マルコス・ゴメス・デ・アラウージョ
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名前 | ||||||
本名 | マルコス・ゴメス・デ・アラウージョ | |||||
愛称 | マルキ | |||||
ラテン文字 | MARQUINHOS | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1976年3月23日(48歳) | |||||
出身地 | MG、リオ・ブリリャンテ | |||||
身長 | 174cm | |||||
体重 | 76kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 鹿島アントラーズ | |||||
ポジション | FW | |||||
背番号 | 18 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
マルキーニョスことマルコス・ゴメス・デ・アラウージョ(Marcos Gomes de Araujo "Marquinhos"、1976年3月23日 - )は、ブラジル出身で鹿島アントラーズ所属のサッカー選手。ポジションはフォワード。
2008年にはJリーグ(ディヴィジョン1)MVP、得点王、ベストイレブンを獲得している。
来歴
2001年シーズン中盤、J2降格の危機に瀕していた東京ヴェルディ1969に加入するために来日し、チームのJ1残留に貢献。横浜F・マリノス、ジェフユナイテッド市原を経て、2005年シーズンは残留争いに苦しむ清水エスパルスに途中加入し、その得点力でここでもJ1残留に貢献した。2007年シーズンからは鹿島アントラーズへ移籍し、リーグ戦では自身最多となる14ゴールを決め同クラブにとって10冠目となるリーグ優勝に貢献した。2008年シーズンも7試合連続ゴールなど、1年を通してコンスタントに得点を重ね、来日8年目にして初の得点王に輝き、リーグ連覇に多大な貢献を果たした。なお、鹿島アントラーズ所属選手では初の得点王獲得選手でもある。
Jリーグでのプレーが長いため、インタビューなどでも通訳が訳す前に質問の概要を理解し、ポルトガル語で返事を回答し始めることがある。
ゴールパフォーマンスのバック宙が有名だが、鹿島加入後はあまり見られなくなった。
足の状態は思わしくなく、母親の病状も合わせて、2009年限りでの引退を宣言している。[要出典]エラー: タグの中に無用な文字が含まれていないか、{{要出典範囲}}と{{要出典}}を間違えていないかを確認してください。貼り付け年月は「date=yyyy年m月」、チップテキストに表示する文字列は「title=文字列」と指定してください。
評価・プレースタイル
上背は決して高くないが、スピードを生かしたアグレッシブな縦への突破と強烈なミドルシュートが特長で、ゴールへの貪欲な嗅覚と決定力に優れたストライカー。足元の技術も高くチャンスメイクにも長けボールキープしながらのドリブルも巧い。また、前方のスペースへ飛び出し、スピードに乗ったドリブルを始めたときの突破力は高い。ただ、時折ボールを持ちすぎて奪われることもある。ほとんどのゴールを右足で挙げ、ヘディングや左足からのゴールは滅多に見られない。 また攻撃面だけでなく、決して手を抜くことのない前線からの激しいチェイシングは、鹿島のチーム戦術と相まって欠かすことの出来ない重要な選手である。
所属クラブ
- 1997年 - 1999年 オペラリオ・フェロヴィアリオFC( ブラジル)
- 1999年 - 2001年 コリチーバ( ブラジル)
- 2001年8月 - 2002年 東京ヴェルディ1969( 日本)
- 2003年 横浜F・マリノス( 日本)(東京ヴェルディより期限付き移籍)
- 2004年 ジェフユナイテッド市原( 日本)(東京ヴェルディより期限付き移籍)
- 2005年8月 - 2006年 清水エスパルス( 日本)
- 2007年 - 現 在 鹿島アントラーズ( 日本)
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1997 | オペラリオ | ||||||||||
1998 | オペラリオ | ||||||||||
1999 | オペラリオ | ||||||||||
1999 | コリチーバ | ||||||||||
2000 | コリチーバ | 11 | 2 | ||||||||
2001 | コリチーバ | ||||||||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2001 | 東京V | 33 | J1 | 14 | 8 | 0 | 0 | 1 | 1 | 15 | 9 |
2002 | 東京V | 9 | J1 | 15 | 2 | 5 | 1 | 0 | 0 | 20 | 3 |
2003 | 横浜FM | 36 | J1 | 24 | 8 | 7 | 4 | 0 | 0 | 31 | 12 |
2004 | 市原 | 8 | J1 | 14 | 12 | 4 | 1 | 0 | 0 | 18 | 13 |
2005 | 清水 | 17 | J1 | 14 | 9 | 0 | 0 | 2 | 2 | 16 | 11 |
2006 | 清水 | 17 | J1 | 29 | 11 | 5 | 3 | 1 | 2 | 35 | 16 |
2007 | 鹿島 | 18 | J1 | 31 | 14 | 10 | 4 | 5 | 0 | 46 | 18 |
2008 | 鹿島 | 18 | J1 | 30 | 21 | 2 | 1 | 2 | 2 | 34 | 24 |
2009 | 鹿島 | 18 | J1 | 31 | 13 | 2 | 0 | 3 | 1 | 36 | 14 |
通算 | ブラジル | ||||||||||
日本 | J1 | 202 | 98 | 35 | 14 | 14 | 8 | 251 | 120 | ||
総通算 |
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国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2008 | 鹿島 | 18 | 5 | 5 |
2009 | 鹿島 | 18 | 7 | 4 |
通算 | AFC | 12 | 9 |
個人タイトル
- 横浜F・マリノス
- Jリーグ:1 (2003)
- 鹿島アントラーズ
- Jリーグ:2 (2007,2008,2009)
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会:1 (2007)
- Jリーグ・スーパーカップ:1(2009)
- 個人
備考
- 以前は故障が多く、1年を通しての安定感に欠けるため戦力として計算しづらい面があり、Jリーグの各チームを渡り歩く要因となっていた。しかし2005年に清水に途中加入以降は大きな故障はしていない。
- キープ力、ゴールへの積極性は時として諸刃の剣で持ちすぎる一面もある。だが周囲との連携の向上やシンプルなプレーなど球離れは改善されてきている。
- 2008年3月12日のAFCチャンピオンズ・リーグ初戦でタイのクルン・タイ・バンク戦で来日初のハットトリックを達成。
- 2008年8月6日のナビスコカップ・清水エスパルス戦にて来日100得点目を達成。
- 親日家であり、侍の髷(まげ)を模した髪型にしている。
外部リンク
- チーム公式プロフィール(リンク切れ)
J1記念ゴール | ||
前回 12000ゴール ウェズレイ |
12500ゴール マルキーニョス 2008.3.16 |
次回 13000ゴール 巻誠一郎 |