神田武夫
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基本情報 | |
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国籍 |
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出身地 | 京都府 |
生年月日 | 1922年 |
没年月日 | 1943年7月27日 |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1941年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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神田 武夫(かんだ たけお、1922年 - 1943年7月27日)は、元南海の投手である。
人物
京都商を経て南海軍に入団。背番号は19。なお京都商時代に出場した甲子園では2度とも海草中に敗れており、特に1939年は嶋清一が大活躍した年である。
南海に入団した神田は一年目から先発としてチームを支え、25勝15敗、防御率1.59を記録。 チーム全体の43勝(41敗)の半分以上を稼ぎ、少ない投手陣の中で奮闘した。 翌年は20敗したものの24勝を挙げ、防御率も1.14を記録し、南海のエースとして活躍を見せた。
しかし神田は、プロ入り直前に肺病を患っており、病状は悪化していた。1943年は登板が無く、同年7月27日に死去。22歳という若さであった。
選手生活はわずか2年であったが、戦中の南海球団を支えた。
実働2年 113試合 49勝35敗 716回2/3 防御率1.36 228奪三振
シーズン防御率 歴代19位(1942年 防御率1.14)