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遙かなる星

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遙かなる星
ジャンル 架空戦記
小説
著者 佐藤大輔
イラスト 鶴田謙二
出版社 徳間書店
レーベル トクマ・ノベルズ
刊行期間 1995年 - 1996年
巻数 既刊3巻
テンプレート - ノート
ポータル 文学

遙かなる星』(はるかなるほし)は、佐藤大輔/著・鶴田謙二/イラストによる日本の小説。トクマ・ノベルズ(徳間書店)より1995年から刊行されていた。

ストーリー

第1巻

1962年。第35代大統領ジョン・F・ケネディが率いるアメリカ合衆国は決断を迫られていた。なぜならカリブ海に浮かぶ共産主義体制の国家「キューバ」がソビエト連邦と大規模軍事援助協定を結んだ事と、そのキューバに反応兵器弾頭(核弾頭)を搭載した準中距離弾道弾が持ち込まれたからである。

アメリカ合衆国が標榜するパックス・アメリカーナの維持のため、自国に対する直接的危機であるこの問題に対し、ケネディ大統領は「ソ連は戦争までには踏み切らない」という予想から、キューバへの直接侵攻による問題解決を決定した。

そして1962年10月22日東部標準時間午前9時。アメリカ合衆国軍によるキューバ侵攻が開始されると同時に、世界に地獄が出現した。

第2巻

核戦争となった第3次世界大戦でアメリカは崩壊し、ソビエトも大きな痛手を負った。だが日本は奇跡的に大きな損害を受けないままに乗り切る事に成功したが、その状況を手放しで喜べたのはわずかな期間だけであった。

アメリカ合衆国無き世界において、崩壊を免れた資本主義諸国に対しあらゆる製品-民生品はもとより各種兵器まで-を日本が生き残る為に売り続けなければならなくなった。さらにいずれまた来るであろう、核兵器を用いた第4次世界大戦から日本人だけでも逃げ出す為に、日本は宇宙開発に狂奔する事となった。

全てはこの悪しき世界で絶滅しない為に。

第3巻

第4次世界大戦から日本人だけでも逃げ出す為に宇宙開発に狂奔する日本は、ついに絶滅から逃れる箱舟への乗船口である宇宙基地=JSP-03の建造を開始した。

だが宇宙港であり、海と空の交通拠点であり、交通事故から戦争までの問題と無縁な物資集積場所である事を目指すJSP-03に魔の手が忍び寄る。それは崩壊したまま再統一がままならないアメリカを憂いた「東軍」と呼称されているアメリカ合衆国を名乗る武装勢力の一指揮官が率いる部隊だった…

