シャン州軍 (南)
シャン州軍 (南) | |
---|---|
တပ်ႉသိုၵ်းၸိုင်ႈတႆး – ပွတ်းၸၢၼ်း ရှမ်းပြည်တပ်မတော်-တောင်ပိုင်း ミャンマー内戦に参加 | |
シャン州軍 (南)軍旗 | |
活動期間 | 1996年1月 | – 現在
活動目的 |
シャンナショナリズム フェデラル連邦制 |
指導者 | ヨートスック中将 |
本部 | ミャンマーシャン州・ロイタイレン |
活動地域 |
シャン州 タイ・ミャンマー国境 |
兵力 | 8,000人以上[1][2] |
前身 | |
関連勢力 |
関連国 関連勢力 |
敵対勢力 |
敵対国 敵対勢力 |
戦闘 | ミャンマー内戦 |
ウェブサイト | https://taifreedom.com/ |
シャン州軍 (南)(シャンしゅうぐん みなみ、シャン語: တပ်ႉသိုၵ်းၸိုင်ႈတႆး – ပွတ်းၸၢၼ်း 英語: Shan State Army – South 略称: SSA-S)はシャン州復興評議会の軍事部門であり、ミャンマー最大規模の反政府武装勢力である[1]。
名称
[編集]正式名称はシャン州軍(英語: Shan State Army; SSA)である。シャン語では「タイ[注釈 2]州[注釈 3]の軍隊」を意味する တပ်ႉသိုၵ်းၸိုင်ႈတႆး /tap˥˧ sʰɨk˥ tɕɨŋ˧ taj˥/ と呼称する。同じく「シャン州軍」を自称するシャン州軍 (北)と区別する目的から、英語では Shan State Army - South(SSA-S)、あるいは政治部門の略称を冠して RCSS/SSA と呼称されることが多い[15]。中国語では南掸邦军と呼称されている[16][17][18]。
日本語訳は定まっておらず、「シャン州軍 (南)」[19]の他に「シャン州軍南」[20]「南シャン州軍」[15]などの表記が存在する。本記事では便宜的に「シャン州軍 (南)」表記で統一する。
歴史
[編集]1990年代
[編集]SSA-Sの設立
[編集]クン・サ率いるモン・タイ軍は1995年6月のシャン州民族軍の離脱を受けて大きく弱体化し、1996年1月7日、ミャンマー軍に降伏するに至った。降伏を拒んだヨートスックは部下の兵士500-1,000人を率いて[21][22]、シャン州軍 (南)を結成した[注釈 4]。シャン州軍 (南)は停戦済みのシャン州軍 (北)およびシャン州民族軍と合流するべくサルウィン川を渡って北上し、2月にはラーンコー郡区に至った[23]。その後、ヨートスックは旧モン・タイ軍勢力を糾合してシャン州南部に戻り[24]、1999年12月にロイタイレンに本部を設立した[17]。
2000年5月、シャン州軍 (南)はシャン州復興評議会を政治部門として設立し、ヨートスックは同評議会の議長に選出された。
シャン系武装勢力との連携の模索
[編集]この間、シャン州軍 (南)は既に政府と停戦していたシャン州軍 (北)およびシャン州民族軍と合併するべく協議を進めていた。停戦済みの2組織はシャン州平和評議会を形成していたため、これにシャン州軍 (南)を加える形で3組織合同の政治部門「シャン州民族機構」および軍事部門「シャン州軍」を創設することが1996年9月の協議で決定した[25][26][27][28][29]。しかしながら、統合に向けた進展はないまま終わった[8]。また、1997年にはシャン州民族機構の枠組みで軍事政権に対して停戦交渉を行おうとしたが、シャン州軍 (南)についてはモン・タイ軍の降伏によって解決済みであり、これ以上の交渉の余地はないと拒絶された[30][31][32][29]。
1999年6月から9月にかけて、シャン州軍 (南)第758旅団はシャン州南部からモンクン、そしてモンヤイへと向かっていた。同年8月14日、同旅団が会敵した際、停戦グループであったシャン州軍 (北)の第3旅団および第16旅団はシャン州軍 (南)に援助を行なったとされる[29]。ミャンマー軍は南北シャン州軍の協力を断つべく、シャン州軍 (北)に支援されていたロイモー民兵を逮捕してラカイン州に送った。そしてミャンマー軍は停戦グループであったシャン州軍 (北)およびシャン州民族軍をシャン州軍 (南)と対立するように仕向けた[29]。
四断作戦
[編集]1997年から1999年にかけてミャンマー軍はシャン州軍 (南)を破壊するべく、食糧・資金・徴兵・情報を断つ「四断作戦」を実施した。これに伴って多くの住民が家を追われ、国内避難民が発生した[8][33][23]。
2000年代
[編集]ワ州連合軍との衝突
[編集]2002年と2005年に、シャン州軍 (南)はタイ・ミャンマー国境でワ州連合軍と衝突した。これは、タイ領内に流入する麻薬の生産者だと目されているワ州連合軍と、反麻薬政策をとるシャン州軍 (南)の対立によるものであった[34][35]。2002年にはロイコーワン基地が砲撃され、2005年にはロイタイレン基地が包囲された[36]。しかしながら、タイ当局者によると、この対立は形だけのものであるという[37]。
SSNAの合流
[編集]2005年、モン・タイ軍から分裂して組織されたシャン州民族軍は既に停戦協定を結んでいたにもかかわらず、ミャンマー軍によって武装解除を迫られていた。同年5月21日、シャン州民族軍はシャン州軍 (南)と共に軍事政権に対峙することを宣言し、同組織への合流を決定した[38][39][40]。
2006年1月、シャン州軍 (南)に合流した旧シャン州民族軍勢力のトップであったサイ・イー大佐が指導部入りし、両組織の統合は盤石なものとなった[41]。
第758旅団の分裂
[編集]2005年4月、モンジェン大佐率いる第758旅団はシャン州軍 (南)の指揮下から離れ、カナダに亡命していたニャウンシェの王子ソーカンパー[注釈 5]によるシャン州独立宣言を支持した[42][43]。 2006年4月、ヨートスックはロイタイレン本部から300人の遠征隊を派遣してモンジェン大佐の説得に当たったが、拒絶された[44]。同年7月、第758旅団は軍事政権に投降した[45][46][注釈 6]。投降後は見返りに土地の支配を認められ、活動資金を与えられた。また、その後武器は返却され[47][44]、第758旅団は2009年にミャンマー軍傘下の民兵グループ(People’s Militia Force: PMF)となった[48]。同グループはライカ郡区のワンパン村に本部を置き[49]、ライカ郡区とナンサン郡区を拠点としている[50]。民兵になってからの規模は50-100人程度であるとみられる[51]。
