボールを投げただけで腕を螺旋骨折した。螺旋骨折した右腕は、16本の金属のプレートとボルトで補強しているため、電磁波や静電気に過剰反応してしまう。
  • エレベーターに閉じ込められたことがある。ネタ「エレベーター」はこの石田の実体験から出来ている。
  • 2010年6月16日の麒麟のよしもとオンラインにゲスト出演時、スーパーファミコン以来ゲーム機を使用していないことを明らかにした。(コントローラがコードレスであること、ボタンの多さに驚いていた)同時に左手首にヒビが入っていることを公表した。(病院に行ったこともブログで明らかにした)
  • 相方、レギュラーの共演者との所持品のかぶりは、極端に嫌う傾向にある。(携帯電話の機種のかぶりがわかった時、発売時期は同様の他社メーカーに変更したほどである。服装では、パーカー、サロペットなどのかぶりがあった)
  • 彼女にプレゼントをしすぎて150万の借金をしたことがある。
  • オールスター感謝祭2010秋のミニマラソンで5位入賞
  • 21歳の時に受けてもいないバイトの不合格通知が届いた事がある。
  • あだ名は三色リコーダーだった。(貧乏でリコーダーを買ってもらえず、捨てられていたリコーダーのパーツを拾い集めてつなげたため三色になった。)
  • 実家に帰ると兄から突然「借金苦で自己破産する」と相談された。少しでも助けになろうと、石田が借金が幾らあるのか聞くと「6万円」と言われた。唖然とした石田はM-1で優勝したのもあって、「返さなくていい」と10万円を兄に渡した。数ヵ月後に再び実家に帰ると、兄が借金を返さずにチワワを3匹購入していた
  • タコの密漁でつかまりかけたことがある。
  • 2012年10月9日に一般女性と、10月2日に結婚していたことを発表。
  • ちなみに、一番好きな嫁の手料理は「ふきの煮びたし」
  • 白い衣装になったのは、相方の井上に「ボケなんだから明るい色を着ろ」と言われたが納得がいかなかったため、反抗心から全身真っ白な衣装にしたためである。その後アンタッチャブル山崎弘也とレギュラーが一緒になり、その仕事が座る仕事だったためズボンが見えず、山崎と完全に衣装が被ったことでネット上で『コザキヤマ』と呼ばれてしまったため、ネクタイを蝶ネクタイに変えたりしている。[24]

