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水谷勝

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水谷勝(みずたに まさる, 1949年10月7日生 - )は、愛知県出身のオートバイロードレースライダー。

来歴

「東海の暴れん坊」、「ミスター・スズキ」の異名を持つ 。

1982年に、全日本ロードレース選手権の最高峰である500ccのクラスにおいて、参戦レース7戦全勝で、国際A級500ccクラスチャンピオンに輝く。 1980年代、全日本ロードレース選手権最高峰の国際A級500ccロードレースにおいて、スズキのエースライダーとして、ライバルであるヤマハ平忠彦との壮絶なバトルを展開し、ロードレースを盛り上げた。 1985年から1987年にかけてウォルター・ウルフカラーリングで参戦した。

現在は、自身のロードレースチームであるTeam MIIR(チーム エム・ツー・アール)を立ち上げ、全日本ロードレース選手権 JSB1000クラス、鈴鹿8時間耐久ロードレースに参戦を行っている。

戦績

  • 1976年 - 全日本筑波大会ジュニア250cc ロードレース初出場 ジュニア250ccクラス チャンピオン
  • 1977年 - 国際A級昇格
  • 1979年 - 全日本ロードレース選手権 国際A級750ccクラス チャンピオン
  • 1981年 - スズキ契約ライダー
  • 1982年 - 破竹の7連勝で全日本ロードレース選手権 国際A級500ccクラス チャンピオン
  • 1984年 - 全日本ロードレース選手権500ccクラス ランキング4位
  • 1985年 - 全日本ロードレース選手権500ccクラス ランキング2位(ウォルター・ウルフカラー)
  • 1986年 - 全日本ロードレース選手権500ccクラス ランキング3位(ウォルター・ウルフカラー)世界選手権スポット参戦(オランダグランプリ14位、ベルギーグランプリ13位)
  • 1987年 - 全日本ロードレース選手権500ccクラス ランキング5位(ウォルター・ウルフカラー)
  • 1988年 - 全日本ロードレース選手権500ccクラス ランキング4位

ロードレースを一時引退、四輪のレースに参戦する傍ら、若手ライダーの育成を行う

  • 1987年 - ロードレースを再開。鈴鹿8時間耐久レースに参戦 36位
  • 1998年 - 鈴鹿8時間耐久レース リタイア
  • 1999年 - 鈴鹿8時間耐久レース 24位(チーム ライディングスポーツ)
  • 2000年 - 鈴鹿8時間耐久レース 37位(スズキ創立80周年記念チーム)
  • 2001年 - 鈴鹿8時間耐久レース 34位(Team SURF JAJA)
  • 2002年 - 鈴鹿8時間耐久レース 34位(Team MIIR)
  • 2003年 - 鈴鹿8時間耐久レース 24位(Team MIIR)
  • 2004年 - 鈴鹿8時間耐久レース 規定周回数走行できず(Team MIIR)
  • 2005年 - 鈴鹿8時間耐久レース 19位(Team MIIR)
  • 2006年 - 鈴鹿8時間耐久レース 23位(Team MIIR)

水谷勝とウォルターウルフ

1984年よりスズキはワークス活動をとりやめ、水谷勝は1984年よりプライベーターとして、全日本ロードレース選手権500ccクラスに参戦を行っていた。

1985年、スズキは、市販車であるRG-Γシリーズの販売促進のために、ウォルター・ウルフのイメージカラーをファクトリーレーサーであるRG-Γ(XR70)に施し、水谷勝にイメージ戦略を委ねる。

水谷勝の走りと、ウォルター・ウルフのデザイン性から、市販車のRG-Γシリーズは、大ヒットの商品となり、関連のヘルメットやレーシングスーツ、ブルゾンなどの商品も数多く販売され、ヒット商品となる。

1986年には、ファクトリーレーサーを改良しXR70/50とするも、基本的に開発が終了しているファクトリーレーサーは他メーカーのファクトリーレーサーより、絶対的なパワーが不足している中、腕でライバルの平忠彦等と戦っていた。

1988年には、スズキのファクトリー活動が再開。エンジン形式も旧来のスクエアー4タイプからV型へと変更となり、RGV-Γ(XR72)となり、産声を上げたばかりのマシンだったが、筑波大会では優勝を納める。 この年をもって、スズキのウォルター・ウルフブランドの版権契約が終了。 ウォルター・ウルフカラーで市販したのは、RG-Γシリーズ(50cc~500cc)のみならず、Hiというスクーターまで登場した。

水谷勝と「風の会」

水谷勝は、スズキテストコースで行われた、ユーザー参加の走行会にゲスト参加していた車椅子の青年を誘って、テストコースでタンデム走行を行った。 下半身不随の青年は、コーナーに差し掛かる度に、水谷の尻を太股で締める動きを見せた。 動かない筈の足に力が入ったことで、オートバイでリハビリになる可能性があると感動し、この感動を、プロのライダーの仲間にも分かち合って欲しいと、2002年ボランティア団体「風の会」を結成。 会長 水谷勝、副会長 上田昇で組織を結成。 毎年鈴鹿サーキットで開催される鈴鹿8時間耐久ロードレースの決勝前日に、鈴鹿サーキットを、現役・OBのライダーが集結し、身障者の方々を招待して、サーキットのコースを1周するというイベントを開催している。

関連項目