ダヴィデ・バッラルディーニ
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Davide Ballardini | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1964年1月6日(60歳) | |||||
出身地 | ラヴェンナ | |||||
監督歴 | ||||||
年 | チーム | |||||
2004-2005 |
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2005 |
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2006 |
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2007-2008 |
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2008-2009 |
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2009-2010 |
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2010-2011 |
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2011-2012 |
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2013 |
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2014 |
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2015-2016 |
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2016 |
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2017-2018 |
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■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ダヴィデ・バッラルディーニ(Davide Ballardini, 1964年1月6日 - )は、イタリア・エミリア=ロマーニャ州ラヴェンナ出身の元サッカー選手。サッカー指導者。
経歴
選手としてACチェゼーナで主にキャリアを過ごし、オズワルド・バニョーリ、アリゴ・サッキらの影響を受ける。引退後、ボローニャFC、パルマFCなどで経験を積んだ後、2004年にセリエC1のサンベネデッテーゼ監督に就任。
2005年にはセリエAのカリアリ監督に就任するが成績不振のため数試合で解任される。
2007年12月28日にネド・ソネッティの後任として再びカリアリ監督に就任すると、ロベルト・アクアフレスカを軸にチームを建て直し、残留を果たす。
2008年9月5日、ステファノ・コラントゥオーノの後任としてパレルモの監督に途中就任すると、エディンソン・カヴァーニ、ファビオ・シンプリシオらを主軸に優れたチームを作る。シモン・シェアーら若手も台頭したものの、結局8位に終わって1シーズンで退団。
2008-09シーズン終了後、デリオ・ロッシの後任としてラツィオの監督に就任した(後にロッシは入れ替わる様にしてパレルモの監督に就任)。スーペルコッパでインテル・ミラノを破り優勝を果たす。しかし、クラウディオ・ロティート会長と対立するゴラン・パンデフ、クリスティアン・ダニエル・レデスマらが出場を禁止されたために戦力が限られ、苦戦が続いた。第23節カルチョ・カターニア戦にて、ホームゲームながら0-1の敗北を喫してチームは降格圏へ転落し、2010年2月10日に解任された。
2010年11月8日、ジャン・ピエロ・ガスペリーニの後任としてジェノアCFC監督に就任。前任者が用いていた3-4-3システムからオーソドックスな4-4-2システムに変更したが、チームの成績は安定せず結局10位に終わり1年で退任した。
2011年11月9日、マッシモ・フィッカデンティの後任として三度カリアリの監督に就任したが、翌年3月11日に解任された。
2013年1月20日、ルイジ・デルネーリの後任として再びジェノアの監督に就任した。
2017年11月6日、イヴァン・ユリッチの後任として三度ジェノアの監督に就任した。[1]
2018年10月9日、直近のパルマ戦の敗戦を受けて、ジェノアの監督の座を解任された。その後任はユリッチとなった。[2]
指導歴
パルマFC(ユースコーチ) 2002-2004
サンベネデッテーゼ 2004-2005
カリアリ 2005
ペスカーラ 2006
カリアリ 2007.12-2008.5
パレルモ 2008.9-2009.6
ラツィオ 2009.7-2010.2
ジェノア 2010.11-2011.6
カリアリ 2011.11-2012.3
ジェノア 2013.1-2013.6
ボローニャ 2014.1-2014.5
パレルモ 2015.11-2016
パレルモ 2016
ジェノア 2017-2018
脚注
- ^ “ダビデ・バッラルディーニ氏が3度目のジェノア指揮官に就任【超ワールドサッカー】”. 超ワールドサッカー. 2019年1月4日閲覧。
- ^ “昇格組のパルマに大敗したジェノアがバッラルディーニ監督を解任… 後任は3度目の指揮官就任となるユリッチ氏【超ワールドサッカー】”. 超ワールドサッカー. 2019年1月4日閲覧。