主要登場人物

北崎望
この世界における三菱重工業級の大企業である「北崎重工」の設立者。
死にゆく妻と交わした『違える事の許されない約束』により、後述の黒木正一をはじめとする航空機・ロケット関係技術者を支援し、会社を挙げてロケット開発に狂奔させる。
第2次世界大戦終了後、占領政策にかかわったニューディーラーの残党とプリンストン大学の同期で、それによって公職追放を免れたらしい。
黒木正一
幼少時に疎開していた北海道で「満点の星空」を目撃して以来、ロケット開発を含めた航空宇宙開発に狂奔するようになった航空宇宙技術者。
後に宇宙開発事業団の実質的なトップとして、宇宙開発の指揮を執る。
ヘヴィ・リフター不時着事件において、遭難した宇宙飛行士を独自に救出する計画を立案するように指示する。これにより1人を除いて宇宙飛行士が救出される。
原田克也
大日本帝国陸軍中尉時代、ドイツのペーネミュンデ陸軍兵器実験場(HVP)で行われたV2ロケット発射を目撃して以来、ロケットと関わるようになってしまった自衛官。
第3次世界大戦後、北崎望から直接ヘッドハンティングされて航空自衛隊を一佐で退官し、北崎重工に専務として勤務する事になり、同時に「会合」にも出席する事になる。
北崎の死後、北崎重工会長として日本の宇宙開発や軍事開発の指導的立場となる。
原田和己
原田克也の息子。父親と同じく、SF雑誌などのコレクター。
航空宇宙技術研究所で主任開発員となった後、宇宙開発事業団に所属してESP-03建設の責任者となる。
ESP-03襲撃事件発生時においても陣頭指揮を執る。
屋代幸男
戦後まもなく、高校時代に陸上自衛隊のロケット実験を目撃して以来、社会人として家庭を持ち一般の生活をしながらも日本の宇宙開発を外から眺める「マニア」である。
しかし、彼の人生において一定の評価を下さねばならない年齢になった頃、ある「事件」により身内を失う。その後、彼もまた日本の宇宙開発に巻き込まれて行く。
屋代昌幸
屋代幸男の息子。父親と異なり、体調を完璧に維持できる肉体とそれなりの数学や物理学の才能を持つ。
航空自衛隊パイロットとして活躍後、宇宙飛行士として宇宙船(ヘヴィ・リフター)に乗り組む。
児玉
陸上自衛隊の二佐。かつてJUNP FORCE(アメリカ停戦平和維持協力隊)に参加し、核戦争後のアメリカに赴任した経歴を持つ。
その時に受けた現実の衝撃、それを覆す為のアイデアを具現化する為に防衛庁技術研究本部において宇宙服実験施設を立ち上げる。
穂積綾乃
北崎重工宇宙機事業部宇宙服課実験班所属の女性社員。後に発生したJSP-03襲撃事件において硬式宇宙服を使用して活躍。
後に宇宙飛行士資格審査において防衛庁技術研究本部第4研究所・宇宙開発事業団・北崎重工の全面的な支援を得る事となる。
ユーリ・ガガーリン
ソヴィエト連邦の軍人であり、宇宙飛行士。ただし史実の死亡事故は無く、ソ連が一時的に推進した50/50計画(ソ連製シャトル開発計画)中の事故より奇跡的に生還する。
その後月面に立った8人のうちの一人となり、大将にまで昇進。戦略ロケット軍有人飛行作戦司令官となる。
セルゲイ・パーヴロヴィチ・コロリョフ
ソヴィエト連邦初代宇宙機主任設計官。第3次世界大戦後はN-1ロケットを用いた有人月面探査計画を推進。
ゴルバチョフ
ソヴィエト連邦初代大統領。史実と同様に、ソ連邦内で改革を行い、ソ連崩壊の誘因となる。
ジョン・F・ケネディ
第35代アメリカ合衆国大統領。キューバへのソ連製弾道ミサイル配備に対しキューバ侵攻を命令するが、ソ連への過小評価と報復攻撃の命令遅延によって、第三次大戦への引き金を引いただけでなく、報復攻撃の事実上の失敗によってアメリカを崩壊へと導いてしまう。
アラン・モーガンステイン
第3次世界大戦後の崩壊したアメリカ、そのうち「東軍」と呼ばれる武装勢力の少佐。JSP-03に対するテロを立案・実行に移す。

国家

日本
偶然から奇跡的に核戦争の直接の被害をまぬがれ(核攻撃から1週間で2500人が事故・自殺などで死亡)[1]、やむなく超大国となる。国際的にも国連の常任理事国になり(敵国条項はこの時に破棄されている)、70年代には資本主義世界最大の兵器輸出国になっている。
後述の「会合」による答申を受け、地球脱出のために宇宙開発に狂奔する事になり、軌道上の宇宙ステーションの設置、及びそこに行くためのロケットと宇宙往還機開発を押し進めている。
ソ連
先制核攻撃によって超大国の地位を維持したものの1500万人の国民を失い主要産業に壊滅的な打撃を受けた。手に入れた西ヨーロッパの維持や産業の復興、中国との国境沿いの不正規戦の対応に追われている。
日本への対抗上やむなく宇宙開発を推し進め、70年代には有人月面探査を成し遂げているが、経済は破綻していき現実世界と同じ道を辿った。
アメリカ
総計1000メガトンに及ぶ核攻撃によって直接、間接的に1億人以上の国民が死亡し主要都市、主要産業を失い壊滅状態になった。政府は東西に分裂し西は日本などに資源を提供することによって維持され東は半封建制社会となっている。
両方とも自らを正統政府と自称し紛争状態にあるがその都度、国連に介入されている。また双方に属さない得体の知れない独立領(武装集団、カルト)が東西アメリカ政府領域の間に無数に存在していて合衆国の腐乱死体とも呼ばれる所以ともなり、それが合衆国の再統一をより一層難しいものにしている。
中国
第3次世界大戦において、ソ連よりキロトン級の反応兵器を使用され分裂。毛沢東率いる中国はソ連と国境沿いで不正規戦を繰り広げており、作中人物の言によれば他の地域も含め「五胡十六国もかくやという程に乱れ」ている。
ドイツ
第3次世界大戦において西ドイツが敗北し、東ドイツ主体で統一された模様。
フランス
第3次世界大戦において、都市部に反応兵器が使用され、その後の放射性降下物等も含めて大損害を蒙る[2]
イギリス
第3次世界大戦において、潜水艦基地2つにのみ反応兵器が使用されたが、その後の放射性降下物によって大損害を蒙る。かろうじて生き残り、戦車など武器輸出も行っている模様。
オーストラリア、インド
第3次大戦後、アメリカ・ソ連・フランスに代わって日本と共に国連の常任理事国になる(また臨時国連本部(ニューヨークは20メガトン融合弾によって消滅)はメルボルン)。この事によって世界の中心がアジア・太平洋地域に移った事が明確になった。

