ヒュー・オブライエン
ヒュー・オブライエン(Hugh O'Brian、本名:Hugh Charles Krampe)は、1925年4月19日生まれのアメリカの俳優である[1]。
経歴
ニューヨーク州ロチェスター生まれ。かつてロック・ハドソンやチャールトン・ヘストン、アン・マーグレットといったスターも在籍したイリノイ州のニュー・トライアー・ハイスクールに学び、その後ケンパー・ミリタリースクールに入校した。ここではアメフト、バスケットボール、レスリング、そしてトラック競技に打ち込み、優秀選手となった。のちにシンシナティ大学に入ったが、第二次大戦が始まり、海兵隊に入隊するため、1学期で退学する。海兵隊では、史上最年少の17歳で訓練教官となった。大戦後はUCLAで勉強するためにロスアンジェルスに移ったが、ここでイダ・ルピーノの目に留まって、映画『ネバー・フィアー』でデビューした。
1955年に米ABCの『保安官ワイアット・アープ』に出演。同じ年に始まった『ガンスモーク』と並んで、大人の西部劇としての地位を確立した。この番組はは7年間続き、その間テレビ番組のトップ10を保ち続けた。オブライエンは他にも『ザ・グレイテスト・ショー・オン・アース』に出演、『パスワード』『ホワッツ・マイ・ライン?』のゲスト回答者としても活躍した。また『ペリー・メイスン』に、主演のレイモンド・バーが緊急入院で出演できなかった時、代役の弁護士を演じた。
映画にも多く出演したが、中でもジョン・ウェイン最後の作品となった『ラスト・シューティスト』への出演は大きな転機となった。1990年の『ガンズ・オブ・パラダイス』と、1991年の『ザ・ギャンブラー・リターンズ ザ・ラック・オブ・ドロー』で再びワイアット・アープの役を演じ、かつて『保安官ワイアット・アープ』で共演したジーン・バリーも、当時と同じバット・マスターソンの役を演じた。また、1988年公開の『ツインズ』では、双子の兄弟にDNAを提供する人物として出演した。
長年のテレビへの貢献により、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名前が刻まれた。1992年には、西部劇俳優の殿堂入りをした。 [1][2] [3][4][5]
エピソード
- 1965年(昭和40年)10月に来日している[要出典]。
- 1975年に4月1日に、ラスベガスでのエルヴィス・プレスリーの公演で紹介されたことがある。この時の様子は、ライブCD『エイプリル・フール・ディナー』に収められている[6]。
- 2006年6月25日、81歳で人生で初めての結婚をした[1]。
- HOBY(Hugh O'Brien Youth Leadership)という非営利団体を主宰している。全米50州と20カ国の高校生を対象に、ジョージ・ワシントン大学の講義を聞く機会を与えている。1958年にアフリカを訪れた際の、アルベルト・シュバイツァー博士の「一番大事なのは、若者が自分自身について考えるための教育である」という言葉に感銘を受けたと言われている[7]。
主な出演作品
映画
- ネバー・フィアー
- ショウほど素敵な商売はない
- 白い羽根
- 平原の待伏せ
- 翼のリズム
- アカプルコの出来事
- 荒野の悪魔
- 復讐戦線
- 野獣狩り カウボーイ・スタイル
- 姿なき殺人者
- ダイヤモンドの犬たち
- ブルース・リー 死亡遊戯
- ラスト・シューティスト
- ツインズ
テレビドラマ
- 保安官ワイアット・アープ
- ザ・グレイテスト・ショー・オン・アース
- プローブ捜査指令
- ザ・ギャンブラー
脚注
- ^ a b c Hugh O'Brian - Biography IMDb
- ^ The Perry mason TV Show Book(2,3)
- ^ ヒュー・オブライエンの関連映画・プロフィール | Movie Walker
- ^ a b HUGH's HOLLYWOOD HISTORY - Hugh O'Brian
- ^ Hugh O'Brian - Hollywood Star Walk - Los Angeles Times
- ^ Elvis Presley in Concert
- ^ Hugh O'Brian Youth Leadership | HOBY | HOBY History
- ^ ヒュー・オブライアン(Hugh O'Brian)のプロフィール - allcinema