コンテンツにスキップ

神田武夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。202.70.217.14(会話) による 2009年9月7日 (月) 07:41個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

神田 武夫
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府
生年月日 1922年
没年月日 1943年7月27日
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1941年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

神田 武夫(かんだ たけお、1922年 - 1943年7月27日)は、元南海の投手である。

人物

京都商を経て南海軍に入団。背番号は19。なお京都商時代に出場した甲子園では2度とも海草中に敗れており、特に1939年嶋清一が大活躍した年である。

南海に入団した神田は一年目から先発としてチームを支え、25勝15敗、防御率1.59を記録。 チーム全体の43勝(41敗)の半分以上を稼ぎ、少ない投手陣の中で奮闘した。 翌年は20敗したものの24勝を挙げ、防御率も1.14を記録し、南海のエースとして活躍を見せた。

しかし神田は、プロ入り直前に肺病を患っており、病状は悪化していた。1943年は登板が無く、同年7月27日に死去。22歳という若さであった。

選手生活はわずか2年であったが、戦中の南海球団を支えた。


実働2年 113試合 49勝35敗 716回2/3 防御率1.36 228奪三振

シーズン防御率 歴代19位(1942年 防御率1.14)