同盟関係の模索
[編集]2008年12月、シャン州会議 (Shan State Congress) がヨートスック中将の後援のもとロイタイレンで設立された。シャン州復興評議会のほか、ラフ民主同盟、パオ民族解放機構、タイ協調委員会 (Tai Coordination Committee) 、ワ民族機構が参加した[52]。また、シャン諸民族民主連盟、シャン州軍 (北)、ワ州連合党 、パオ民族機構 も会議に招待されていた[53]。同会議は2010年まで存在した[54]。
シャン州会議の設立に先立ち、シャン州軍 (南)はアラカン解放党、チン民族戦線、カチン民族機構 (Kachin National Organisation) 、カレン民族同盟、カレンニー民族進歩党の6組織との同盟を結成した[55]。しかし、数年のあいだ同盟は休止状態にあったため、ヨートスックは2010年ミャンマー総選挙に向けて同盟を復活させる意思を見せていた[56]。
2010年代
[編集]民政移管により2011年に就任したテイン・セイン大統領は、シャン州軍 (南)を含む少数民族武装勢力との和平を推し進め、和平プロセスが進展した。
NLD政権期は、ラフ民主同盟と新モン州党がNCAに署名し、PPSTに加盟したことを除けば目ぼしい和平プロセスの進展はなく、逆にシャン州軍 (南)と他の武装勢力との衝突が増加した。
SSA-Nとの接近
[編集]2011年5月21日、シャン州軍 (南)は本部ロイタイレンにてシャン州軍 (北)と合同で記者会見を開き、ヨートスックは「もはやシャン州軍に南北はなく、一つである。」と発言した[57]。
停戦プロセスの進展
[編集]2011年12月2日、シャン州軍 (南)は政府と州レベル停戦合意に署名した[1]。翌年1月16日には政府との連邦レベル停戦合意に署名し、以下の11点において合意に至った[1][58]。
- ホーモン準郡とモンタ準郡におけるシャン州軍 (南)の拠点を認める。
- 1の地点におけるシャン州軍 (南)の部隊およびその家族の再定住について交渉し、手配する。
- 同地域においてはシャン州軍 (南)が村長を任命し、村長は政府役人と協力して郡行政を行う。
- ホーモン準郡とモンタ準郡において、ミャンマー軍兵士はシャン州軍 (南)を支援する。
- 双方はシャン州軍 (南)幹部の安全を確保するために議論し、交渉する。
- ミャンマー軍部隊とシャン州軍 (南)は、国境地域に進入できる地点を指定するための交渉を行う。
- 双方は、相手の支配地域に武器を携帯して進入する際は事前通告することに合意する。
- 政府とシャン州軍 (南)の連絡事務所をタウンジー、コーラム、チャイントン、モンサット、タチレクに、貿易事務所をムセとナムカムに設けることで合意する。
- 政府閣僚は、シャン州軍 (南)の構成員が既存の政策に従って企業や事業を運営できるよう、援助や必要な技術を提供する。
- 地域の発展のために連邦政府と協力する。
- 麻薬の密輸を撲滅するための計画策定において政府と協力する。
ヨートスック体制の継続
[編集]2014年2月、ヨートスックは後任を育成するためにRCSSの議長職を辞す意向を表明していたが[59][60]、選挙で議長候補5人が全て落選したため議長を続投することとなった[61]。
NCA署名
[編集]2015年10月15日、シャン州軍 (南)は全国停戦合意(英語: Nationwide Ceasefire Agreement: NCA)に署名した。内務省はNCA署名に先駆けてシャン州軍 (南)のテロリスト指定を解除した[62]。
2016年3月、NCA署名済み少数民族武装勢力からなる和平プロセス主導チーム(英語: Peace Process Steering Team: PPST)が結成された。
TNLA・SSA-Nとの衝突
[編集]NCA署名後、合法的な活動への参入が可能となったシャン州軍 (南)は中国・ミャンマー間の貿易の隆盛を受けて、シャン州民族軍の旧支配地域であるシャン州北部へ進出した。シャン州軍 (南)が進出した地域はタアン族の多い土地であったため、タアン民族解放軍との衝突が繰り返された[10][63]。
シャン州軍 (南)とタアン民族解放軍との戦闘はNLD政権になってからも継続した。2018年以降、シャン州軍 (北)はタアン民族解放軍と前哨基地を共有していたことから、戦闘に巻き込まれることとなり、結果的に同じシャン族武装組織である南北シャン州軍の対立を引き起こした。また、シャン州軍 (北)とタアン民族解放軍はシャン州軍 (南)がミャンマー軍と結託していると主張した[64]。
2019年には南北シャン州軍は停戦に漕ぎつけたが、タアン民族解放軍との停戦には至らなかった[7][8][65][66]。
ミャンマー軍やNCA署名済勢力との衝突
[編集]NCA署名後もシャン州軍 (南)はミャンマー軍と複数回衝突している[67]。
また、2018年12月以降、シャン州軍 (南)はNCA署名済かつPPST加盟組織であるパオ民族解放軍と繰り返し衝突した[11][12][13][14]。
2020年代
[編集]ミャンマー軍との衝突
[編集]クーデター直後の2021年2月、ミャンマー軍は、シッポー郡区にあるシャン州軍 (南)のキャンプを攻撃した。シャン州軍 (南)はこれをNCA違反であると非難した[68]。
NCAの枠組みの維持
[編集]シャン州軍 (南)は2021年クーデター以降一貫してミャンマー軍に批判的な声明を出しているが、軍事的に対立する姿勢は見せておらず、またNCAを破棄する意思も示していない[69]。2023年に入ってから、シャン州軍 (南)はPPSTには残りつつも、PPSTの枠組みとは別に軍事政権と和平交渉するなど独自の動きを見せている[70][71]。
シャン州南部への後退
[編集]2021年1月以降、シャン州軍 (南)はタアン民族解放軍・シャン州軍 (北)・ワ州連合軍による攻撃を受けてシャン州北部から撤退した[7][8]。2022年1月にタアン民族解放軍はシャン州軍 (南)に対する勝利宣言を行った[72]。2015年から続いていたシャン州北部進出の計画はこれによって完全に頓挫した[73]。