井上裕介

  • 素なのか、キャラなのかは不明だが何かとカッコをつけている。いわゆる『イキリキャラ』で、常にジャケットの下にタンクトップを着ている。衣装でありネタのひとつでもある。ネタや漫才では「イキリスト」と称されることも。
  • 前述のキャラから、「鳥肌製造器」や「無免許ナルシスト」というニックネームでいじられることがある。また、その他にも、ネット上では、漫才「野球」の中で登場した「イノエル」という呼び方でも親しまれている。
  • 決めポーズとして、親指と人差し指・中指の3本の指で物をつまみ上げるようなしぐさをした手を顔の横に添える事が多々ある。このポーズは本人曰く「夜空に無限にある星空をひと掴みしている」と言う。
  • 脚が非常に短いことをネタやトークで石田にからかわれることがある。ちなみに井上の脚の長さより、石田の腕の長さの方が長い。長座体前屈では上体をほぼ曲げずに手がつま先に届くが、立って前屈をすると届かない。
  • 同性愛者に非常に好かれやすく、このへん!!トラベラー大阪編でゲイバーやオカマバーに訪れると必ず大多数に好みのタイプに選ばれる。
  • 慢性気管支炎のため、2008年M-1決勝の1週間前に声が出なくなった。声帯を完治させるには1ヶ月は喋らないようにと診断されるも、当日までにはちゃんと声が出るように。しかし優勝後立て続けに忘年会やパーティに参加した為、治りかけたのに悪化させてしまいその後1ヶ月咳が止まらなかった。
  • チョコレート、リアルな怖い話、ジェットコースターが苦手。阪神タイガースのファン。
  • 自身は甘い物が苦手と言うが、石田曰く「よく食べている」らしい。
  • 高所恐怖症のため、アトラクションのある番組では高い所でのアトラクションを全て石田に任せている。
  • 酔うと泣き上戸になる節があり、R-1ぐらんぷりで準決勝に残った石田に「準決勝おめでとう。もし優勝しても俺のこと捨てんとってな」と泣きながら訴えた。しかしそのエントリー用紙を用意してR-1に出場させたのは井上自身である。
  • 少し天然ボケなところがあり、前述の石田のいたずらに気づかないことがあり、そのことはよくトークのネタにされる。例としては、「石田から『非通知で携帯に電話をかけ続ける』というイタズラをしかけられた時、石田の仕業と気づかずに、携帯の機種変更までしてしまったことがあり、その後、とりあえず石田にだけ新しい番号を教えたが、石田がまだそのイタズラを続けたため、井上は『盗聴器が・・・どこかに盗聴器が・・・』と大騒ぎした。」ことなどがある[25]
  • 2006・2007・2008年の吉本陸上競技会の走り高跳びの部で、実際の協議会では反則であるがベリーロールを両足で頭から前に飛ぶ技を使って優勝。
  • 元バスケットボール部で、現在も吉本のチームでプレーをすることがある。
  • 先輩である西川晃啓レギュラー)、宇治原史規(ロザン)、小杉竜一ブラックマヨネーズ)、毛利大亮(ギャロップ)と親交がある。
  • 麒麟田村裕を実家に招待したところ、あまりの部屋の狭さに驚愕され、実はキャラにない貧乏であることを暴露された。
  • 小学生の時2tトラックに轢かれた事があるが、ランドセルがクッションになり事なきを得た。
  • 自宅の玄関には受賞してきたトロフィーを飾っている。
  • 藤原一裕ライセンス)の野球チーム「のりのりのりをーズ」の一員。ではあるが、ブログのパスワードも教えてもらっておらず練習に参加したこともない。
  • 吉本男前ランキング最高8位(2009年)。ブサイクランキング1位。(2012年、ちなみにこの年の男前ランキングは10位と下位に落ちている)共にランキング入りするのは西野亮廣キングコング)以来である。そのせいでトーク番組ではブサイク呼ばわりされることもある。しかし、本人はブサイクの自覚は全くなく、プライベートで仲の良い西川晃啓レギュラー)やジェロには「俺に身長があと10cmあったら岡田くん(169cm)になるのに…」と呟いていたことを暴露されている[26]。また、この話を聞いた上田晋也に、「泉ちゃん、悪いけど隣にいるそいつ、グーで殴ってくれる?」と言われた。
  • ブサイクランキング1位に選ばれた要因は、イキリキャラやかっこつけなどのナルシストキャラクターをテレビ番組などで披露する機会が多くなっているためであると言われており、フットボールアワーは「『アンチ井上』が『井上を貶めてやろう』とブサイクランキングに井上の名前を載せている節もあるから、(岩尾の様な)純然たるブサイクとは言い切れない」と語っている。
  • 中学校の卒業写真を見た明石家さんまから、「お前蛭子さんそっくりやなぁ!これがお前の本当の姿や!」と言われるほど、蛭子能収そっくりだった[27]
  • 東京進出以来、標準語で話すことが多くなり、そのことをブラックマヨネーズなど関西出身の先輩芸人達から度々イジられている。本人いわく「東京弁のいいところを取り込んでいるだけ」。
  • 特技は「いのアタック」。これは自身のレギュラー番組である「激☆音ボケ」でゲスト嗣永桃子Berryz工房)の必殺技(「桃アタック」といい、相手の尻に自分の尻をぶつける、いわゆる尻相撲のようなもの)にその場で考えた「いのアタック」で勝ったことから。またその場で勝ってしまったことにより「必殺技になってしまい、ウィキペディアに書かれてしまう」という会話をしていた)。
  • 歌手Day of the legendとしても活躍をしており、M-1グランプリ2008のDVDの特典映像や「ジャイケルマクソン」の2010年6月30日放送分など、テレビ番組などでも歌を披露する機会があるが、その度に石田や他の出演者からツッコミを受けるのが恒例となっている。
  • ちなみに歌うまではこのイキリキャラが原因で1回戦落ちが多く,初勝利は石田のソロで歌った時であった。2010年8月17日放送の歌うまにおいては,明らかに相手(Wエンジン)よりも歌唱力はあり,また高音もキレイに出せて,完璧に歌い上げたというのに最後にイキリキャラを発動させて敗退したことがある。
  • ナルシストキャラを前面に出した次の日にブログが炎上することが日常茶飯事になっている。相方の石田には「ここまでブログ炎上してたら、そろそろ家が焼けるんちゃう?」と言われた。
  • ロンドンハーツでは芸人の嫁が好きな芸人ランキングにおいて最下位になったほか外国人が好きな芸人ランキングでは台湾人から「この人と結婚するとセンスが疑われる。」と言われたことがある、また司会の田村淳からは狩野英孝ゆってぃとならぶ勘違い芸人の烙印を押されている。
  • NON STYLE「NON COIN LIVE」のブログの動画にて「昔の髪型のほうがよっぽど、もてたわ」と発言している。
  • しゃべくり007では上田晋也からは奥ゆかしさがたりないといって数回殴りかかられた、また最後の退場でも投げキッスをしたため上田の反感を買い追いかけて殴ろうとしていた。
  • 井上の昔の彼女は姫路に住んでいて、毎日石田の車で送り迎えしていた。

