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湖南市

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こなんし ウィキデータを編集
湖南市
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 滋賀県
市町村コード 25211-5
法人番号 2000020252115 ウィキデータを編集
面積 70.40km2
総人口 53,498[編集]
推計人口、2024年6月1日)
人口密度 760人/km2
隣接自治体 野洲市栗東市
甲賀市蒲生郡竜王町
市の木 ウツクシマツ
市の花 サツキ
市の鳥 ウグイス
湖南市役所
市長 生田邦夫
所在地 520-3288
滋賀県湖南市中央一丁目1番地
外部リンク 湖南市インデックスページ
ウィキプロジェクト

湖南市(こなんし)は、2004年10月1日滋賀県甲賀郡石部町甲西町が合併して新たに誕生したである。発足時の人口は56,076人。滋賀県の南東部に位置し、旧甲賀郡の西端に属する。市の南北に阿星山系、岩根山系を擁し、中心部を東西に野洲川が流れる。野洲川に沿うように国道1号草津線が走り、東西交通の要衝となっている。江戸時代には旧東海道を往来する人や物で東海道51番目の宿場町である石部宿が栄えた。戦後は、高度経済成長とともに、隣接の栗東市(当時栗東町)に造られた名神高速道路栗東インターを活用して、県内最大の工業団地である「湖南工業団地」が造成され、第二次産業に大きくシフトした構成となっている。湖南という名を冠しているが、琵琶湖とは接していない。ちなみに、東浅井郡湖北町は琵琶湖と接しているが、2005年2月11日に合併し東近江市となることで消滅した愛知郡湖東町は、琵琶湖と接していなかった。

歴史

市の歴史

  • 2004年10月1日 合併、市制施行(市長職務執行者・西岡種夫)。社会福祉法人湖南市社会福祉協議会発足(会長・西尾邁)。湖南市体育協会発足(会長・青木善政)。
  • 2004年10月8日 湖南市議会初議会(矢野進次議長、中野栄徳副議長。議員36人)。
  • 2004年11月3日 秋の叙勲。旭日小綬章(地方自治功労)植西佐吉・元旧甲西町長。旭日双光章(地方自治功労)青木善政・前滋賀県議会議員
  • 2004年11月6日 市立岩根小学校創立130周年記念式典。
  • 2004年11月7日 初代市長選挙(谷畑英吾11,518票、関治夫7,112票、今井洸一2,111票)。
  • 2004年11月13日 市立下田小学校創立130周年記念式典。
  • 2004年11月25日 甲西リハビリ病院新病棟竣工式(夏見)。
  • 2004年12月3日 湖南市、バリアフリー化推進功労者表彰内閣総理大臣賞受賞。
  • 2004年12月4日 湖南市誕生式。湖南市・北海道比布町友好交流都市提携。
  • 2005年1月12日 カルビー(株)近畿カンパニー滋賀工場(のちカルビー湖南(株))新築フライヤー火入式。
  • 2005年3月16日 社団法人湖南工業団地協会設立30周年(会長・高畑松夫)。
  • 2005年3月29日 危険業務従事者叙勲。瑞宝単光章(警察功労)神田晏治・元滋賀県警警視。瑞宝単光章(矯正業務功労)上野光夫・元滋賀刑務所副看守長。
  • 2005年4月1日 三雲東学区学童保育所設置(三雲)。湖南市少年センター設置(石部中央)。社団法人湖南市シルバー人材センター発足(理事長・望月三蔵)。湖南市文化協会発足(会長・高谷忠彦)。
  • 2005年4月4日 石部町商工会・甲西町商工会 商工会合併に関する基本協定書調印式。湖南市健康推進員協議会発足。
  • 2005年4月16日 菩提寺優愛保育園モンチ竣工式。
  • 2005年4月22日 湖南市視覚障害者福祉協会発足(会長・谷口照男)。
  • 2005年4月24日 湖南市陸上競技協会発足(会長・奥村展三)。
  • 2005年4月28日 湖南市総合計画審議会(会長・西川幸治京都大学名誉教授)設置。
  • 2005年5月9日 湖南市観光物産協会発足(会長・高畑松夫)。
  • 2005年5月15日 フットサル滋賀連盟石部スタジアムオープン。湖南スポレクJrクラブ発足。石部駅安全パトロール発足式。
  • 2005年5月30日 小泉顕雄文部科学大臣政務官スクールミーティング(石部中学校)。
  • 2005年6月2日 知的障害者・高齢者デイサービスセンター「デイサービスセンターらく」、地域交流スペース「OPEN SPACE れがーと」竣工式(西峰町)。
  • 2005年6月4日 湖南市身体障害者更生会発足(会長・井田裕司)。
  • 2005年6月24日 湖南市工業会発足(会長・園田英次)。
  • 2005年6月29日 湖南市介護保険事業者協議会発足。
  • 2005年7月3日 湖南市手をつなぐ親の会発足(会長・長谷平官)。
  • 2005年8月5日 市議会が「非核平和都市宣言」を議決。
  • 2005年9月8日 三菱自動車株式会社パワートレイン製作所滋賀工場新型エンジン生産開始式。
  • 2005年10月6日 甲西町産業経済懇話会(会長・青木善政)が湖南市産業経済懇話会(会長・高畑松夫)に衣替え。
  • 2005年10月23日 市議会議員一般選挙(定数24、立候補26)。
  • 2005年11月3日 秋の叙勲。旭日双光章(地方自治功労)西岡種夫・元旧石部町長。瑞宝単光章(水位観測業務功労)前田精一・元野洲川三雲水位観測所観測員。
  • 2005年11月7日 湖南市議会臨時会(立入勲議長、福島清彦副議長。議員24人)。
  • 2005年11月12日 初の湖南三山同時公開(~11月27日)。参拝者延べ25,600人 
  • 2005年11月20日 市制1周年記念式典。
  • 2005年12月6日 市議会が「人権尊重都市宣言」を議決。
  • 2006年2月2日 湖南市立図書館統合新コンピュータシステム運用開始。
  • 2006年3月20日 湖南市立湖南労働衛生センター移転新築竣工式(西峰町)。
  • 2006年4月1日 湖南市商工会発足(会長・小山達慈、4月3日開所式)。
  • 2006年4月9日 田村一二記念館開館(東寺)。
  • 2006年4月14日 湖南市老人クラブ連合会第1回総会(会長・池上幸男)。 

