蘆名盛高
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蘆名 盛高(あしな もりたか、1448年(文安5年) - 1517年(永正14年))は、蘆名氏の第13代当主。第12代当主・蘆名盛詮の子。官位は従四位下。修理大夫。刑部丞。
1466年、父の死により家督を継ぐ。当主となった後は蘆名氏の戦国大名化や勢力拡大に尽力し、1479年に会津盆地を支配していた土豪・渋川義基を滅ぼした。1494年、伊達尚宗が家臣団の反抗によって領内から避難して来たときは、これを助けている。1500年には反抗的な家臣・松本対馬を、翌年には子の蘆名盛滋と協力して同じく反抗的だった猪苗代盛頼を討ち取った。しかし次第に子の盛滋と不仲になり、1505年には武力抗争をするまでに至った。盛高はこの争いに勝利して盛滋を出羽国長井に追放したが、後に罪を許して帰国させている。1517年に死去し、後を盛滋が継いだ。
智勇に優れた人物で、蘆名盛氏時代の全盛期の基礎を作り出した名君である。また、盛滋とは対立したとはいえ、後に罪を許して家督まで譲っているのだから、やはり盛滋を子として愛していたのであろう。