歴史

ネタ

漫才

  • 料理
  • 料理番組
  • 野球
  • 無人島
  • 男同士の友情
  • 誕生日
  • 船長
  • 時代劇
  • 結婚式
  • 火事
  • 俺に勝とうなんか100年早い
  • 宇宙人
  • ヤンキーを更生させる先生
  • ホラー映画
  • ペット
  • バイク
  • 雨宿り
  • お化け屋敷
  • いじめ
  • 朝寝坊
  • 安心せえ、みねうちじゃ
  • 迷子
  • 待ち合わせ
  • かっこいい女性の振り方
  • 居酒屋
  • 事情聴取
  • 取り調べ
  • 痴漢
  • 子供の頃の遊び
  • BAR

出演番組

レギュラー

テレビ
Web
  • Yahoo!バラエティ「よしログ」月1回(28日周期)金曜日21:00-22:30 (2011年2月4日-)

レギュラー以外

過去の出演

テレビ
テレビドラマ
ラジオ
CM

Web

  • NON STYLE(ザ!!トラベラーズplus) モッテコ書店 (2010年05月25日)
  • かんたん!Cook STYLE(全4回)味の素Cook-Do ※Cook-Do 1グランプリに優勝
  • よしもとオンライン「NON STYLE パーティー」(Yahoo!バラエティ)(2008年12月25日-2010年12月24日)

PV

  • rhythmic「キミに伝えたくて」 石田のみ

受賞歴

  • 2004年 MBS新世代漫才アワード準優勝
  • 2005年 ABCお笑い新人グランプリ審査員特別賞
  • 2005年 MBS新世代漫才アワード準優勝
  • 2006年 上方漫才大賞優秀新人賞
  • 2006年 MBS新世代漫才アワード優勝
  • 2006年 NHK新人演芸大賞演芸部門大賞
  • 2006年上方お笑い大賞最優秀新人賞
  • 2007年 爆笑オンエアバトル第9代チャンピオン
  • 2008年 M-1グランプリ決勝 - 優勝
  • 2009年 M-1グランプリ決勝 - 3位 (敗者復活枠)
  • 2010年 S-1バトル優勝

雑誌

  • マンスリーよしもと
  • お笑いポポロ(2007年11月号 Vol.21 - 2009年8月号vol.28)
  • お笑いTVLIFE(Vol.1 - Vol.5)
  • Smart FACE 石田のみ
  • CACCO-E!
  • zipper石田のみ
  • 月刊バスケットボール(2009年4月号)
  • お笑い男子校
  • Popteen(2010年2月号)
  • 週刊オートスポーツ(2010年3月18日号)
  • お笑いハイブリッド

著書

  • 「HON STYLE〜こんな感じで、本出しちゃっていいんですか!?〜」(2009年、ワニブックス)

