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スティンガー (競走馬)

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スティンガー日本競走馬である。阪神3歳牝馬ステークス、4歳牝馬特別、京王杯スプリングカップ連覇等活躍した。現在は繁殖牝馬である。父はいわずと知れた名種牡馬サンデーサイレンス。母はアメリカで12戦1勝の成績を残し、スティンガー以前にサイレントハピネス、レガシーオブゼルダを出したレガシーオブストレングスである。(年齢は旧表記に統一する。)

戦績

3歳時

1998年11月8日に東京競馬場での新馬戦を快勝すると、続く赤松賞も勝ち連勝。ここで藤沢和雄はこの馬の能力を試すため阪神3歳牝馬ステークス(現阪神ジュベナイルフィリーズ)に連闘で出走させた。3番人気であったが、結果はエイシンレマーズ以下に2馬身の差を付け快勝した。これは12月6日の出来事で、デビューから僅か1ヶ月足らずのGI制覇であった。この勝利で1998年JRA賞最優秀3歳牝馬に選ばれたスティンガーは翌年に向け休養に入った。

4歳時

1999年はトライアルを使わず桜花賞に直接向かうこととなった。桜花賞では4歳牝馬特別(現:フィリーズレビュー)を勝ったフサイチエアデールチューリップ賞に優勝したエイシンルーデンス、阪神3歳牝馬ステークス3着でエルフィンステークスに勝ったゴッドインチーフ等を押さえ3.1倍の1番人気に押された。岡部幸雄騎手の初桜花賞制覇もかかっており、万全の仕上がりのはずだったが、スタートでいきなり出遅れ、後方からレースを進めたものの直線に入ってもまったく伸びずプリモディーネから10馬身離された12着に惨敗した。

桜花賞で惨敗したスティンガーは、今度は本番の優駿牝馬に直行することはなく、トライアルである4歳牝馬特別(現:フローラステークス)を叩いている。このレースでは桜花賞で惨敗したものの1番人気に支持され、桜花賞2着のフサイチエアデールを下し、優駿牝馬へ向かった。

優駿牝馬では1番人気トゥザヴィクトリーと差のない4.8倍の2番人気に押されていた。桜花賞優勝馬プリモディーネ、桜花賞4着のゴッドインチーフ、前走スティンガーに敗れたものの桜花賞2着のフサイチエアデール等の有力馬もオークス制覇をかけて出走していた。スティンガーは直線よく伸びたものの4着まで、トゥザヴィクトリーを差しきった伏兵ウメノファイバーが優駿牝馬を制覇した。

優駿牝馬後は休養に入り、秋に備えた。スティンガー陣営は秋シーズンの目標を天皇賞(秋)とすることを決定。通常は4歳(現3歳)牝馬限定戦の秋華賞に向かうのが普通だが、牡馬のしかも古馬が相手となる天皇賞に向かう牝馬はきわめて稀である。まずは天皇賞の前哨戦である毎日王冠に出走し、相手はグラスワンダーキングヘイローメジロドーベルなど歴戦の古馬が集まっており、スティンガーは8番人気に過ぎなかった。だが4着と善戦し、天皇賞に向かった。セイウンスカイが1番人気、ツルマルツヨシが2番人気でスティンガーは前走と同じ8番人気だった。レースは直線見せ場を作りスペシャルウィークの1馬身半差の4着に入った。さらにジャパンカップにも出走したがさすがに距離も長く最下位の14着、この後はマイル路線を中心に使われていくことになる。

5歳時

年が明け京都牝馬特別に出走し、エイシンルーデンス以下を下して2000年を幸先のいいスタートで始めた。3ヶ月の休養を挟んで出走した京王杯スプリングカップでは上昇著しいブラックホークやかつて敗れたキングヘイロー、ウメノファイバー等に快勝した。そして安田記念に1番人気で出走するも末脚が不発に終わりフェアリーキングプローンの4着に敗退し休養に入った。

アメリカ遠征のプランもあったが実現せず12月の阪神牝馬特別で復帰した、ここをトゥザヴィクトリーの10着と大敗し2000年を終えた。

6歳時

2001年東京新聞杯から始動しオリビエ・ペリエを鞍上に迎えたが3着と不調が続く。その後は前年と同じように休養に入り、復帰戦を京王杯スプリングカップとした。このレースで1年ぶりの勝利をあげ、同時に京王杯スプリングカップ連覇を達成した。この後は再び不調に陥り安田記念15着、関屋記念5着、札幌記念7着、阪神牝馬ステークス3着で2001年は1勝で終わった。

7歳時

スティンガーも7歳になり、あと1,2走で引退することが決定された。まずは東京新聞杯に出走し6着と叩いた後、引退レースとなる高松宮記念に出走した。このレースでは逃げ馬が1着2着と入線するという先行馬有利の中、最後方から追い込んでの3着で現役を終えた。

引退後

引退後は社台ファーム繁殖牝馬になり初年度はフレンチデピュティと交配され牝馬(フレンチアイドル)を産んだ。2003年の暮れにアメリカに渡り2004年キングマンボと交配、2005年フサイチペガサスを種付けした後日本に帰国する予定である。

スティンガー血統サンデーサイレンス系(ヘイルトゥリーズン系)/アウトブリード (血統表の出典)

*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛
父の父
Halo
1969 黒鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
父の母
Wishing Well
1975 鹿毛
Understanding Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower Montparnasse
Edelweiss

*レガシーオブストレングス
Legacy of Strength
1982 栗毛
Affirmed
1975 栗毛
Exclusive Native Raise a Native
Exclusive
Won't Tell You Crafty Admiral
Scarlet Ribbon
母の母
Katonka
1972 鹿毛
Minnesota Mac Rough'n Tumble
Cow Girl
Minnetonka Chieftain
Heliolight F-No.9-c


関連項目