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三遊亭遊雀

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三遊亭 遊雀(さんゆうてい ゆうじゃく)は、落語家

遊雀を名乗った落語家は、過去に6人ほど確認されている。

  1. 初代三遊亭圓遊門下。後に三遊亭左圓遊から2代目三遊亭小圓遊を経て、2代目三遊亭圓遊を襲名。本名、吉田 由之助
  2. 初代圓遊門下。品川出身。遊太郎から、遊八を経て遊雀を名乗る。その他詳細は不明。
  3. 初代圓遊門下。上州で亡くなったということ以外の詳細は不明。
  4. 2代目圓遊門下。柳家小かね(本名:川上兼二郎)と同一人物と思われる。
  5. (生年月日不詳 - 1930年10月24日):通称「道灌遊雀」。本名、鈴木 八三郎。出来る噺が『道灌』『天災』『元犬』の3つしかないが、その代わり『道灌』などを演じさせればどんな客でも飽きさせなかったという。遊雀が楽屋入りをすると、真っ先にネタ帳(楽屋に備え付けられている帳面で、同じ噺が2度出ないようにするために、演者とその日に演じたネタを書き記す)に目を通し、これら3つの噺を誰かがやっていることが分かると、高座には上がらずに割(給金)だけを貰って帰ってしまっていた。道灌遊雀のこの行為は寄席では半ば公認になっていた。1917年の連名には「余興紹介圓遊社主任」の肩書きで出ている。晩年は貸金業を営んでいたという。
  6. 本名、畠山 太郎。本項にて詳述。

三遊亭 遊雀1965年昭和40年〉1月28日 - )は、千葉県船橋市出身の落語家。本名、畠山 太郎(はたけやま たろう)。落語芸術協会所属。出囃子は『粟餅』。

市川高等学校卒業。高校時代は陸上競技部に所属し、中長距離走をメインに競技する。その後、日本福祉大学に進学して中退。大学時代には落語研究会に所属し、地元の老人ホームなどで落語を披露していた。

略歴

著書

CD・DVD

CD

DVD

参考文献

外部リンク