単独ライブ

  • 2003年
    • 9月28日 - 「ピクニック」(baseよしもと/大阪)
    • 11月17日 - 「クロワッサン」(baseよしもと/大阪)
  • 2004年
    • 1月17日 - 「ポメラニアン」(baseよしもと/大阪)
    • 3月1日 - 「ホットミルク」(baseよしもと/大阪)
    • 5月1日 - 「プラネタリウム」(baseよしもと/大阪)
    • 7月31日 - 「ベビーカステラ」(baseよしもと/大阪)
    • 9月25日 - 「クーピー」(baseよしもと/大阪)
  • 2005年
    • 1月26日 - 「N」(baseよしもと/大阪)
    • 2月26日 - 「ゲスティ」(baseよしもと/大阪) ※トークライブ
    • 3月23日 - 「N-2」(baseよしもと/大阪)
    • 5月13日 - 「N-3」(baseよしもと/大阪)
    • 8月4日 - 「タオルケット」(baseよしもと/大阪)
    • 11月20日 - 「MANZAI STYLE」(baseよしもと/大阪)
  • 2006年
    • 2月14日 - 「よりによって」(baseよしもと/大阪)
    • 3月1日 - 「伝説の始まり」(baseよしもと/大阪)井上はDay of the legendとして出演
    • 4月27日 - 「もしかして」(baseよしもと/大阪)
    • 6月29日 - 「なのになぜ」(baseよしもと/大阪)
    • 8月8日 - NON STYLE ゲストトーク LIVE(baseよしもと/大阪)
    • 8月22日 - NON STYLE ゲストトーク LIVE(baseよしもと/大阪)
    • 8月25日 - 「さらに」(baseよしもと/大阪)
    • 11月8日 - 「ネタ」(baseよしもと/大阪)
  • 2007年
    • 1月6日 - 「精神強化」(baseよしもと/大阪)トークライブ、石田のみ
    • 1月18日 - 「ネタ」(baseよしもと/大阪)
    • 3月8日 - 「精神強化」(baseよしもと/大阪)トークライブ、石田のみ
    • 3月31日 - 「ネタ」(baseよしもと/大阪)
    • 5月25日 - 「ネタ」(baseよしもと/大阪)
    • 7月26日 - 「大阪にて」(baseよしもと/大阪)
    • 8月8日 - 「名古屋にて」(ASUNAL HALL/名古屋)
    • 8月19日 - 「東京にて」(ルミネtheよしもと/東京)
  • 2008年
    • 2月29日 - 「ネタ」(baseよしもと/大阪)
    • 4月5日 - 「石田介護施設 vs I company」(baseよしもと/大阪)
    • 7月27日 - 「NON STYLE IN 6大都市〜M-1優勝したいんですツアー〜」(ルミネtheよしもと/東京)
    • 8月3日 - 「NON STYLE IN 6大都市〜M-1優勝したいんですツアー〜」(ビブレホール/福岡)
    • 8月15日 - 「NON STYLE IN 6大都市〜M-1優勝したいんですツアー〜」(よしもと紙屋町劇場/広島)
    • 8月17日 - 「NON STYLE IN 6大都市〜M-1優勝したいんですツアー〜」(ターミナルプラザことにPATOS/札幌)
    • 8月23日 - 「NON STYLE IN 6大都市〜M-1優勝したいんですツアー〜」(ASUNAL HALL/名古屋)
    • 9月7日 - 「NON STYLE IN 6大都市〜M-1優勝したいんですツアー〜」(なんばグランド花月/大阪)
  • 2009年
    • 7月31日 - 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」(大阪/IMPホール)
    • 8月2日 - 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」 (沖縄/ナムラホール)
    • 8月9日 - 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」(札幌/共済ホール)
    • 8月22日 - 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」(静岡/浜松市勤労会館)
    • 9月5日 - 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」(岩手/岩手民会館中ホール)
    • 9月6日 - 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」(名鉄ホール)
    • 9月13日 - 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」(福岡/イムズホール)
    • 9月18日 - 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」(徳島/あわぎんホール(旧・郷土文化会館))
    • 9月19日 - 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」(高知/高知県民文化ホール・グリーンホール)
    • 9月26日 - 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」(大分/音の泉ホール)
    • 9月27日 - 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」(石川/文教会館)
    • 10月3日 - 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」(新潟/新潟県民会館)
    • 10月4日 - 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」(広島/NTTクレドホール)
    • 10月12日 - 「NON STYLE LIVE 2009 〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜」(東京/よみうりホール)
  • 2010年

DVD・CD

DVD

  • 新風baseよしもと ネタトウタ2004(2004年12月15日)
  • baseよしもと ネタトウタ2007(2007年5月23日)
  • NON STYLEにて(2008年2月13日)初の単独DVD
  • 犯人と人質(2008年11月19日)
  • NON STYLE LIVE 2008 in 6大都市 〜ダメ男vsダテ男〜(2009年1月14日)
  • 爆笑オンエアバトル NON STYLE(2009年3月31日)
  • M-1グランプリ2008完全版 ストリートから涙の全国制覇!!(2009年3月31日)
  • NON STYLE LIVE 2009〜M-1優勝できました。感謝感謝の1万人動員ツアー〜(2010年2月24日)
  • NON STYLE NON COIN LIVE in さいたまスーパーアリーナ〜(2011年3月9日)