組織

北崎重工
佐藤大輔の著作によく出る大企業。この「遙かなる星」においても最終的には三菱重工業に匹敵する重工業部門を持つ。
1931年に初代社長である北崎望が設立。業種は精密機械工業。
航空機・ロケット部門に強い。これは北崎望が死にゆく妻と交わした『違える事の許されない約束』の影響が大きい。
第3次世界大戦前まで、アメリカ合衆国にいる情報源(北崎望のプリンストン大学の同窓生で、北崎望に同性愛を迫ったが跳ね除けられたという弱みを持つ情報関係者)の協力により、NACAや旧ドイツ空軍の保有する航空機・ロケットデータを大量に確保している。
また、アメリカのノースロップ社とも関係が深く、YB-49の入手にも成功している。
第3次世界大戦直前の段階で、民生の航空機技術において世界と競争可能なレベルに達し、液体燃料ロケットエンジン・誘導技術・費用対効果において日本随一の実用的能力を獲得した。
第3次世界大戦後、軍需系を拡張し、特に各種航空機を世界に対し輸出販売する。また、日本初の人工衛星打ち上げを企業の予算内で成功させる。
宇宙開発事業団
日本において宇宙開発を推進する特殊法人。史実のNASDAと異なり、設立当初から実益本位の有人宇宙開発を指向。またその本部は福岡に置かれ、70年代までには所属人員が2万人に達する一大組織となる。防衛庁航空宇宙技術研究所とも密接な関係を持つ。宇宙科学研究所との関係は不明。
1973年4月に、日本初の有人宇宙船「ひかり3号」の打ち上げに成功。以降、「あすか計画(ミニバス)」、「おおとり計画(ヘヴィ・リフター)」、「ハイバード計画(対軌道輸送機)」などを積極的に推進する。
宇宙基地(宇宙港)はJSP-01を種子島に、JSP-02を沖縄に、JSP-03をトラック諸島沖の浮体構造式人工島に建設。また恒久的地球軌道ステーションJSS-01を90年代初頭に建造している。
会合
設立は1963年12月。設立者は日本政府。
設立目的は「多角的な視点から、新たな世界における長期的な安全保障策を検討する事」
研究内容が第3次世界大戦後の日本の生存戦略を左右するものであった事から、高度な秘密保持を要求され、その結果として名称はつけられず「会合」と通称された。
当初の設立メンバーは中央官庁、経済界、学界、警察、自衛隊、その他あらゆる組織の人間で構成された。
研究は悲観主義性悪説で進められ「今後数十年以内に発生するであろう核戦争により、『核の冬』が発生するに違いない」という前提条件の下で行われた。さらに研究内容は核戦争の抑止ではなく、「発生後にいかにして(特に日本の)被害を防いで社会システムを維持するか」についてであった。
研究結果により、「日本は核戦争から逃げ出す為に宇宙開発を推進する」が日本の生存戦略として採用される。その後、会合は地球外脱出へのチェック機構として存続する。

既刊一覧

脚注

  1. ^ ただしアメリカの統治下にあった沖縄は大量の反応兵器によって壊滅
  2. ^ 国連の常任理事国からはずされている事から事実上国家体制が消滅していると思われ、また欧州の他地域も含めて実質的な無人地帯と考えられている

外部リンク