2023年11月29日、シャン州軍 (南)はシャン州軍 (北)との停戦を宣言した[9]。
徴兵制施行
[編集]2024年2月19日、シャン州軍 (南)は軍事政権による徴兵制施行を受けて、シャン州における徴兵法と土地法を発表した。18歳から45歳までの男女は6年間の兵役が義務付けられる。また、海外逃亡した場合は財産が没収される[74]。シャン州軍 (南)は男女・民族を問わず徴兵を行っており、タアン民族解放軍に対抗するためであるとの見方が存在している[75]。
支配領域
[編集]拠点
[編集]シャン州軍 (南)はタイ・ミャンマー国境に5つの拠点を有する[76][36]。
- ロイタイレン – シャン州軍 (南)の本部が置かれている。タイ王国メーホンソーン県パーンマパー郡パーンマパー準郡に隣接する。
- コンムアンモン – タイ王国メーホンソーン県ムアンメーホンソーン郡モクチャムペー準郡に隣接する。
- ロイラム – タイ王国チエンマイ県ウィエンヘーン郡に隣接する。
- ロイサームシップ – タイ王国チエンマイ県ファーン郡に隣接する。
- ロイコーワン – タイ王国チエンラーイ県メーファールワン郡トゥートタイ準郡に隣接する。国内避難民約2,600人が生活している[77]。
軍区・旅団構成
[編集]シャン州軍 (南)は少なくとも10個の軍区/旅団を有する[4]。軍区の広さはまちまちで、1~3個程度の郡区である[78]。
- ロイタイレン - 1個旅団
- ロイクアン・モンムアン間 - 1個旅団
- ロイタイレン・ホーモン間- 1個旅団
- カヤ小キャンプ (モンタ・モンパン間) - 1個旅団
- ロイサームシップ – 1個旅団
- ロイコーワン – サオ・コンジェン率いるチャイントン軍区
- モンピン・モンプオン地域 - 1個旅団
- モンクン軍区 - 第198旅団
- チャウメー軍区 - 第606旅団
- ナムカム・ムセ・チューコック軍区 – 第701部隊
2021年から2022年にかけての戦闘により、モンクン軍区の第198旅団、 チャウメー軍区の第606旅団、ナムカム・ムセ・チューコック軍区の第701部隊は撤退を迫られた。
統治機構
[編集]シャン州軍 (南)の政治部門であるシャン州復興評議会には全部で14の部門があり、そのうち民政部門が支配地域の統治を担っている[79]。民政部門は民政の訓練を受けたシャン州軍 (南)の兵士による20以上の「行政大隊」から構成されており、防衛部門の「作戦大隊」と連携しながら支配地域の統治を行っている[79]。
同組織に警察はないが、10-12人程度からなる民兵が村落における逮捕権を有している。また、シャン州軍 (南)の兵士も逮捕権を有する[80]。
経済活動
[編集]シャン州軍 (南)は2012年にShan Taung Tan Cherry名義で6社を設立した。これらは旅行業、宝石業、貿易業、サービス業、製造業、ホテル業を行っている[1]。
タイ国との関係
[編集]タイ国政府との関係
[編集]シャン州軍 (南)はミャンマー・タイ国境に拠点を構えており、また、シャン族はシャム人とタイ族の文化を共有することからタイとの関係が深い[3]。シャン族の中にはタイ王国の国王をタイ族のツァオパー(王)として捉える考え方が存在しており、2006年にはラーマ9世の即位60周年の儀式を行うなど、シャン州軍 (南)はタイ王室への敬意を示している[81]。また、ラーマ9世の火葬が行われた2017年10月には追悼式典がシャン州軍 (南)により行われている[82]。
タイ政府は、タイ領内に麻薬を流通させているとみられるワ州連合軍を安全保障面での脅威だとみなしているため[83]、シャン州軍 (南)に対して比較的好意的である[84]。これに関連して、タイ政府からシャン州軍 (南)に対して秘密裏に援助が行われたとされている[85][86]。
タイ国社会との関係
[編集]シャン州軍 (南)はタイのテレビ等のメディアに対する露出を通して、ビルマ族よりもシャン族の方がタイに近いという親近感をタイ国社会に与えることで、タイ側からの政治的・経済的な援助を得ている[87]。
本部のあるロイタイレンは戦略上の理由から国境の尾根に位置しており、水不足に悩まされているため、清潔な飲料水はタイ側から確保している。また、米も支援者やNGOによりタイ側から届けられている[88]。ロイタイレンで通用している通貨はチャットではなくバーツであり、携帯電話の電波もタイ側のものが利用されている[89]。教育・文化面においても、シャン州軍 (南)にとってタイ側のNGOとの繋がりは大きい[90][注釈 7]。
シャン州軍 (南)はタイに移民したシャン族もシャン州の住民同様に5年間の兵役に就くべきであるとしており[92]、タイ国内のシャン族ディアスポラもシャン州軍 (南)のエスノナショナリズムの射程の圏内に収まっている[93]。
中国との関係
[編集]2015年のNCA署名以降、シャン州軍 (南)はシャン州北部に進出したが、タアン民族解放軍・シャン州軍 (北)・ワ州連合軍と繰り返し交戦することとなった。これら3組織は中国に近いとされており、連邦政治交渉協議委員会に加盟している。
シャン州軍 (南)は反共を標榜したモン・タイ軍の系譜を継いでおり、モン・タイ軍時代は国民党の繋がりもあった。これらの歴史的経緯から、中国政府がシャン州軍 (南)を信頼しておらず、シャン州北部における活動を許さなかったため中国政府寄りの少数民族武装組織に攻撃させたのだとする見方も存在する[7][8][94]。
国内避難民の保護
[編集]シャン州軍 (南)は国内避難民の保護を行っており[95]、タイ・ミャンマー国境の5つの拠点には国内避難民キャンプが存在する[36]。国内避難民キャンプに対する支援は乏しく、国内避難民はタイ側で不法就労するほかない状況に置かれている[96]。
シャン州で国内避難民が発生した主な原因の一つは、1997年から1998年にかけて、クンヒン郡区とモンパン郡区において行われた国軍の「四断作戦」である。これにより、1,400以上の村が破壊・略奪され、30万人以上が家を追われた[33]。この際、2年間で8万人がタイ側に避難したが、タイ政府はシャン族を難民と認定しなかった[23]。
