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渡部あきのり

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渡部 あきのり
基本情報
本名 渡部 信宣
階級 ウェルター級
身長 175cm
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1985-07-10) 1985年7月10日(39歳)
出身地 埼玉県北葛飾郡杉戸町
スタイル サウスポー
プロボクシング戦績
総試合数 25
勝ち 21
KO勝ち 19
敗け 4
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渡部 あきのり(わたなべ あきのり、男性、1985年7月10日 - )は、日本プロボクサーリングネームは本名の渡部 信宣(読み同じ)から牛若丸 あきべぇ(うしわかまる - )を経て、現在のものになった。埼玉県北葛飾郡杉戸町出身。協栄ボクシングジム所属。花咲徳栄高等学校卒業。

目標のボクサーとして鬼塚勝也を挙げている。

来歴

ボクシングの名門校である埼玉県の花咲徳栄高校ボクシング部出身。インターハイ準優勝の実績がある。

高校在学中に協栄ジムに入門し、卒業直前の2004年2月16日に本名の「渡部信宣」でプロデビュー。デビュー戦を4R判定勝ちで飾る。

2005年9月27日、東日本ウェルター級新人王トーナメント準決勝で前川洋昭に対し2RKOで勝利。その後、予定されていた決勝戦の対戦相手が棄権したことによる昇格で、東日本ウェルター級新人王を獲得した。

2005年12月18日、細川貴之に2RKO勝利を収めて全日本ウェルター級新人王となり、MVPに選ばれた。

2006年3月下旬にはパウンド・フォー・パウンド最強といわれるフロイド・メイウェザー・ジュニアの依頼を受けスパーリングパートナーとして渡米した。スパーリング後、メイウェザーに「俺は世界一強い男なんだから、一発も当たらなくてもくよくよすんなよ」と慰められた。

「江戸乃牛若丸」のニックネームでジムメイトの亀田興毅亀田大毅の前座を務め、2006年6月に正式に亀田史郎に弟子入り。練習メニューのほとんどを亀田兄弟と共にこなすようになる。リングネームを「牛若丸あきべぇ」に変更した。

2006年9月27日、金燦鐘(キム・チャンジョン)との試合において、キムがレフェリーの指示を勘違いし、コーナーの方向に背を向けて歩いていたところを背後から側頭部へのパンチでKOするという珍しい展開があった。

2006年11月20日、インドネシアウェルター級2位のシャムスル・ヒダヤットを初回TKOで破り、日本ウェルター級1位にランクアップした。2007年4月に日本タイトルに初挑戦する予定であったが、挑戦権があるにもかかわらず対戦を回避した。

2007年6月に、亀田一家から“卒業”し、元通り協栄ジムでトレーニングを開始。9月17日にWBA世界11位のファルカド・バキロフと対戦。8RTKO勝ちを収め、浜田剛史が従来持っていた日本人選手の連続KO勝ち記録(15連続KO)と並ぶタイ記録を達成するが、後にバキロフは練習時間が2週間しか貰えなかったことを明かした。

2007年12月6日に日本ウェルター級タイトルマッチを湯場忠志と行い、1R湯場からダウンを奪うもすぐに2度倒し返され、1R1分30秒KO負け。日本タイトル初挑戦は失敗に終わった。

2008年4月21日、日本ウェルター級5位の上石剛を相手に再起戦を行うが、1R2分41秒TKO負け。

2008年10月8日、この年からA級トーナメントから変わった日本タイトル挑戦権獲得トーナメント「最強後楽園」ウェルター級決勝で、日本同級6位の中川大資に3RTKO負けを喫し3連敗となった。日本ウェルター級9位にランクは下がり、この年11月、リングネームを「渡部あきのり」に変更した。

2009年6月14日、日本ウェルター級8位として同ミドル級6位の古川明裕と71.0kg契約10回戦を行った。初回に左ストレートでダウンを奪って攻勢をとり、4Rにカウンターの右フックで再び古川をダウンさせたところでタオルが投入され、この回KO勝利で再起を果たした。

2009年8月22日、レイジングバトル70.0kg契約準決勝で日本ウェルター級7位として海老根範充と対戦し、初回KO勝利を収めた[1]

2009年10月23日、同トーナメント決勝で日本ウェルター級6位として同ミドル級5位の岳たかはしと対戦。2-0(39-37、39-38、38-38)の判定勝利で優勝を収め、MVPも獲得した[2]

2010年2月22日、OPBFミドル級11位・日本ウェルター級6位として、OPBFスーパーウェルター級8位・日本同級4位の湯場忠志と2年2か月ぶりの再戦をスーパーウェルター級8回戦で行い、2Rからは試合を優位に進めたが、5Rに左アッパーからの連打を受け、この回TKO負けを喫した。

