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長谷川宣以

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長谷川 宣以はせがわ のぶため延享2年(1745年) - 寛政7年5月10日1795年6月26日))は、江戸時代旗本。通称は平蔵(へいぞう)。これは長谷川氏の当主が代々受け継ぐ通称で、家督相続以前は銕三郎(てつさぶろう)と名乗った。池波正太郎小説鬼平犯科帳の主人公であることから、日本の時代劇ファンによく知られている。子は長谷川宣義

青年時代は、放蕩無頼の風来坊だったようである。父の長谷川宣雄は、火付盗賊改方を経て京都西町奉行の役に付いていたが、死去したため28歳で家督を継ぐ。

寛政の改革で人足寄場(犯罪者の更生施設)の建設を立案し、石川島人足寄場の設立などで功績を挙げる。

1787年から8年の間、火付盗賊改方の長官を務める。

1795年、御役御免を申し出て認められた直後に死去。東京都新宿区須賀町の戒行寺に供養碑がある。

なお、長谷川平蔵の住居跡に、数十年後遠山景元(遠山の金さん)が住んでいたという。これはまったくの偶然らしい。

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