CD

  • ニコニコチャンプ」(2007年9月5日)
    • テレビ東京系アニメ『ケロロ軍曹』10代目エンディングテーマ
    • 作詞・作曲:井上裕介
  • 「見上げれば、青い空」〈ミニアルバム〉※Day of the legendとして
    • 作詞・作曲:井上裕介
  • 「おかあちゃん」
    • 日本テレビ系音楽番組『MMM』の「第2回・芸人マジ歌フェスティバル」にて披露。
    • 作詞:NON STYLE 作曲:井上裕介
    • CDは発売していないが、MMM携帯サイトよりダウンロードできる。

脚注

  1. ^ 2010年6月23日放送回『イチハチ』(毎日放送)の企画「モテたくて必死な芸能人No.1決定戦」出演時に発言。本当は163cmだが168cmと5cm多く言っていた時期があった。尚、現在の公式プロフィールでも2cmサバを読んでいる。base時代から相方石田にも「本当は163cmなのに165cmと偽っている」と度々ネタにされてきた。
  2. ^ 結成から優勝までの期間ではフットボールアワーの「4年8ヶ月」や、ブラックマヨネーズの「7年」に劣っているが、彼らはどちらも「1994年デビューの芸人がそれぞれ1999年と1998年に結成したコンビ」であるため、芸歴では優勝当時NONSTYLEよりも遙かに上であったことになる。
  3. ^ 2009年12月17日放送回
  4. ^ M-1グランプリ2008の事前番組にて。
  5. ^ 台本にも、井上のセリフは「(#ツッコミ)」としか書かれていない(2010年10月23日放送分の「トップランナー」より)。
  6. ^ 2010年10月23日放送分の「トップランナー」より。
  7. ^ 主なネタは「Bar」、「刑事」、「舞台雑用」など。
  8. ^ ほとんどは正式名称が不明。「チェリー」はS-1グランプリでは「愛のカタチ」という名前になっていた。
  9. ^ 1本目は「Bar」、2本目は「チェリー」。
  10. ^ 後に「快盗!!シノビーナ」にてこのコンビ名候補を暴露された際、若林正恭オードリー)から「淀川ピーナッツがM-1獲っちゃダメ」と言われた。
  11. ^ 異種格闘対談-Ring【round2】より
  12. ^ 2009年6月9日のよしもとオンラインにて、石田はこの曲を個人的な想い出のある名曲としてあげている。
  13. ^ 2009年8月22日深夜放送の『地元応援バラエティ このへん!!トラベラー』での石田の発言より
  14. ^ 2009年3月21日放送『ルミネtheよしもと ネタ超一流シーズン4』より
  15. ^ a b 2012年11月8日『アメトーーク!』、「衣装決まってる芸人 」で発言
  16. ^ 2009年8月31日付けの西野のブログより
  17. ^ 「マンスリーよしもとPLUS」Vo.12内の「同期芸人特集」にて。
  18. ^ 2009年4月19日放送『おしゃれイズム』より
  19. ^ 2009年9月24日に放送された『ダウンタウン超DX』のコーナー「視聴者は見た!」で石田本人から明らかにされた。
  20. ^ 2008年8月7日の無限大ホールでライセンスと行ったトークのときに語っていた。それに対して「最高やな」と行ったライセンス藤原共々、相方井上に「寂しいやろ」と言われていた。
  21. ^ 2009年7月11日放送の地元応援バラエティ このへん!!トラベラーより
  22. ^ a b 石田決意!「始球式で骨折します」?
  23. ^ 2009年2月5日付けの井上のブログより
  24. ^ 2012年11月8日『アメトーーク!』、「衣装決まってる芸人 」で発言
  25. ^ 2010年10月23日放送分のトップランナーより。
  26. ^ おしゃれイズム」出演時。
  27. ^ 2010年4月26日フジテレビ系『第5回さんま&くりぃむの芸能界(秘)個人情報グランプリ』で、井上の中学校時代の写真が披露された事を受けての発言より。

外部リンク