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オズワルド・オリヴェイラ

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オズワルド・オリヴェイラ
名前
本名 オズワルド・デ・オリヴェイラ・フィリョ
愛称 オズの魔法使い
ラテン文字 Oswaldo De Oliveira Filho
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1950-12-05) 1950年12月5日(73歳)
出身地 リオデジャネイロ州
身長 183cm
体重 80kg
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

オズワルド・デ・オリヴェイラ・フィリョOswaldo De Oliveira Filho1950年12月5日 - )は、ブラジルリオデジャネイロ州出身のサッカー指導者。

2000年コリンチャンスを率いてFIFAクラブ世界選手権2000優勝に導いた名将。

2007年より鹿島アントラーズの監督に就任し、就任1年目でJ1優勝、さらに天皇杯も制し、2冠を達成した。翌2008年、翌々年の2009年にもJ1優勝を果たし、鹿島にJリーグ史上初となる3連覇をもたらした。またJリーグにおいて1クラブ(鹿島)での最速50勝到達記録も持っている(2007-2009)。

エピソード

  • 選手が得点を取ると、サポーターに万歳をしたり、何度もガッツポーズをするなど、熱い一面もある。
  • サンパウロ時代にカカを、サントス時代にはロビーニョの指導をしていた。
  • フィジカルコーチ出身でシーズン通しての緻密なコンディション管理、弱点を見極めた選手の肉体強化に長けている。例えば、監督の信念は「体力は貯金」であり、合宿で徹底した長距離のランニングや砂浜の走り込みをやらせ、一年間バテないような体力強化を行う。この方法で2007年シーズン、過密日程のシーズン後半によそのチームがコンディションや勢いを失っていく中、バテずに脅威の粘りを見せ、大逆転劇を見せることが出来たという。
  • 2007年12月1日、鹿島が最終節にして大逆転優勝を決めた清水エスパルス戦にて、終了のホイッスルとともに真っ先にピッチへ走り出し、喜びを爆発させた。一方、ピッチ上の選手たちは横浜で行われた横浜FCvs浦和レッズの試合経過を知らされていなかった為、優勝目前であるという事がわからないまま唖然としていた。
  • 趣味は音楽を聴くこと。家には何千枚もの音楽レコードがあるという。
  • 2008年11月29日、岩政のロスタイムの決勝ゴールで劇的勝利となったジュビロ磐田戦の試合終了後、今季ホーム最終戦サポーターへのあいさつで、涙を流しながら絶叫して喜びと優勝への意気込みを表現した。その際に「これで感動できなかったら医者にかかった方がいい!」と語った。

経歴

主な受賞歴

獲得タイトル

関連項目