行政区画の変遷

1871年(明治4)7月14日廃藩置県が実施され、1872年(明治5)9月にはほぼ現在の滋賀県の輪郭が形成された。一方、明治政府は戸籍法に基づく区の設置を進めており、同年10月、滋賀県下12郡に158区が定められた。湖南市の区域は、同年4月7日の区制施行により、石部、東寺、西寺、柑子袋、平松、針、夏見、吉永、三雲、岩根、朝国、菩提寺、正福寺の各村が甲賀郡第1区とされ、下田村は甲賀郡第2区に編入された。甲賀郡には第1区から第10区まで設けられ、甲賀郡第2区は下田村のほかに春日、畑(のち八田村となる)、伴中山、下山、上、下、堂(のち3ヶ村で山村となる)各村から構成されていた。滋賀県では区制の時期にも区の下に町村を併置して行政運営を行ってきたが、1878年(明治11)には戸籍法制定時に人為的に設けた区を廃止して町村を行政組織の末端とする郡区町村編制法が施行されたことにより、翌1879年(明治12)には各村が再び独立した。この際、町村ごとに1人ずつ戸長を置くこととされていたが、東寺、西寺両村は連合戸長制度を取り入れ、さらに1885年(明治18)7月1日には連合戸長 役場が石部(石部、東寺、西寺各村)、三雲(柑子袋、平松、針、夏見、吉永、三雲各村)、岩根(岩根、朝国、菩提寺、正福寺各村)、春日(下田、春日、八田、伴中山、下山、山各村)にそれぞれ設置された。1889年(明治22)4月1日町村制施行により村合併が実施され、石部村(石部、東寺、西寺)、三雲村(柑子袋、平松、針、夏見、吉永、三雲)、岩根村(岩根、朝国、菩提寺、正福寺)が誕生し、春日連合戸長 役場管内では下田村が伴谷村(春日、八田、伴中山、下山、山)とは分離独立した。このうち下田村は、当初連合区域踏襲論に圧され一旦伴谷村に編入されることを了承したが不満として再度周囲を説得し独立することとなった(明治の大合併)。1903年(明治36)6月1日、石部村は町制を施行し、石部町となる。1941年(昭和16)には、戦時政策として、石部町と三雲村の柑子袋、平松、針、岩根村の菩提寺、正福寺との合併が検討されたが実現していない。 1953年(昭和28)に市町村合併促進法が制定され、県の甲賀地方事務所は石部町、三雲村、岩根村、下田村の4ヶ町村の合併を提案したが、下田村は中学校建設問題や苗村や鏡山村との合併も視野に脱退し、残る1町2村の意見も容易に一致しなかった。石部町が新町名に石部町、仮庁舎・本庁舎とも石部を主張したのに対し、2村は役場位置を3町村の中間地点に置くべきと主張し、議論が平行線をたどったため、石部町を除いた三雲村と岩根村が1955年(昭和30)4月10日合併し、甲西町となった。その後、1957年(昭和32)1月に出された県知事の勧告を受けて、翌1958年(昭和33)10月1日、下田村が甲西町に編入合併されたが、1959年(昭和34)11月に出された内閣総理大臣の勧告にもかかわらず、石部町と甲西町との合併は実現しなかった(昭和の大合併)。地方分権の流れを受けて、2004年(平成16)10月1日、石部町と甲西町が合併し、湖南市が誕生した(平成の大合併)。

