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闇の奥

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闇の奥』(やみのおく、Heart Of Darkness1902年出版)はイギリス小説家ジョゼフ・コンラッド( Joseph Conrad, 1857 - 1924年)の代表作。西洋植民地主義の暗い側面を描写したこの小説は、英国船員時代にコンゴ川で得た経験を元に書かれ、1899年に発表された。ランダム・ハウス、モダン・ライブラリーが選んだ「英語で書かれた20世紀の小説ベスト100」に選出されている。闇の奥というタイトルはアフリカ奥地の闇でもあるが、人間の心の闇、西欧文明の闇をも含意していると考えられる。

なお、この作品の舞台であるコンゴ川一帯にはベルギー国王レオポルド2世の「私有地」であったコンゴ自由国(後にベルギー領コンゴ)が存在し、同地住民に対する苛烈な搾取政策を取った事から欧州各国から国際的非難が叫ばれていた(同国参照)。

オーソン・ウェルズがラジオ・ドラマとして放送し、映画初監督作として準備していたのがこの『闇の奥』。資金調達が出来ずウェルズは『市民ケーン』を作ってハリウッドでは異端とみなされる事になる。コッポラ監督による「翻案」の方が遥かに知名度が高いが、原作に沿った映像化も1994年テレビドラマ『真・地獄の黙示録』として行われている。監督はニコラス・ローグで、マーロウをティム・ロス、クルツをジョン・マルコヴィッチが演じた。原住民女性役でイマンも出演している。

影響

T.S.エリオットは "Mistah Kurtz--he dead." という一節を詩『虚ろな人々』The Hollow Menで引用している。

1979年映画監督フランシス・フォード・コッポラによって翻案され、『地獄の黙示録』として映画化された。エリオットの『虚ろな人々』の引用がある。

あらすじ


注意:以降の記述には物語・作品・登場人物に関するネタバレが含まれます。免責事項もお読みください。


ある日の夕暮、船乗りのマーロウが船上で仲間達に若い頃の体験を語り始める。

マーロウは各国を回った後、ロンドンに戻ってぶらぶらしていたが、未だ訪れたことのないアフリカに行くことを思い立ち、親戚の伝手でフランスの貿易会社に入社した。ちょうど船長の1人が現地人に殺され、欠員ができたためだった。マーロウは船で出発し、30日以上かかってアフリカの出張所に着いた。そこでは黒人が象牙を持ち込んで来ると、木綿屑やガラス玉などと交換していた。また、鎖につながれた奴隷を見た。ここで10日ほど待つ間に、奥地にいるクルツ(Kurtz)という代理人の噂を聞く。奥地から大量の象牙を送ってくる優秀な人物で将来は会社の幹部になるだろうということだった。マーロウは到着した隊商とともに、200マイル先の中央出張所を目指して出発した。ジャングルや草原、岩山などを通って15日目に目的地に着いた。

中央出張所の支配人から、上流にいるクルツが病気らしいと聞いた。蒸気船が故障しており、修理まで空しく日を送る間に再びカーツの噂を聞く。クルツは象牙を乗せて奥地から中央出張所へ向かってきたが、荷物を助手に任せ、途中から1人だけ船で奥地に戻ってしまったという。マーロウは、本部に背いて1人で奥地へ向かう孤独な白人の姿が目に浮かび、興味を抱いた。

ようやく蒸気船が直り、マーロウは支配人、使用人4人(マーロウは彼らを巡礼と呼んでいた)、現地の船員とともに川(コンゴ川)を遡行していった。クルツの居場所に近づいたとき、突然矢が雨のように降り注いできた。銃で応戦していた舵手のもとへ長い槍が飛んできて、腹を刺された舵手はやがて死んだ。

奥地の出張所に着いてみると、25歳のロシア人青年がいた。青年はカーツの崇拝者だった。青年から、クルツが現地人から神のように思われていたこと、手下を引き連れて象牙を略奪していたことなどを聞き出した。一行は病気のクルツを担架で運び出し、船に乗せた。やがてクルツは "The horror! The horror!"(中野訳では「地獄だ! 地獄だ!」)という言葉を残して息絶えた。

邦訳

ジョゼフ・コンラッド 『闇の奥』

光文社古典新訳文庫で新訳が近日出版される予定。