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ラターシャ・ハーリンズ

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ラターシャ・ハーリンズLatasha Harlins, 1975年7月14日 - 1991年3月16日)は、15歳のときロサンゼルスの商店で万引き犯と濡れ衣を着せられ、[1][2]店主に銃撃され死亡した黒人(アフリカ系アメリカ人)の少女[3]。陪審の評決をくつがえして量刑が大幅に減刑されたことなどから、アメリカ社会において黒人が被害者となった際に司法が不平等な判断をくだす傾向の代表例としてしばしば参照される[4][3]

概要

事件の起きたロサンゼルスの商店「エンパイア・リカー・マーケット」は、韓国出身で1975年にアメリカへと移民[5]したトゥ・スンジャ(斗順子)とその夫が経営する小規模な雑貨・食料品店だった[3]

事件が起きた1991年3月16日、この店を訪れたラターシャ・ハーリンズは、オレンジジュースのボトルを自分のバックパックに入れたところを店主のトウに目撃された。ただし、バックパックは閉じられたわけではなく、半ば開けられてオレンジジュースのボトルが見える状態であった[2]。この店は黒人の少年少女らによる度重なる万引きや強盗被害に悩まされており、その現場を見咎めた店主はハーリンズのセーターをつかんで対峙した[3]

映像外部リンク
Korean Businesses Targeted During LA Riots - NBC Nightly News
YouTube:NBC Newsによるロス暴動のニュース映像。本件の映像も含まれる。

店内にいた9歳と13歳の姉弟、イスマイル・アリとラケシタ・コムスは後の裁判で検察側証人として召喚された際に、ハーリンズは支払いのための1ドル札2、3枚を左手に持っていたと証言している[6]。またこの姉弟の証言によると、ボトルを盗んだと主張する店主と、支払をするつもりだったと主張するハーリンズの間で、激しい口論が起きた[6]

店主がハーリンズのバックパックに手をかけたため、ハーリンズは店主の顔を2度激しく殴りつけ、店主は椅子を投げつけるなどした[7]。前出の姉弟は、このやりとりの間にもハーリンズは支払をすると大声で主張していたと証言している[8]。しかし、重ねて店主が万引きだと非難すると、ハーリンズはジュースのボトルをカウンターに置き、店から立ち去ろうとした[9]。店内にいた別の目撃者の証言では[8]、ここで店主が追いすがって二人のもみ合いはさらに続き、ハーリンズは店主の顔をさらに4回殴打した[7]

ここで店主のトゥはカウンターの下に置いていた銃をつかみ、出て行こうとするハーリンズに向かって背後から発砲した[3]休憩中だった夫は銃撃音を耳にして店頭にかけつけ、血まみれのハーリンズを見つけた。彼は警察と救急車を呼び、間もなく救急隊が到着したものの、すでにハーリンズは事切れていた。後頭部を銃撃され、ほぼ即死であった[要出典]

警察が到着したときにはすでにハーリンズは死亡しており、その左手には2ドルの紙幣が握られたままだった[10]

裁判

当初、コンプトンで予定されていた裁判は黒人人口の多い地区では陪審員や証人が脅迫される可能性があるとして、判事によってロサンゼルスに移された。コンプトンで行われていた会議では、トゥの支持者とハーリンズ家の支持者の間で諍いも生じていた[2]

店主のトゥは、過失致死より1段階重い故殺 (Voluntary manslaughter) の容疑で逮捕・起訴された[3]。法廷においてトウ側の弁護士は、周囲の店で実際に強盗犯が店主を殺害する事件が起きていたこと、トウの息子が店内で恐喝行為にあったばかりだったことなどを指摘して、店主の対応は合理的なものだったと主張した[7]。またトゥの息子ジョセフは、事件が起きたとき毎週30回以上も押し込み強盗の被害に悩まされていたと証言した[10]。そして弁護士は、ハーリンズが店主を複数回にわたって激しく殴打したためトゥの顔面は腫れ上がっており、正当防衛が成立すると主張した[4]

弁護側は「ハーリンズが店主に向けて『殺す』と脅迫した」と再三に渡って主張したが、検察側の証人(前述の姉弟)はこれを否定している[2]。さらに別の証人として召喚された警官は「トゥの顔面の傷はハーリンズとの諍いでついたものではない可能性がある」と延べ、現場に駆けつけた際、夫からくりかえし強く叩かれていたトゥを目撃したと証言した[2]。ただし、その後の反対尋問で「そのときの殴打はハーリンズのものほど強くはなかった」ことを認めている[2]

検察側は店内の監視カメラの映像を証拠として提出した。その映像には、上述の姉弟の証言のとおりハーリンズが支払のための紙幣を手に持っている様子が映っていた[8][9]。さらに監視カメラ映像には立ち去ろうとするハーリンズが背後から銃撃される様子が映っており、店内にいた目撃者も同様の証言を行った[9]。加えて検察側は冒頭陳述で、店主の使用した拳銃は何者かによってより簡単に発射できるように改造されていたと主張した[2]