2010年6月24日、2年ぶり2度目の出場となった日本タイトル挑戦権獲得トーナメントウェルター級準決勝で日本8位として10位の出田裕一と対戦し、最終6RTKO勝利を収めて再起を果たした[3]。同年9月5日、同トーナメント決勝で8位として6位の下川原雄大と対戦し、4RTKO勝利を収めて日本ウェルター級王座への挑戦権を獲得した[4]

戦績

  • アマチュアボクシング:20戦15勝 (6KO・RSC) 5敗
  • プロボクシング:25戦21勝 (19KO) 4敗 (4KO)
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 2004年2月16日 勝利 4R 判定3-0 大川泰弘 日本の旗 日本
(オークラ)
プロデビュー戦
2 2004年10月18日 勝利 1R 2:15 KO 田辺修輔 日本の旗 日本(ジャパンスポーツ) -
3 2005年6月14日 勝利 1R 2:00 TKO 飯塚ひろき 日本の旗 日本
(高崎)
東日本ウェルター級新人王トーナメント予選
4 2005年8月5日 勝利 1R 1:29 KO 神宮寺一朝 日本の旗 日本
(ワタナベ)
東日本ウェルター級新人王トーナメント準々決勝
5 2005年9月27日 勝利 2R 1:17 KO 前川洋昭 日本の旗 日本
(帝拳)
東日本ウェルター級新人王トーナメント準決勝/決勝戦の相手の棄権により同新人王獲得
6 2005年12月18日 勝利 2R 1:10 KO 細川貴之 日本の旗 日本
(六島)
全日本ウェルター級新人王決定戦(MVP獲得)
7 2006年3月8日 勝利 2R 2:33 TKO 西川和孝 日本の旗 日本
(中外)
-
8 2006年5月5日 勝利 8R 1:35 KO ルイス・オカモト 日本の旗 日本(相模原ヨネクラ) -
9 2006年8月2日 勝利 1R 1:02 KO 千然宇 大韓民国の旗 韓国 -
10 2006年9月27日 勝利 1R 2:31 KO 金燦鐘 大韓民国の旗 韓国 -
11 2006年11月20日 勝利 1R 1:10 TKO シャムスル・ヒダヤット インドネシアの旗 インドネシア -
12 2007年2月23日 勝利 1R 1:15 KO ジョコー・トゥンガル インドネシアの旗 インドネシア -
13 2007年3月24日 勝利 1R 0:30 KO マルコ・トゥフムリー インドネシアの旗 インドネシア -
14 2007年4月30日 勝利 4R 2:23 KO ダルシム・ナンガラ インドネシアの旗 インドネシア -
15 2007年5月23日 勝利 2R 1:50 KO ジャック・マカン インドネシアの旗 インドネシア -
16 2007年9月17日 勝利 8R 2:28 TKO ファルカド・バキロフ ウズベキスタンの旗 ウズベキスタン -
17 2007年12月6日 敗北 1R 1:30 KO 湯場忠志 日本の旗 日本(都城レオスポーツ) 日本ウェルター級タイトルマッチ
18 2008年4月21日 敗北 1R 2:41 TKO 上石剛 日本の旗 日本(コーエイ小田原) -
19 2008年10月8日 敗北 3R 1:44 TKO 中川大資 日本の旗 日本
(帝拳)
日本タイトル挑戦権獲得トーナメントウェルター級決勝戦
20 2009年6月14日 勝利 4R 0:38 KO 古川明裕 日本の旗 日本
(ワールド日立)
71.0kg契約
21 2009年8月22日 勝利 1R 1:06 KO 海老根範充 日本の旗 日本
(国際)
レイジングバトル70.0kg契約準決勝
22 2009年10月23日 勝利 4R 判定2-0 岳たかはし 日本の旗 日本
(新田)
レイジングバトル70.0kg契約決勝(MVP獲得)
23 2010年2月22日 敗北 5R 1:05 TKO 湯場忠志 日本の旗 日本(都城レオスポーツ)
24 2010年6月24日 勝利 6R 0:58 TKO 出田裕一 日本の旗 日本
(ヨネクラ)
日本タイトル挑戦権獲得トーナメントウェルター級準決勝
25 2010年9月5日 勝利 4R 1:35 TKO 下川原雄大 日本の旗 日本
(角海老宝石)
日本タイトル挑戦権獲得トーナメントウェルター級決勝
テンプレート

獲得タイトル

  • 第62回東日本ウェルター級新人王
  • 第52回全日本ウェルター級新人王 (MVP)
  • 第1回レイジングバトル70.0kg契約優勝 (MVP)
  • 第3回日本タイトル挑戦権獲得トーナメントウェルター級優勝

脚注

関連項目

外部リンク