もう一つの原因は、1999年から2001年にかけて行われたワ州連合軍による強制的な移住政策である。ワ州連合軍は中緬国境の北ワ地域から泰緬国境の南ワ地域へ、5万人を強制移住させた。これにより、元々南ワ地域に住んでいた人々4万8千人が影響を受けたとされている。この中でも4,500人以上がシャン州の別の地域に逃れ、4,000人がタイに逃れている[97]。
このほかに、2021年ミャンマークーデター後、CDMに参加したためにミャンマー軍に拘束されるリスクを恐れて逃れてきた市民を受け入れている[98]。
麻薬問題
[編集]麻薬生産・密輸の疑い
[編集]シャン州軍 (南)の支配領域は黄金の三角地帯に位置しており、麻薬の生産・密輸が疑われている。SPDCはしばしばシャン州軍 (南)が麻薬ビジネスに関与していると批判していた[99][100]。2018年の国連薬物犯罪事務所の報告書では、同武装勢力の支配領域内部における高密度のケシ栽培が報告されている[101]。
シャン州軍 (南)の反麻薬政策
[編集]しかしながら、ヨートスックは反麻薬政策をエスノナショナリズムと関連づけるとともに自治権獲得のための手段として位置付けており[102]、国際社会に向けて麻薬撲滅を積極的にアピールしている[103]。
テインセイン政権以降は和平プロセスが進行したこともあり、政府と麻薬問題で協力するケースが増えている。2012年、シャン州軍 (南)はタチレクでミャンマー政府および国連薬物犯罪事務所と三者協議を行い、麻薬撲滅に向けた取り組みを行うことで合意した[104] [105]。2013年には、政府および国連薬物犯罪事務所と協力してケシ栽培を撲滅させる姿勢を見せている[106][107]。また、同年政治部門のシャン州復興評議会がタイ警察からイヌワシ賞を授与されている[108]。シャン州軍 (南)は毎年6月26日の国際麻薬乱用・不正取引防止デーには反麻薬キャンペーンを実施している。
反麻薬政策の一環として、シャン州軍 (南)はケシの代替作物としてコーヒーの木を植え、元ケシ農家の現金収入の獲得手段を提供している[109]。
批判
[編集]強制徴募
[編集]シャン州軍(南)は強制徴募を行なっていると報告されている[110]。報道官は大多数が志願兵であると称しており[111]、2016年には強制徴募は行っていないと回答しているが[112]、これ以降も強制徴募が行われた事例が複数報告されている[113][114][111]。
また、2019年にはシャン州軍 (南)による強制徴募を逃れるために若者が死を偽装して逃れた事例が報告されている[115]。
少年兵
[編集]ヒューマン・ライツ・ウォッチの報告書によると、クン・サのモン・タイ軍に所属していた少年兵が、シャン州軍 (南)結成時に移籍した疑いがある。RCSSの中央執行委員であるサオ・ウッ・ケシや総書記のサイ・ターンサーンは2001年のシャン州軍 (南)の声明までは「16歳から45歳の健康な男性は皆、5年の兵役に服さねばらならない」としていたが、2001年2月7日のシャン州軍 (南)の声明では「18歳から45歳の健康な男性は皆、5年の兵役に服さねばらならない」こととなった。これを受けてRCSSのサイ・ターンサーン報道官は18歳未満の者は除隊とし、タイ・ミャンマー国境の拠点にある学校で就学させているとしている[116]。2013年の国際連合事務総長の年次報告では、シャン州軍(南)は少年兵の募集と使用の「常習犯」リストに名を連ねている[117]。
2019年11月26日、シャン州軍 (南)は少年兵を募集・使用しないとするジュネーブ・コールの誓約書に署名した[118]。
タアン族に対する人権侵害
[編集]2015年の全国停戦合意(NCA)署名以降、シャン州軍 (南)はNCA未署名のタアン民族解放軍と繰り返し衝突しており、その中でシャン州軍 (南)のタアン族の民間人に対する暴力が複数報告されている。なお、民間人に対する暴力はNCA第3章第9条で禁止されている。
2016年、タアン族のNGO3団体はヤンゴン市内で記者会見を開き、シャン州軍 (南)によって学校が強制的に閉鎖させられ、民間人や僧侶が拘束されたりしていると訴えた。また、その他にも、住民が強制徴募されたり、家が略奪されたりしているという。RCSSスポークスパーソンのサイ・レック大佐は学校の再開については話し合い中であるとしている[119]。
2019年6月7日、ホーナム村に住むタアン族の親子2人がナムサン郡区からラシオへオートバイで移動していたところ、シャン州軍 (南)に拘束され、その後行方不明となった。2人はマンサン村で拘束され、パンソー村で殺害されたとみられる。RCSSスポークスパーソンのサイ・ウー中佐は民間人の殺害を否定した[120]。
2019年7月11日、タアン人権ネットワークはヤンゴン市内で記者会見を開き、シャン州軍 (南)がタアン族170人以上に対してオートバイの没収、恐喝、監禁、拷問などの人権侵害を行ったと主張した。これに対し、RCSSのサイ・ウー中佐は民間人を拘束したことは認めたが、虐待については否認し、その後釈放したと述べている[121]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ SSA-Sと敵対しているパオ民族解放軍は除外した。
- ^ シャン族の自称はတႆး /taj˥/である。タイ王国の「タイ(Thai, ไทย)」とは異なり、初頭子音は無気音である。
- ^ ၸိုင်ႈ /tɕɨŋ˧/は州・国・地域を意味する。
- ^ シャン州軍 (南)結成当初は、1985年にモン・タイ軍に合流したグループと同名のシャン連合革命軍を名乗っていた。1998年1月に現名称であるシャン州軍に改称した。
- ^ ソーカンパーは、ビルマ連邦初代大統領かつニャウンシュエ最後のツァオパー(伝統的首長)であったサオ・シュエタイッの息子である。
- ^ 軍事政権は「2006年7月6日に合法組織に戻った」としている。
- ^ 教職や医療職、行政サービスに就くことで兵役義務の代替とすることが出来るため、タイ国側のNGOでシャン文化の教育に携わる者もいる[91]。
出典
[編集]- ^ a b c d e “Myanmar Peace Monitor - Restoration Council of Shan State” (英語) (2013年6月6日). 2018年3月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月9日閲覧。
- ^ Keenan 2012, p. 55.