地理

滋賀県の南東部に位置し、旧甲賀郡の西端に属する。心臓のような形をした市域の南北は落ち着いた山並みに囲まれており、琵琶湖に注ぐ最大の河川である野洲川が東西に流れ、市域を南北に分断している。そのため、市の中心域が狭窄域となり、しばしば周囲から流入する自動車の渋滞を引き起こす。市南部を圧する山地は、西部の阿星山(693.1m)から東に向けて美松山(227.3m)、人星山(600.1m)、大納言(550.5m)、風呂山(596.1m)、烏ヶ嶽(485.7m)、鹿が谷(231.3m)、横田山(234m)を経て、最東端の伝芳山に至る。この山並みの南側は甲賀市信楽町栗東市となっている。また、市北部には、岩根山(405.5m)から西へ龍王山(353.3m)へと至る山系があり、その北部は蒲生郡竜王町野洲市と接している。これら両山系の間を東から西に流れ、琵琶湖に注ぐのが野洲川で、この野洲川に、両山系からは、大沙川、由良谷川、家棟川(平地化)、落合川、高田砂川など多くの天井河川が流れ込んでおり、狭窄部である市域の東西交通の円滑をさらに阻害している。

  • 野洲川(横田川)
  • 岩根山
  • 阿星山
  • 竜王山(菩提寺山)

行政

市の四役

行政組織

市長および助役の下に、湖南市事務分掌条例に基づき、市長の権限に属する事務を処理させるため総務部(政策秘書課、総務課、企画調整課、税務課、財務課)、市民生活部(市民課、環境課、安心安全課、人権政策課、まちづくり推進課)、健康福祉部(健康政策課、社会福祉課、子育て支援課、高齢福祉介護課、地域医療推進課、保健福祉課)、産業建設部(建設課、農林課、商工観光課、都市計画課、上下水道課)の4部と、部の事務の一部(旧石部町域に関する事務)を分掌させる地域調整局(市民生活課)が設置されている。また、教育委員会の下に、教育委員会の権限に属する事務を処理させるため教育部(教育総務課、学校教育課、生涯学習課、人権教育課)が設置されている。さらに、選挙管理委員会、監査委員公平委員会農業委員会固定資産評価審査委員会などの多元的な委員会等が設置されている。

議会

湖南市議会は、2004年10月1日の市発足と同時に発足し、合併前の旧石部町議会議員16名および旧甲西町議会議員20名の計36名が在任特例により市議会議員となった。2004年10月8日に初議会を開き、議長に旧甲西町議会副議長の矢野進次、副議長に旧石部町議会副議長の中野栄徳を選出した。最初の議員の任期は在任特例により2005年10月31日までの1年1ヶ月となった。市議会発足当初の会派構成は、新政会(代表・立入勲、15人)、湖南クラブ(代表・大隅三郎、9人)、湖南市日本共産党議員団(代表・奥村信夫、6人)、公明党湖南市議員団(代表・國枝昭太郎、3人)、無所属住民派クラブ(代表・植中都、3人)で、その後湖南市日本共産党議員団から1人が市長選挙に出馬、新政会から議長が選出され、無所属住民派クラブからひき逃げにより1人無会派となった。合併後初めての市議会議員選挙は、2005年10月16日に告示され、26人(現職23人、新人3人)が立候補した。10月23日投開票され、24人が当選(現職21人、新人3人)、2005年11月7日に初議会が招集され、議長に立入勲、副議長に福島清彦を選出した。会派構成は、新政会(代表・矢野進次、12人)、湖南市日本共産党議員団(代表・坂田政富、3人)、公明党湖南市議員団(代表・鈴木美智枝、3人)、無所属住民派クラブ(代表・植中都、2人)、湖南クラブ(代表・松本浩有、2人)、無会派1人で新政会から議長が選出されている。議会事務局は、湖南市議会事務局設置条例に基づき設置され、4名の職員がいる。

