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市橋長富

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市橋 長富いちはし ながとみ文化2年2月22日1805年3月22日) - 安政6年11月20日1859年12月13日))は、近江仁正寺藩の第9代藩主。酒井忠徳の子。官位は従五位下。主殿頭。

1805年2月22日生まれ。1822年、先代藩主の市橋長発が若死にしたため、その縁戚に当たる経緯から後を継いで藩主となった。砲術家の高島四郎太夫から砲術を学んだ。1844年10月7日、養嗣子の市橋長和に家督を譲って隠居し、1859年11月20日に55歳で死去した。法号:性善院円山道覚大居士。墓所:東京都荒川区西日暮里の南泉寺。

先代
市橋長発
市橋氏(仁正寺藩9代)藩主
1822 - 1844
次代
市橋長和