- ^ a b Inkey, Mark (2018年2月17日). “Behind the scenes of Shan National Day at Loi Tai Leng” (英語). Mizzima (Burma News International) 2024年2月9日閲覧。
- ^ a b Aye Chan Su (2023年10月26日). “မြန်မာပြည်ရှိ လက်နက်ကိုင်တော်လှန်ရေး အင်အားစုများ (အပိုင်း ၆) [ビルマの武装革命勢力(パート6)]” (ビルマ語). Irrawaddy
- ^ “NCA လက်နက်ကိုင်အဖွဲ့များ 7 EAO Alliance ဆိုကာ အသစ်ပြန် ဖွဲ့စည်း [NCA署名勢力が7EAO同盟として再結集]” (ビルマ語). Irrawaddy. (2024年3月18日) 2024年3月18日閲覧。
- ^ Finley, Richard (2018年8月2日). “300 Myanmar Villagers Flee Township as Ethnic Armies Approach” (英語). RFA. オリジナルの2018年8月3日時点におけるアーカイブ。 2018年8月3日閲覧。
- ^ a b c d e f “Southward push escalation: Heightening proxy war in Shan State” (英語). Mizzima (Burma News International). (2022年3月30日) 2024年2月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g h Khun Say Lone (2022年5月3日). “The Advance and Retreat of a Shan Army” (英語). Transnational Institute 2024年2月6日閲覧。
- ^ a b “Rival Shan armies declare truce as other ethnic armed groups gain ground” (英語). Myanmar Now (2023年11月30日). 2024年2月5日閲覧。
- ^ a b Lawi Weng (2021年1月26日). “‘We will not let the RCSS rule’: Shan State clashes stoke inter-ethnic tension” (英語). Frontier Myanmar. オリジナルの2022年12月7日時点におけるアーカイブ。 2024年2月5日閲覧。
- ^ a b Hom Hurng (2018年10月20日). “Clashes Break Out Between NCA Signatories RCSS and PNLO” (英語). SHAN 2024年2月7日閲覧。
- ^ a b Nang Noung Noung (2022年10月13日). “မောက်မယ် ကဒူးကြီး ဒေသအတွင်း PNLO နှင့် RCSS ထိတွေ့တိုက်ပွဲဖြစ်ပွားခဲ့ [モークマイ郡区カドゥジー村でPNLOとRCSSが衝突]” (ビルマ語). SHAN. オリジナルの2024年2月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b “Fighting continues between RCSS and PNLO adding to the instability created by so many different armed groups and militias.” (英語). SHAN (Burma News International). (2023年4月4日) 2024年2月7日閲覧。
- ^ a b “Shan And Pa-O Armed Groups Clash In Langkhur District” (英語). SHAN. (2023年5月23日) 2024年2月7日閲覧。
- ^ a b 峯田 2020, p. 9.
- ^ “洪亮大使会見南撣邦軍主席約瑟” (中国語). 在ミャンマー中華人民共和国大使館 (2017年9月25日). 2024年2月8日閲覧。
- ^ a b 孫広勇; 于景浩 (2013年12月26日). “探訪緬甸南撣邦軍総部:盼中国発揮更大作用” (中国語). 環球時報
- ^ 張月恒 (2019年2月22日). “時隔6年,再探南撣邦軍総部” (中国語). 環球時報
- ^ “ミャンマーについての海外安全情報(危険情報)の発出”. 外務省 (2016年6月15日). 2024年2月8日閲覧。
- ^ 公安調査庁 2022, pp. 416–417.
- ^ Heppner 2002, p. 117.
- ^ Thitiwut 2018, p. 88.
- ^ a b c SHRF 1998.
- ^ Heppner 2002, pp. 117–118.
- ^ “Situation in Shan State” (英語). SHAN. (1997年3月22日)
- ^ “The SURA Changes its name to SSA” (英語). SHAN. (1998年1月1日)
- ^ “Big nations of west bloc use ILO as political forum to put pressures on Myanmar in order to install their puppet government in Myanmar” (英語) (PDF). ニューライト・オブ・ミャンマー: p. 14. (2005年3月16日) 2024年2月23日閲覧。
- ^ Smith 1999, pp. 447–448.
- ^ a b c d Risser et al. 2003, p. 21.
- ^ Meehan 2016, p. 238.
- ^ Dukalskis 2015, p. 857.
- ^ Smith 1999, pp. 447.
- ^ a b KHRG 1998.
