トラヤヌスの門の戦い
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ブルガリア・東ローマ戦争 | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
第一次ブルガリア帝国 | 東ローマ帝国 | ||||||
指揮官 | |||||||
サムイル | バシレイオス2世 | ||||||
戦力 | |||||||
? | 30000人 | ||||||
被害者数 | |||||||
重い |
トラヤヌスの門の戦いは、東ローマ帝国と第一次ブルガリア帝国との間で行われた戦いで、ブルガリアが勝利した。
経過
ブルガリアを征服したヨハネス1世の死後、東ローマ帝国に反旗を翻したサムイルは西部ブルガリアを拠点にし、東ローマ領やブルガリア旧領へ攻撃を繰り返していた。980年以降、サムイルはテッサリアに攻め込み、ラリッサを占領することに成功した。東ローマ皇帝バシレイオス2世はラリッサ陥落に衝撃を受け、自らブルガリア討伐を決意し、親征を行ったが、トラヤヌスの門と呼ばれる峠を進行中にブルガリア軍の待ち伏せ攻撃を受けて大敗し、バシレイオスも命からがらコンスタンティノープルに逃げ戻った。
結果
この戦いで勢いに乗ったサムイルは、1年後ブルガリア帝国の首都だったプレスラフ、プリスカを取り戻し、さらに多くのギリシャ人都市を占領していった。一方、バシレイオス2世はこの敗戦で実力を見くびられ、アナトリアの貴族に反乱を起こされたため、しばらくブルガリアに手を出せなくなった。
参考文献
- 森安達也、今井淳子 翻訳『ブルガリア―風土と歴史』
- ロバート・ブラウニング著『ビザンツ帝国とブルガリア』