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奉天第一中学校 (旧制)

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奉天第一中学校(ほうてんだいいちちゅうがっこう)は、南満州鉄道株式会社が旧・満洲国奉天市(現在の瀋陽市)に1919年4月、創設した旧制中学校。通称は「奉天一中」。

満州国崩壊後は、一時、瀋陽第39中学校と称していたが、中華民国時代は中山中学、現在は東北中山中学となっている[1]

代々木ゼミナール漢文科講師や同ゼミ町田校校長を務めた多久弘一が教諭として赴任し、教壇に立ったこともある[2]

出身者(一時在籍者も含む)

愛唱歌として親しまれている「北帰行」を1941年に作詞・作曲した宇田博(1922年 - 1995年)の出身校でもある。「二十歳のエチュード」の詩人原口統三1927年 - 1946年)は1939年に奉天一中に入学。その後、大連一中に転校して、第一高等学校文科乙類に入学した[3]

他に、映画「絵の中のぼくの村」のプロデューサーとして知られる建築家の庄幸司郎(1931年 - 2000年)、日本社会党衆議院議員だった松浦利尚、山一證券の元社長、会長の行平次雄、衞藤瀋吉元東大教授、岩﨑正夫元徳島大学教授、尚志学園尚志高等学校校長の佐藤信も出身者。

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