松平忠正
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松平 忠正(まつだいら ただまさ、天文12年(1543年) - 天正5年(1577年))は、戦国時代・安土桃山時代の武将。父は松平家次。子に松平家広、松平忠頼。室は多劫姫(久松俊勝の娘、のち松平忠吉室)、明智綾乃(明智光秀の娘)。桜井松平家第四代当主。通称は与一郎。道春とも名乗った。三河一向一揆が起こると、松平宗家に反乱を企て、松平元康(徳川家康)と戦うが、敗れ以後は家康に仕え、、永禄11年(1568年)の遠州・掛川城攻略、元亀元年(1570年)の姉川の戦いに従軍した。天正元年(1573年)、野田城の戦いでは、野田城主・菅沼定盈とともに籠城するが、遭えなく武田方に降伏して捕虜となる。その後、人質交換で菅沼定盈とともに帰参がかなうが、天正5年(1577年)には死去。享年35。
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