コンテンツにスキップ

末永正雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。2400:2200:2b5:fc98:9275:2e04:e8dc:1b02 (会話) による 2020年1月15日 (水) 08:13個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎略歴)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

末永 正雄(すえなが まさお、1978年2月13日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の全日本プロドリフト選手権D1グランプリ)に参戦するレーサー。血液型はO型。2010年に結婚している。

略歴

  • 全日本プロドリフト選手権(D1グランプリ)には2002年から参戦。2015年までフル参戦したが、本業の都合もあり2016年はスポット参戦だった。その後、2017-18年までTRUSTよりGT-Rで参戦していた。2019年は再びプライベート参戦でスポット参戦

2020年はD-maxからS15で参戦予定

  • 最初はプライベーターとして参戦していたが、2004年から2015年までRE雨宮マツダ・RX-7(FD3S)で参戦していた。マシン(マツダ・RX-7(FD3S))は3台目まで存在する。現在は二号機に3台目と同じエアロが装着されている。このマシンにRE雨宮初のシーケンシャル(ヒューランド6速)を投入している。2011年にはNOS仕様のマツダ・RX-8に乗り換えシリーズ9位で終わっている。その後、2012年は総合9位、2013年は総合13位で終わっている。2014年に3ローターエンジン搭載のマツダ・RX-7(FD3S)に乗り換え、その年、総合2位、単走ではシリーズチャンピオンを獲得。
  • 2016年シーズンはプライベート参戦でS15を操った。2019年エビスラウンドよりこのマシンを再び使う予定。
  • 中学2年生からミニバイクレースに参戦し、高校2年生の時に鹿児島チャンピオンを獲得。その後モトチャンプ杯の九州大会に参戦し、SR50クラスでチャンピオンになり、全国大会に出場。20歳の時に北九州大会カートコースの練習で転倒、鎖骨骨折し、一時ミニバイクレースを休場した。その頃に現在D1参戦中の兄・末永直登の影響でドリフトを始める。最初はAE85を購入し怪我のため片手で練習する。その後AE86スカイライン(HR31)→AE86→シルエイティ→AE86→セフィーロ→AE86→シルビア(S13)→RX-7(FD3S)と乗り継ぎ、現在に至る。ちなみに直登は弟よりも1週間ドリフト歴が長い。
  • D1グランプリでは2005年・ROUND2でD1初の兄弟対決が実現し、正雄が勝利。2010年の「TOKYO DRIFT IN ODAIBA」では、ドリームマッチ追走で兄に惜敗した。(この時点での兄弟対決は兄1勝 弟2勝である)2005年から好成績を納めるようになり、ROUND6(富士スピードウェイ)で初優勝。最終戦までチャンピオン争いをするに至った。チームオーナーの雨宮勇美を始めチームからの信頼も高く、RE雨宮のドライバーとして2015年まで参戦が継続していた。なお植尾勝浩とはかつて同じチームに所属し、師弟関係にあった。
  • 愛車は、白のマツダ・RX-7(FD3S)にエアコン、内装も取り外しし、RE雨宮のフルエアロを装着した仕様。こちらの車は2006年ストリートリーガルにて参戦、シリーズランキング2位になっている。そしてもう一台、黒のRX-7(FD3S)。こちらはエアコン付き仕様でほぼノーマル車、自分で初めてエンジンをOHしたらしく愛着があるとのこと。また、S15シルビアも所有している。

エピソード

  • D1選手のなかでは少数派である自動車関係以外の仕事をしており、普段の仕事場である南日本新聞社に勤めている姿がビデオオプションで紹介されている。海外参戦に消極的な理由に「あまり休暇を取りすぎると解雇されるから」としている。