岡本正重
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岡本 正重(おかもと まさしげ、永正10年(1513年)? - 天文14年(1545年)10月?)は、下野国の戦国時代の武将。居城は松ヶ嶺城。内匠頭を名乗る。岡本重親の子。塩谷義孝の側室となった娘と、正親、氏宗、光貞の3人の男子がいる。
概要
下野国塩谷郡の国人領主塩谷氏の重臣岡本重親の子で、系図によれば、清党(清原氏を祖とする芳賀氏を中心とした下野の武将一族)岡本氏の4代目の当主。ただ、代数については、父重親と祖父正高の親子関係が年代的に成立しないため疑わしい。
また、生没年についても、岡本氏の菩提寺である鏡山寺に残る系譜と烏山岡本系譜では異なり、鏡山寺岡本系譜では、天文14年に宇都宮氏と那須氏の合戦の際に佐久山にて33歳にて討死とし、烏山岡本系譜では天文18年(1549年)9月29日に30歳で討死したとしており、見解の違いが見られる。ただ、仮に烏山岡本系譜を正しいとすると、正重の生年は永正17年(1520年)となり、子である正親とは8歳しか違わないことになってしまうため、鏡山寺岡本系譜の方が正しいと考えられている。
事績についてはほとんど記録に残っていないが、娘を主君である義孝の側室にし、3人の男子を設けるなど、正重の時代の岡本氏は、かなり繁栄していたものと考えられている。