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内山まもる

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内山まもるうちやままもる1949年1月16日 -)は、日本漫画家。男性。茨城県鹿島郡(現在は合併により鉾田市)出身。趣味はゴルフ。怪獣ブームの火付け役になった。

代表作に「ザ・ウルトラマン」、「リトル巨人くん」など。

氏の描くウルトラマンシリーズの漫画は今なおウルトラマンファンの中では評価が高い。

略歴

農家の長男で跡継ぎを期待されていたこともあり、漫画家になるつもりはなかった。だが中学卒業時に自分の漫画を姉が勝手にタツノコプロへ応募したのがきっかけで採用、2年間という約束で親に許しをもらい、タツノコに入社する。タツノコではアニメ部門に配属され、当時の九里一平(第3代社長)のもとで作画スタッフとして2年間働く。

在籍中に希望の友を出版していた潮出版社から、漫画を描かないかと誘われる。タツノコはバイト禁止だったため迷うも、知人女性の「やるべき」との助言により、内緒でタツノコのメンバーに手伝ってもらいながら32ページ描き上げる。その後小学館より誘いがあり「ジャンボーグA円谷プロダクション)」の連載を開始。これが漫画家としてのデビューであると本人は語っている。

その後小学館より再度誘いがあり「ウルトラマンを描かないか」と言われる。タツノコのライバルである円谷プロの作品だったこともあり、連載と同時にタツノコを退社、独立。このとき20歳。約束の2年間を過ぎたので親が連れ戻しに来たが、結局そのまま東京に残ったという。

小学館の学習雑誌などで「帰ってきたウルトラマン」「エース」「タロウ」「レオ」などを描き、レオ終了後の昭和50年、「小学三年生」4月号から「さよならウルトラ兄弟」を連載開始。この作品はのちに「ザ・ウルトラマン」と改題されてコロコロコミックに再掲載され、第三次ウルトラブームの一翼を担うことになり、内山も一気にブレイクする。

ウルトラマン連載後は「人間を描きたい」との思いから「リトル巨人くん」の連載を開始、これも単行本15巻を数えるヒット作となる。

以降、ゴルフ漫画等を連載するなどして現在に至る。

作品リスト

ウルトラマン

ウルトラマン以外の作品

ほか多数

外部リンク