出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
細野正文(ほその まさふみ、1870年10月15日 - 1939年3月14日)は、明治期の官僚。
1896年東京高等商業学校(現一橋大学)卒、同年三菱合資会社入社。1994年同社を退社し逓信省入省。鉄道院副参事等を経て、1912年第1回鉄道院在外研究員としてのロシア留学の岐路に日本人としてただ一人乗船していたタイタニック号が沈没。その際他人を押しのけて救命ボートに乗ったとの誤報が広まり、新聞、教科書等で大きな批判を集めることとなり、翌1913年免官となる。免官後は鉄道事務官等を経て岩倉鉄道学校(現岩倉高等学校)で勤務。
1997年に正式に名誉回復がなされた。
作曲家の細野晴臣は孫。