裁判の結果、陪審団はトゥへの検察の求刑に対して「有罪」の評決を下した。当時のカリフォルニア州法の規定では量刑が最長で11年の懲役となる可能性があった[11]。それでも量刑が軽いとラターシャの家族や地域の活動家の怒りを煽ることになった[5]

ロサンゼルス高等裁判所のジョイス・A・カーリン判事は、店主の罪が第二級殺人以上の量刑には相当しないとする弁護側の主張を受け入れ[12]、トゥの罪を第三級殺人罪(Three-degree murder 日本法の過失致死に相当)に変更し、5年間の保護観察処分と400時間の社会奉仕、および500ドルの罰金という大幅に減じた量刑を言い渡した[13]。店が繰り返し強盗被害にあっていたことなどを考慮したためとされる[4][3]

店主側は控訴したが、事件から1年後、カルフォルニアの州控訴裁判所はロサンゼルス暴動勃発の1週間前となる1992年4月12日に下級審の判決を支持し、控訴を棄却した[14]

万引きの有無について

マンガ嫌韓流ではハーリンズが万引き犯であるかのように描写されているが、前述のようにハーリンズはバックパックを「半開き」にして、オレンジジュースのボトルが見える状態にしたまま、かつ代金となる紙幣を片手に握った状態であったことが証言され、証拠とした映像にもその様子が記録されていた[5]

事件捜査を担当したロサンゼルス市警警視は事件直後の3月の時点で、メディア取材において「万引きの試みはありませんでした。強盗はありませんでした。犯罪行為はまったくありませんでした」とハーリンズの行動についてコメントしている[15]

裁判が進むなか検察側は店主側の殺意の有無に議論を集中し、事件のきっかけとなった万引き容疑については最終的な事実認定を避けていっため[3]、裁判上はハーリンズによる万引きの有無は確定していない[16] [1][3]。これは万引きの誤認よりも故意の殺人と陪審に判断されるほうがはるかに量刑が重くなると検察側が判断したためだと見られている[4]。また当時のカリフォルニア州法においては支払能力があっても店主に断りなくバッグに品物を入れる行為が窃盗と判断されることがあり[1]、実際に多くの黒人がこの容疑で逮捕されていたことを弁護側に突かれたため方針を転換したとも言われている[17][3]

その後

この事件は、ロサンゼルス市警察の白人警官らがスピード違反容疑の黒人に激しい暴行を加えて重傷を負わせたロドニー・キング事件のわずか13日後に起きた。韓国系アメリカ人らの商店が襲撃・略奪された1年後の「ロサンゼルス暴動」との直接の関係は現在では否定されているが[4][3]、すでに存在していた黒人と韓国系住民間の緊張をさらに高めることとなったとも言われる[18]

裁判が始まったころ、ロサンゼルス市警はこの事件が「商売関係の口論 business dispute」だと述べて、銃撃が人種差別的動機にもとづくとする噂を打ち消した[15]。事件後すぐに黒人と韓国系アメリカ人の団体の代表者が面会し、ビジネスのこじれによる痛ましい事件だったとする共同声明を出している[15]

しかし口論のきっかけとなった[3]オレンジジュースの値段は1.79ドル(約200円)にすぎず[7]、この事件はアメリカの黒人社会にとって黒人がわずか2ドルにも満たない金額のために射殺され、しかも加害者の量刑が軽くすんでしまう厳しい現状をあらためて印象づけるきっかけになった[3]

なお、ロサンゼルス暴動中にトゥの店は襲撃・放火されて焼失した。そのまま再開されることなく、店のあった敷地は他人の手に渡っている[19]

のちにハーリンズの遺族は民事事件として店主を提訴し、店主側が30万ドル(約3000万円)の慰謝料を支払うことで和解している[20]

判決を出したジョイス・カーリン判事はリコール運動を起こされるなどした後、1997年に判事を引退した。その後にカーリンではなく、夫の名字であるフェーイーを名乗るようになっている[21]

事件を題材にした映画

ハーリンズ事件は近年になってその悲劇性が注目されるようになり、これを題材とした映画がいくつか作られた[22]。いずれもアメリカ社会において黒人がさまざまな事件で標的となりやすいことや、裁判においても黒人を攻撃した加害者への量刑が軽くなる傾向が強いことに警鐘を鳴らしている[23]