- ^ Aung Zaw (2002年2月). “Pushing the Envelope” (英語). Irrawaddy 9 (2) 2024年3月10日閲覧。
- ^ Jirattikorn 2011, pp. 25–26.
- ^ a b c SHRF 2017.
- ^ Merz 2008, p. 68.
- ^ “Shan rebels unite against Rangoon” (英語). BBC Burmese. (2005年5月24日). オリジナルの2007年5月29日時点におけるアーカイブ。
- ^ Hanpai (2005年5月22日). “SSNA Breaks Truce, Merges with SSA” (英語). Mizzima. オリジナルの2005年9月8日時点におけるアーカイブ。
- ^ “Two Ethnic Rebel Groups Announce Merger to Fight the Junta” (英語). Irrawaddy. AP通信. (2005年5月23日) 2024年2月10日閲覧。
- ^ “Col Sai Yee elected to SSA leadership” (英語). SHAN. (2006年1月28日). オリジナルの2009年2月11日時点におけるアーカイブ。
- ^ Khun Sam (2006年5月19日). “Shan Rebels Seek Alliance” (英語). Irrawaddy 2024年2月8日閲覧。
- ^ “Yawdserk calls for unity among Shans” (英語). SHAN. (2006年5月20日). オリジナルの2009年2月11日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b “Rebel leader ‘did not surrender, only made peace’” (英語). SHAN. (2006年7月5日). オリジナルの2009年2月11日時点におけるアーカイブ。
- ^ “848 members of Shan State Army-South (Ywet Sit) group return to legal fold” (英語) (pdf). ニューライト・オブ・ミャンマー. MNA: pp. 1, 16. (2006年7月8日) 2024年2月8日閲覧。
- ^ Khun Sam (2006年8月7日). “Shan Renegade Group Breaks with Government” (英語). Irrawaddy 2024年2月8日閲覧。
- ^ “Anti-SSA militia's war chest fattened” (英語). SHAN. (2007年5月7日). オリジナルの2009年2月11日時点におけるアーカイブ。
- ^ Burma News International 2013, pp. 53–54.
- ^ Buchanan 2016, p. 14.
- ^ Jolliffe 2015, pp. 68–69.
- ^ Meehan 2016, p. 374.
- ^ “Shan State Congress formed” (英語). SHAN. (2008年12月24日). オリジナルの2011年4月29日時点におけるアーカイブ。 2009年6月12日閲覧。
- ^ “Shan State Congress formed” (英語). SHAN (Burma News International). (2008年12月24日) 2024年2月11日閲覧。
- ^ “Lahu re-elected as leader of Shan State” (英語). SHAN. (2010年2月9日). オリジナルの2010年6月20日時点におけるアーカイブ。
- ^ Keenan 2012.
- ^ Phusathong, Worarat; Prabthong, Nares (2008年3月11日). “สู่อิสรภาพรัฐฉาน (ตอนจบ) [シャン州の自由に向けて(最終回)]” (タイ語). MGR Online 2024年2月10日閲覧。
- ^ Hseng Khio Fah (2011年5月23日). “SSA ‘South’, SSA ‘North’ declare ‘We are one’” (英語). SHAN (Burma News International) 2024年2月22日閲覧。
- ^ Kyaw Kha (2012年1月17日). “Gov’t and SSA-S sign peace agreement” (英語). Mizzima. オリジナルの2013年4月1日時点におけるアーカイブ。 2024年2月7日閲覧。
- ^ Htwe Nan Tin (2014年2月3日). “Shan shocked as Yawd Serk quits SSA-S” (英語). Myanmar Times. オリジナルの2016年3月4日時点におけるアーカイブ。 2016年1月1日閲覧。
- ^ “Shan army forms election commission” (英語). SHAN (Burma News International). (2014年1月15日)
- ^ Kyaw Kha (2014年2月17日). “RCSS ဥက္ကဋ္ဌ အဖြစ် ဒု ဗိုလ်ချုပ်ကြီး ယွက်စစ်ကို ပြန်လည်ခန့်အပ် [ヨートスック中将がRCSS議長を再任]” (ビルマ語). Irrawaddy 2024年2月9日閲覧。
- ^ “SSA-S, ABSDF no longer ‘terrorists’, says govt” (英語). DVB. (2015年10月13日) 2024年2月9日閲覧。
- ^ Davis, Anthony (2016年2月26日). “Myanmar's new war in the north” (英語). Nikkei Asia 2024年2月8日閲覧。
- ^ Gerin, Roseanne (2018年12月28日). “Myanmar Press Council Demands Military Provide Contacts For Journalists Covering Conflict” (英語). RFA 2024年2月21日閲覧。
- ^ Seng Phoo (2019年4月26日). “Shan Armed Groups Work For Unity” (英語). SHAN 2024年2月21日閲覧。
- ^ Lawi Weng (2019年5月13日). “Warring Shan Armed Groups Agree to Ceasefire” (英語). Irrawaddy 2024年2月20日閲覧。
- ^ “RCSS, Tatmadaw clashed four times in early January” (英語). Network Media Group (Burma News International). (2018年1月15日) 2024年2月8日閲覧。
- ^ Nang Seng Nom (2021年2月12日). “Burma Army Undermines Peace Agreement, RCSS Says” (英語). SHAN. オリジナルの2021年2月12日時点におけるアーカイブ。 2021年2月13日閲覧。
- ^ “RCSS Will Remain in NCA” (英語). SHAN. (2023年8月23日) 2024年2月8日閲覧。
- ^ “RCSS/SSA Meets With Junta Leaders In Naypyidaw” (英語). SHAN (Burma News International). (2023年7月17日) 2024年2月8日閲覧。
- ^ “Five PPST members to confer with Military Council” (英語). SHAN (Burma News International). (2023年6月22日) 2024年2月6日閲覧。
- ^ “Rising dragon: TNLA declares ‘victory’ in northern Shan” (英語). Frontier Myanmar. (2022年2月4日) 2024年2月10日閲覧。
- ^ Davis, Anthony (2022年2月22日). “Wa an early winner of Myanmar’s post-coup war” (英語). Asia Times 2024年3月4日閲覧。
- ^ Sai Khwan Murng (2024年2月19日). “နိုင်ငံခြားသို့ တိမ်းရှောင်သူများ၏ နေအိမ်ဥစ္စာကို သိမ်းဆည်းမည်ဟု RCSS ထုတ်ပြန် [RCSSは国外逃亡者の財産を没収すると発表]” (ビルマ語). SHAN. オリジナルの2024年2月19日時点におけるアーカイブ。
- ^ Naw Betty Han. “‘Living in fear’: RCSS conscription kicks off” (英語). Frontier Myanmar
- ^ “Shan army set to cast a wide net” (英語). SHAN. (2009年6月8日). オリジナルの2010年8月9日時点におけるアーカイブ。 2009年6月12日閲覧。
- ^ Tirangkul, Thanapat (24 February 2018). ชีวิตผู้ลี้ภัยค่ายดอยก่อวัน รัฐฉาน [シャン州ドイコーワンキャンプの避難生活] (テレビ番組) (タイ語). Spring News.
