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八上城

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八上城(やがみじょう)は兵庫県篠山市にあった中世山城。国指定史跡

石見の人ともされる波多野稙通が戦功をあげて永正年間に多紀郡郡代に就任した際、多紀郡多冶山に築城して居城としたことから八上城の歴史が始まる。弘治3年(1557年)に一度松永久秀によって城を奪われたが、永禄9年(1566年)に波多野晴通秀治が奪還した。

天正3年(1575年)に織田信長の命を受けた明智光秀による攻略が開始され、毛利氏赤井氏の支援があったものの天正7年(1579年)に落城。波多野氏は滅亡した。この合戦で、明智光秀の母が磔になった城としても知られる。また、井上靖の『戦国無頼』の後半はこの落城時を舞台としている。

慶長7年(1602年)、前田茂勝が八上五万石を領して入城する。 慶長13年(1608年)に茂勝が改易され、入封した松平康重篠山城を築城したため八上城は廃城となった。

大阪歴史学会による保存運動がおこなわれ、2005年、文化庁より史跡に指定された。

参考文献

八上城研究会編『戦国織豊期城郭論―丹波国八上城遺跡群に関する総合研究―』(2000、和泉書院)

関連項目