交通

鉄道

市の南部を西日本旅客鉄道(JR西日本)の幹線鉄道である草津線が東西に走る。草津線は、1889年関西鉄道として三雲駅草津駅間が開通、翌1890年に三雲駅・上柘植駅間が開通し、1906年鉄道国有法に基づき1908年国有化された。市内の駅は三雲駅、甲西駅石部駅だが、このうち甲西駅は1981年びわこ国体に合わせて設置された請願駅である。草津線は単線だが、三雲駅と石部駅には行違設備がある。現在、甲西駅に行違設備を設置することが検討されている。東海道新幹線の最寄駅は京都駅だが、2012年に(仮称)南びわ湖駅が開業する予定とされている。

道路

市域には、北西部をかすめるように名神高速道路が走り、菩提寺パーキングエリアが設置されている。最寄のインターチェンジは竜王ICと栗東ICである。地形の項で触れたように、市域は南北の山系と東西に流れて市域を分断する野洲川により狭窄部を形成しているが、広域幹線道路が十分に整備されていないところに自動車が集中するため、しばしば渋滞を慢性化させる。毎朝のラジオの道路情報で、上下方向とも毎日慢性的な渋滞を起こしているのは滋賀県内でも国道1号線「湖南市石部口」交差点だけであり、それに加えて、「湖南市柑子袋」「湖南市平松」「湖南市針」「湖南市夏見」「湖南市三雲」というのは、ドライバーにとって耳慣れた地名となっている。野洲川左岸、つまり南側を走る国道1号は片側1車線で歩道未整備区間も長く、1日28,000台という通過車両数はすでに飽和状態に達している。特に、「湖南市石部口から横田橋にかけて6キロ以上渋滞しています」という道路交通情報センターのアナウンスは、湖南市内の端から端までが渋滞していることを示し、溢れ出した自動車は旧東海道などの生活道路にまで流入している。現在、国道1号バイパスが高規格道路として野洲川右岸に建設中である。

栗東インターチェンジ(栗東市)
竜王インターチェンジ(竜王町)

隣接する自治体

市域の東部から南部にかけては、合併までともに旧甲賀郡を形成してきた甲賀市が隣接するが、湖南市と甲賀市は、「甲賀広域行政組合」(管理者:中嶋武嗣・甲賀市長)において消防や衛生業務を、「公立甲賀病院組合」(管理者:谷畑英吾・湖南市長)において病院業務を共同経営している。市域の北東辺には蒲生郡竜王町が存在するが、旧下田村との交流が深く、現在はダイハツ滋賀工場が市町境を越えて立地している。市域の北西部には野洲市があるが、市内菩提寺の新興住宅地に住む市民は東海道本線野洲駅を利用することが多い。野洲市、竜王町と湖南市は、「野洲・湖南・竜王総合調整協議会」を設け、2市1町に共通する広域課題を調査研究している。市域の西で境を接する栗東市は、歴史的に市内石部とのつながりが深いが、両市で「栗東市湖南市広域行政協議会」を設置して連携を強めている。

学校等

小学校

  • 湖南市立下田小学校  (湖南市下田)
  • 湖南市立水戸小学校  (湖南市水戸町)
  • 湖南市立岩根小学校  (湖南市岩根)
  • 湖南市立三雲東小学校 (湖南市三雲)
  • 湖南市立三雲小学校  (湖南市夏見)
  • 湖南市立菩提寺小学校 (湖南市菩提寺)
  • 湖南市立菩提寺北小学校(湖南市菩提寺)
  • 湖南市立石部小学校  (湖南市石部中央)
  • 湖南市立石部南小学校 (湖南市丸山)

中学校

  • 湖南市立日枝中学校  (湖南市岩根、下田・水戸小学区)
  • 湖南市立甲西中学校  (湖南市針、三雲・三雲東小学区)
  • 湖南市立甲西北中学校 (湖南市正福寺、岩根・菩提寺・菩提寺北小学区)
  • 湖南市立石部中学校  (湖南市宝来坂、石部・石部南小学区)

高等学校

  • 滋賀県立甲西高等学校 (湖南市針)
  • 滋賀県立石部高等学校 (湖南市丸山)