- ^ Jolliffe 2015, p. 65.
- ^ a b Jolliffe 2015, p. 66.
- ^ McCartan & Jolliffe 2016, pp. 38–39.
- ^ Pengkaew, Niphatphon (2006年6月15日). “60 ปีในหลวงบนดอยไตแลง [ドイタイレンで国王在位60周年記念イベントが開かれる]” (タイ語). クルンテープ・トゥラギット. オリジナルの2009年2月12日時点におけるアーカイブ。 2024年2月12日閲覧。
- ^ “กองทัพกู้ชาติรัฐฉาน ถวายดอกไม้จันทน์ ณ ฐานที่มั่น ดอยไตแลง [シャン州救世軍、ドイタイレンの麓に白檀の花を捧げる]” (タイ語). プラチャーチャート・トゥラギット. (2017年10月26日) 2024年2月13日閲覧。
- ^ Pathan 2005, p. 115.
- ^ Kramer 2007, p. 4.
- ^ Sai Myo Win (2001年2月28日). “Shan: The Thai-Burma border conflict and Shan resistance” (英語). UNPO. 2024年2月13日閲覧。
- ^ Chouvy 2010, p. 112.
- ^ Chattragul 2020, pp. 50–54.
- ^ 峯田 2020, p. 16-17.
- ^ 峯田 2020, p. 17.
- ^ Okano 2020, pp. 102–105.
- ^ Okano 2020, p. 103.
- ^ Jirattikorn 2017, pp. 86–87.
- ^ Thitiwut 2018, pp. 110–114.
- ^ “In Myanmar’s Divided Shan State, a New Appeal for Unity; China Will Be Watching” (英語). Irrawaddy. (2022年7月13日) 2024年2月13日閲覧。
- ^ Jirattikorn 2011, p. 25.
- ^ Milko, Victoria (2017年11月29日). “The borderline Shan: Anxious and facing hunger” (英語). Frontier Myanmar 2024年2月13日閲覧。
- ^ LNDO 2002, p. 3.
- ^ “RCSS/SSA နယ်မြေအတွင်း လုံခြုံရေးအရ လာရောက်ခိုလှုံသူ (၁၀၀)နီးပါးရှိ [安全上の理由からRCSS/SSA支配地域に100人以上が避難]” (ビルマ語). SHAN. (2023年3月10日). オリジナルの2024年2月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ “Although shouting for Shan State liberation, Ywet Sit and cohorts are like mafia drug criminals trafficking narcotics, smuggling arms” (英語) (pdf). ニューライト・オブ・ミャンマー. MNA: pp. 10-12. (2006年4月28日) 2024年2月8日閲覧。
- ^ Shah Paung (2006年8月17日). “Regime and Shan Rebel Group Clash over Drugs Charges” (英語). Irrawaddy 2024年2月10日閲覧。
- ^ UNODC 2018, p. 3.
- ^ Thitiwut 2018, pp. 88–99.
- ^ Pathan, Don (2014年1月2日). “Shan State Army kicks the habit but gets little respect” (英語). The Nation 2024年2月12日閲覧。
- ^ “မူးယစ်ဆေးဝါးတိုက်ဖျက်ရေးအတွက် မြန်မာအစိုးရ နှင့် UNODC အပါအဝင် RCSS/SSA တို့ တွေ့ဆုံဆွေးနွေး [RCSS/SSA、ミャンマー政府およびUNODCと麻薬対策を協議]” (ビルマ語). Tachileik News Agency. (2012年10月29日) 2024年2月12日閲覧。
- ^ Thitiwut 2018, p. 96.
- ^ Lipes, Joshua (2013年6月18日). “Shan Leader Wants Drug Eradication Priority Amid Cease-Fire” (英語). RFA 2024年2月8日閲覧。
- ^ Thitiwut 2018, pp. 96–98.
- ^ RCSS DDE (2013年6月23日). “Golden Eagle Award for RCSS” (英語). 2024年2月6日閲覧。
- ^ “【国際禁毒日】央視記者探訪緬甸金三角地区” (中国語). 中国中央電視台. (2017年6月26日) 2024年2月22日閲覧。
- ^ Gerin, Roseanne (2015年5月28日). “Myanmar Villagers Flee Homes to Avoid Forced Recruitment by Armed Ethnic Group” (英語). RFA 2024年2月11日閲覧。
- ^ a b Khun Yam (2019年8月23日). “Torn apart: the toll of forced recruitment” (英語). Frontier Myanmar 2024年2月12日閲覧。
- ^ “Ethnic rebels' show of force highlights Suu Kyi's peace challenge” (英語). ロイター 2024年2月10日閲覧。
- ^ Myanmar: “All the civilians suffer” : Conflict, displacement, and abuse in Northern Myanmar (PDF). アムネスティ・インターナショナル (Report) (英語). 2017. p. 40.
