長谷川英信
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長谷川英信(はせがわえいしん)とは、江戸時代初期の武芸者である。
無雙直傳流和(土佐伝においては夏原流となる)19代、戸田長門流(棒術、剣術)5代の伝承者で無雙直傳英信流居合術(新工夫し流派名を変えた)、法藏院流槍術長谷川派(流派名は英信が本流の寳藏院流槍術をはばかって法藏院とした)、長川流居合術(谷の字が落ちる)、無究玉心流柔術の流祖とされる。正保の年に、竹川無敵との真剣勝負に勝ったことが有名である。
名前
- 無雙直傳流和、無究玉心流柔術では長谷川内藏之助英信。
- 無雙直傳英信流居合術(正当派は「居合兵法」)法藏院流槍術長谷川派では長谷川主税助英信。
- 戸田長門流では長谷川内藏亮英信。
出身と出生、死亡
法藏院流槍術長谷川派の伝書によれば、文禄7年(文禄7年という年はないので一説に慶長3年とも)讃岐に生まれ、紀州徳川家に仕えるも浪人し、江戸に住み、享保4年(1719年)12月に享年118歳で死んだという。子供がおらず甥の長谷川官兵衞英政が後を継いだ。無雙直傳流和でも長谷川菅兵衞尉英實が後を継いだという。なおそのあとの20代は小菅清誓斎正継で戸田長門流の6代をも長谷川英信から継いでいる。
無雙直傳英信流居合術では土佐の出身と伝わる。