脚注

  1. ^ a b c Jacobs, Ronald F., Race, Media, and the Crisis of Civil Society: From the Watts Riots to Rodney King, Cambridge University Press, 2000, pp. 103-105, 122, 131.
  2. ^ a b c d e f g “Videotape Shows Teen Being Shot After Fight : Killing: Trial opens for Korean grocer who is accused in the slaying of a 15-year-old black girl at a South-Central store.”. ロサンゼルス・タイムズ. (1991年10月1日). http://articles.latimes.com/1991-10-01/local/me-3692_1_black-girl 2018年5月7日閲覧。 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m Stevenson, Brenda E. The Contested Murder of Latasha Harlins, Oxford University Press, 2013.
  4. ^ a b c d e Afary, Kamran, Performance and Activism: Grassroots Discourse After the Los Angeles Rebellion of 1992, Lexington Books, 2009
  5. ^ a b c “Grocer Is Convicted in Teen Killing : Verdict: Jury finds Korean woman guilty of voluntary manslaughter in the fatal shooting of a black girl.”. ロサンゼルス・タイムズ. (1991年10月12日). https://www.latimes.com/archives/la-xpm-1991-10-12-mn-152-story.html 2021年5月14日閲覧。 
  6. ^ a b Augustina Jhi-ho Chae, "To Be Almost Like White: The Case of Soon Ja Du" (University of Nebraska at Omaha, 2002)[修士論文]
  7. ^ a b c d Facebook (1991年10月1日). “Videotape Shows Teen Being Shot After Fight : Killing: Trial opens for Korean grocer who is accused in the slaying of a 15-year-old black girl at a South-Central store.” (英語). Los Angeles Times. 2021年4月21日閲覧。
  8. ^ a b c Girl Turned Away Before Being Shot Fatally by Grocer (Los Angeles Times, Oct.1, 1991)
  9. ^ a b c “Merchant Charged in Girl's Fatal Shooting”. ニューヨーク・タイムズ. (1991年3月22日). https://www.nytimes.com/1991/03/22/us/merchant-charged-in-girl-s-fatal-shooting.html 2018年5月7日閲覧。 
  10. ^ a b Kyeyoung. Park. LA Rising Korean Relations with Blacks and Latinos after Civil Unrest. (Lanham : Lexington Books, 2019), p. 70
  11. ^ Korean Grocer Convicted in Shooting” (英語). timesmachine.nytimes.com. 2021年4月21日閲覧。
  12. ^ "1st-Degree Murder Ruled Out in Grocer Trial" (Los Angeles Times, Oct. 4, 1991)
  13. ^ “Grocer Given Probation in Shooting of Girl”. ニューヨーク・タイムズ. (1991年11月17日). https://www.nytimes.com/1991/11/17/us/grocer-given-probation-in-shooting-of-girl.html 2018年5月7日閲覧。 
  14. ^ https://scholar.google.com/scholar_case?q=Soon+Ja+Du&hl=en&as_sdt=2,21&case=8405426532110531165&scilh=0
  15. ^ a b c “A Senseless and Tragic Killing : New tension for Korean-American and African-American communities=ロサンゼルス・タイムズ”. (1991年3月20日). https://www.latimes.com/archives/la-xpm-1991-03-20-me-384-story.html 2021年5月14日閲覧。 
  16. ^ Stevenson, Brenda E. The Contested Murder of Latasha Harlins, Oxford University Press, 2013, pp. 42-43.
  17. ^ Los Angeles Times, Understanding the Riots: Los Angeles Before and After the Rodney King Case, Los Angeles: Los Angeles Times, 1992, pp. 5, 7-9, 13, 84
  18. ^ “U.S. Looks Into Korean Grocer's Slaying of Black”. ニューヨーク・タイムズ. (1992年11月26日). https://www.nytimes.com/1992/11/26/us/us-looks-into-korean-grocer-s-slaying-of-black.html 2018年5月7日閲覧。 
  19. ^ https://graphics.latimes.com/towergraphic-where-they-are-now/#card-8
  20. ^ Stevenson, Brenda. The Contested Murder of Latasha Harlins: Justice, Gender, and the Origins of the LA Riots. Oxford: Oxford UP, 2013
  21. ^ http://www.metnews.com/articles/2007/susp091407.htm
  22. ^ 'Gook' - A Cinematic Requiem for Latasha Harlins” (英語). shadowandact.com. 2020年7月31日閲覧。
  23. ^ NEW DOC REMINDS US THAT LATASHA HARLINS' LIFE MATTERED” (英語). AFROPUNK (2019年5月29日). 2020年7月31日閲覧。

関連文献

  • Stevenson, Brenda E. The Contested Murder of Latasha Harlins, Oxford, UK: Oxford University Press, 2013.
  • Hunt, Darnell M. Screening the Los Angeles 'riots': Race, Seeing, Resistance, Cambridge, UK: Cambridge University Press, 1996.
  • Jacobs, Ronald F., Race, Media, and the Crisis of Civil Society: From the Watts Riots to Rodney King, Cambridge University Press, 2000.
  • Los Angeles Times, Understanding the Riots: Los Angeles Before and After the Rodney King Case, Los Angeles: Los Angeles Times, 1992.

関連項目