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阪大坂

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阪大坂 遠くに見える白い建物は豊中キャンパスのイ号館

阪大坂(はんだいざか)は、石橋駅から石橋の街中を通り、待兼山西麓を登って大阪大学へ向かうルートにある坂。石橋からの坂には他に留年坂(りゅうねんざか)もある(後述)。

阪大坂

阪大坂国道171号国道176号の交わる石橋阪大下交差点の後者から出て、待兼山中途へ至る坂の俗称。大阪大学豊中キャンパスを縦貫したのち、箕面市半町と中央環状線をつなぐ道路へと続くが、一般に阪大坂と呼ばれるのは、阪大坂下より豊中キャンパス通用門までのやや急な部分である。

阪急石橋駅に近く、駅から通用門まで歩いてほぼ10分ほどを要する。かつては舗装もボロボロの狭い道であったが、2005年度に敷石を整え、医学部保健学科と坂の間のフェンスを除去して生垣を整備、また下の取り付け部で一部拡幅されたりするなど改善が進んでいる。この整備工事は、医学部保健学科敷地内に大阪大学博物館が開館するなどの、一連の整備計画の一環として行われた。

阪大坂から学内への通用門を正式には「石橋門」と言うが、ほとんどこの名称は使われない。また自動車での学内乗り入れは、阪大坂からは不可能である。

留年坂

留年坂は通学のメインルートである阪大坂に対し、阪大坂から池を挟んだ反対側にある山を登る道の俗称である。たんに「裏道」と呼ばれることもある。石橋阪大下交差点付近より住宅地を抜けるか、阪大坂の途中で中山池を回り込むかするとたどり着く。獣道といった様相を呈していたが、1998年頃、坂に近接する大学施設、待兼山会館の立て替えにともなって整備され、遊歩道のようになった。

留年坂を通りキャンパス内にはいると最初にある建物は学生会館と「明道館」というサークル・クラブ棟である。このため、この坂を通って通学する学生は教室へ行かずサークル棟に入り浸りになる、ということで「留年坂」の名が付いた。教職員や付近住民らも用いる阪大坂の名称と違い、留年坂の名称の通用範囲は狭い。

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