- ^ Roseanne Gerin (2018年7月16日). “Ethnic Army in Shan State Abducts 50 Young Men From Villages as Recruits” (英語). RFA 2024年2月8日閲覧。
- ^ Clarey, Magarite (2019年7月17日). “How Myanmar families resist armed groups recruiting children” (英語). アル・ジャジーラ 2024年2月11日閲覧。
- ^ Heppner 2002, p. 119.
- ^ UNSG 2013, p. 49.
- ^ Geneva Call (2019年11月26日). “The Restoration Council of Shan State signs Geneva Call’s Deed of Commitment for the Protection of Children from the Effects of Armed Conflict” (英語). 2024年2月11日閲覧。
- ^ Nang Mya Nadi (2016年10月3日). “Ta’ang NGOs accuse Shan army of human rights abuses” (英語). DVB. オリジナルの2022年2月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ Lawi Weng (2019年7月9日). “Ta’ang Community Accuses RCSS of Killing 2 Civilians” (英語). Irrawaddy. オリジナルの2023年8月3日時点におけるアーカイブ。 2024年2月5日閲覧。
- ^ Nan Lwin Hnin Pwint (2019年7月15日). “Human Rights Group Claims RCSS Violations Against Ta’ang” (英語). Irrawaddy. オリジナルの2023年8月3日時点におけるアーカイブ。 2024年2月5日閲覧。
参考文献
[編集]日本語文献
[編集]- 公安調査庁『国際テロリズム要覧2022』(PDF)(レポート)2022年 。
- 峯田, 史郎「東南アジア境界地域における武力闘争への マルチスケールと人間の領域性からの接近 : ミャンマー・シャン州南部少数民族組織の生存戦略」『境界研究』第10巻、2020年、doi:10.14943/jbr.10.1。
英語文献
[編集]- Buchanan, John (2016). Militias in Myanmar (PDF) (Report). Yangon: Asia Foundation.
- Burma News International (2013). Deciphering Myanmar’s Peace Process A Reference Guide 2013. Chiang Mai: Wanida Press. ISBN 9786163216649
- Chattragul, Phanuphat (2020). Social construction of Shan nationalism: a case study of the Shan State Army-South (SSA-South) (PDF) (Master thesis). Thammasat University.
- Chouvy, Pierre-Arnaud (2010). Opium: Uncovering the Politics of the Poppy. Cambridge: Harvard University Press. ISBN 9780674051348
- Dukalskis, Alexander (2015). “Why Do Some Insurgent Groups Agree to Cease-Fires While Others Do Not? A Within-Case Analysis of Burma/Myanmar, 1948–2011”. Studies in Conflict and Terrorism 38 (10). doi:10.1080/1057610X.2015.1056631.(要購読契約)
- Heppner, Kevin (2002). “My gun was as tall as me”: child soldiers in Burma. Human Rights Watch. ISBN 9781564322791
- Jirattikorn, Amporn (2011). “Shan virtual insurgency and the spectatorship of the nation”. Journal of Southeast Asian Studies 42 (1). JSTOR 23020301.(要購読契約)
- Jirattikorn, Amporn (2017). “Forever transnational: The ambivalence of return and cross‐border activities of the Shan across the Thailand‐Myanmar border”. Singapore journal of tropical geography 38 (1). doi:10.1111/sjtg.12186.
- Jolliffe, Kim (2015). Ethnic Armed Conflict and Territorial Administration in Myanmar (PDF) (Report). Yangon: Asia Foundation.
- Karen Hunan Rights Group (1998). Killing the Shan: The Continuing Campaign of Forced Relocation in Shan State (PDF) (Report).
- Keenan, Paul (2012). Lian H. Sakhong (ed.). Burma’s Ethnic Ceasefire Agreements (PDF) (Report). Burma center for Ethnic Studies. 2016年3月3日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。
- Kramer, Tom (2007). The United Wa State Party: Narco-army or Ethnic Nationalist Party?. Washington, DC: East-West Center. ISBN 9789812304919
- Lahu National Development Organisation (2002). Unsettling moves: The Wa forced resettlement program in Eastern Shan State (PDF) (Report). Chiang Mai.
- McCartan, Brian; Jolliffe, Kim (2016). Ethnic armed actors and justice provision in Myanmar (PDF) (Report). Yangon: Asia Foundation.
- Meehan, Patrick (2016). The political economy of the opium/heroin trade in Shan state, Myanmar, 1988-2012 (Ph.D. thesis). SOAS University of London. doi:10.25501/SOAS.00022807。
- Merz, Andrew (2008). Coercion, Cash-Crops and Culture: From Insurgency to Proto-State in Asia's Opium Belt (PDF) (Master thesis). Naval Postgraduate School.
- Okano, Hideyuki (2020). “Journal of Human Security Studies”. Journal of Human Security Studies 9 (2). doi:10.34517/jahss.9.2_92.
- Pathan, Don (2005). “Thailand's War on Drugs”. In Jelsma, Martin; Kramer, Tom; Vervest, Pietje. Trouble in the Triangle : Opium and the Conflict in Burma. Chiang Mai: Silkworm. ISBN 9789749575895
- Risser, Gary; Oum Kher; Sein Htun (2003). Running the Gauntlet: The Impact of Internal Displacement in Southern Shan State. Bangkok: Humanitarian Affairs Research Project. ISBN 9789749190258
- Secretary-General of the United Nations (2013). Children and armed conflict : report of the Secretary-General (PDF) (Report). New York.
- Shan Hunan Rights Foundation (1998). Dispossessed (PDF) (Report). Chiang Mai.
- Shan Human Rights Foundation (2017). As conflict escalates in Shan State, aid must not be cut off to Shan-Thai border refugees (PDF) (Report). Chiang Mai.
- Smith, Martin (1999). Burma: Insurgency and the Politics of Ethnicity. Dhaka: University Press. ISBN 9781856496605
- Thitiwut, Boonyawongwiwat (2018). The Ethno-Narcotic Politics of the Shan People. Lanham: Lexington Books. ISBN 9781498520164
- United Nations Office on Drugs and Crime (2018). Myanmar Opium Survey 2018 (PDF) (Report). Bangkok.