公立幼稚園

  • 湖南市立菩提寺幼稚園
  • 湖南市立石部幼稚園
  • 湖南市立石部南幼稚園

私立幼稚園

  • 学校法人光星学園ひかり幼稚園
  • 学校法人光星学園水戸幼稚園
  • 学校法人光星学園三雲幼稚園

公立保育園

  • 湖南市立下田保育園
  • 湖南市立水戸保育園
  • 湖南市立岩根保育園
  • 湖南市立菩提寺保育園
  • 湖南市立三雲保育園
  • 湖南市立平松保育園
  • 湖南市立石部保育園
  • 湖南市立阿星保育園

私立保育園

  • あしほ保育園
  • 甲西あかつき保育園
  • 菩提寺優愛保育園モンチ

その他

  • 滋賀県立三雲養護学校 (湖南市柑子袋)

市内の主要企業

名所・観光・レジャー

  • 自然 うつくし松自生地(天然記念物)<平松> 弘法杉<吉永> 野洲川
  • 湖南三山 善水寺国宝)<岩根東> 長寿寺国宝)<東寺> 常楽寺国宝)<西寺>  ※飛鳥から奈良朝中期に建立された天台寺院で国宝指定された建築物が湖南市内に3ヶ寺あることから付けられた名称。2004(平成16)年10月1日に合併により、旧石部町の長寿寺常楽寺と旧甲西町の善水寺が湖南市という一つの行政区域でまとまることにより実現した。2005(平成17)年11月12日から11月27日までは、3ヶ寺が初めて同時公開を実施した。11月20日には湖南市誕生1周年記念祭も挙行され、同時に東海道石部宿まつりも行われた。期間中、JR甲西駅から循環バスが運行され、大勢の参拝者で賑わった。
  • その他社寺 妙感寺<三雲> 永照院<三雲> 正念寺<菩提寺> 西應寺<菩提寺> 菩提禅寺・廃少菩提寺<菩提寺> 斎神社<菩提寺> 八王子神社<菩提寺> 吉姫神社<石部東> 吉御子神社<石部西> 正福寺<正福寺> 和田神社<菩提寺>
  • 旧跡 石部宿<石部> 磨崖不動明王<花園など> 三雲城跡<吉永> 天保義民碑<三雲>
  • レジャー 近江カントリー倶楽部<菩提寺> 甲賀カントリー倶楽部<三雲> 十二坊温泉ゆらら(市営)<岩根> 野洲川親水公園(市営)<夏見> じゅらくの里(市営)<東寺・西寺> 大谷観光ぶどう園<下田>
  • まつり 勧請縄吊(1月:東寺、西寺) 鬼ばしり(1月:長寿寺常楽寺) さくら祭り(4月:にごり池、雨山) ぼんのこ・へんのこ祭り(7月:平松) 白餅(8月:妙感寺) 夏まつり(8月:野洲川) 宿場まつり(11月:旧東海道石部宿) 斎神社例祭(4月29日)

特産品

  • 焼き物 下田焼 石部焼
  • 地 酒 香の泉(竹内酒造、石部中央) 御代栄(北島酒造、針)
  • 染め物 正藍染(紺喜、下田)
  • 農産物 下田なす 弥兵衛唐辛子

著名人

友好交流提携都市

北海道比布町

1894年10月、下田村出身の谷定徳が旭川を尋ね、比布原野で植民地区画が行われていることを知り、翌1895年、下田の20戸を率いて自ら団長となり入植した。谷定徳が下田村を離れた理由には下田村の小学校移転問題が絡んでいたと伝えられるが定かではない。当初予定の30戸に満たないという理由で貸下げ地の大量返納が命ぜられたところに、第2次(13戸)、第3次(12戸)の移住があったが、後発組は小作人屯田兵とならざるをえなかった。1898年6月、谷定徳は32歳の若さで死去。谷定徳に頼ることのできなくなった下田開拓団は一致協力して新たな開墾に立ち向かった。鷹栖村に属していた比布原野は独立の動きが生じ、1906年4月、二級町村制に基づく比布村が誕生した。1921年4月には早くも一級町村制が施行されたが、1927年10月には一・二級町村制の改正により町村制に移行した。1962年1月、町政を施行し、1994年には「開基百年」を迎えた。その際に、開拓者に縁のある滋賀県香川県愛媛県との交流をはじめたが、下田村が合併した滋賀県甲西町とは、1998年に友好交流提携を行った。その後甲西町は合併により湖南市となったが、2004年12月に、合併後の湖南市と比布町は、改めて友好交流提携を再確認している。

外部リンク