K-1
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K-1(ケイワン)
K-1(ケイワン)は1993年より開催されているヘビー級を中心としたキックボクシングのイベントである。大阪の空手道場である正道会館館長の石井和義と当時No.1選手だった佐竹雅昭が中心となり、「キックボクシング」の名を使わず、ショーアップしてテレビの電波に乗せることで人気スポーツ・イベントとなった。商標権は石井和義が所有している。
名称の由来
Kは「空手」、「キックボクシング」、「カンフー」、「拳法」などの立ち技格闘技、あるいは喧嘩、または「格闘技」そのものの頭文字を意味する。K-1と言う名前は、創始者であり当時正道会館館長、株式会社ケイワン社長の石井和義が新日本プロレスのG1 CLIMAXに感動し、それにあやかって付けられたとされるが、当時大人気だったフジテレビのF-1中継に対し、車の最高峰がF-1なら空手(格闘技)の最高峰でK-1にしよう、と当時格闘技通信編集長だった谷川貞治(現K-1プロデューサー)の提案が通ったという説もある。いずれにせよ、空手、キックボクシング、カンフーなどの打撃系格闘技を統合して最強の格闘者を決めるイベントを行うというのが設立のコンセプトである。
概要
- 1992年10月4日、「格闘技オリンピックIII 〜カラテワールドカップ '92〜」で、石井和義が「"10万ドル争奪世界最強決定トーナメント"を来年開催する」と発表。後のK-1となる大会が初めて発表された。
- 1993年4月30日に第1回大会「K-1 GRAND PRIX '93 〜10万ドル争奪格闘技世界最強トーナメント〜」が開催され、8選手による無差別級トーナメントが行われた。以降、毎年無差別級トーナメントが行われている。
- 1993年冬には軽重量級の「K-2」、1995年には軽量級の「Kリーグ(K-3)」を開催するが、いずれも興行的に失敗に終わり、一度きりの開催となった。
- 日本テレビは日本人選手を主軸とする「K-1 JAPAN GP」シリーズを1997年から2004年にかけて放送した。JAPANシリーズは打ち切りになったものの、ワンデートーナメントのJAPAN GP大会のみ2005年からK-1 WORLD GPシリーズの一つとしてフジテレビが中継する。
- 2002年にはミドル級(-70kg)部門を設立、「K-1 WORLD MAX」シリーズを立ち上げる。このシリーズはTBSが放送している(地上波放送から数週間後以降にTBSチャンネルやBS-TBS(旧BS-i)でも放送、試合をピックアップしてJ SPORTSでも放送される)。2008年にはライト級(-60kg)もMAXにて創設された。
- 同年、プロレスにも進出し、全日本プロレスの全面協力を得てWRESTLE-1を立ち上げ。しかし興行面で失敗し、更に後述の石井の逮捕もあって廃止となる。その後2005年に形を変えて再び復活するものの、やはり失敗し廃止となる。
- 2002年12月に石井和義がK-1の全役職を辞任し、現在はFEGが主催、谷川貞治がイベントプロデューサーを、角田信朗が競技統括プロデューサーを、それぞれ務めている。
- 2003年12月31日には「K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!」を開催、曙太郎とボブ・サップの対戦で世間の注目を集めた。この試合はTBSが中継し、曙がKOされたシーンの視聴率は同時刻のNHK紅白歌合戦35.5%を上回る43%だった。
- 2004年にはPRIDEに対抗して総合格闘技にも進出、5月22日に「K-1 ROMANEX」(放送TBS)を立ち上げた。総合は2005年以降「HERO'S」「DREAM」と形を変えて行われている。
- 2006年までK-1の全ての王座は一日で準々決勝・準決勝・決勝の3試合を行うトーナメントによって決められていた。このことについてファンや専門家からは「選手の実力以外にトーナメントの組み合わせによって勝敗が大きく左右されるから本当に最強の選手が決まらない」「顔面打撃有りの試合を一日に複数試合も戦ったら選手の命が危険だ」といった批判の声が多い。また、トーナメントを勝ち上がった選手が怪我によるドクターストップで準決勝以降に出場できない場合は、一度負けた選手が敗者復活という形で勝ち上がる場合がある。2002年のK-1 WORLD GPにおいては10月のWGP開幕戦でアーネスト・ホーストがボブ・サップに敗れて敗退したが、同年12月の決勝大会準々決勝でサップと対戦予定だったセーム・シュルトが怪我で欠場したことによって代役でホーストが出場。結果的にホーストは開幕戦で勝とうが負けようが準々決勝に進出できたことになった。さらにその準々決勝でホーストは再びサップに敗れて敗退したが、サップが拳の骨折の疑いがあったためドクターストップで準決勝を欠場し、ホーストが敗者復活で準決勝に進出。そして準決勝ではレイ・セフォーと対戦し、セフォーが自ら蹴ったローキックで自分の脛を怪我する自爆によってホーストはノーダメージで1RKO勝ちで決勝進出。決勝では準決勝までの激闘で既に大ダメージを蓄積していたジェロム・レ・バンナの左腕が限界に達し、さらにレフェリーを務めていた角田信朗の不可解なレフェリング(角田信朗の項を参照)によってバンナの左腕が粉砕骨折し、ホーストが前代未聞のラッキーな形で優勝を果たした。このように、選手の実力以外の運などの面が優勝に左右される要素があまりにも大きいことについてファンや専門家から批判が相次いでいる。
- こういった批判を踏まえて、2007年からはトーナメントと併行してプロボクシングなどと同じワンマッチのタイトルマッチ制を導入。始めに100kgを境界としてヘビー級を分け、スーパーヘビー級とヘビー級の世界王座を決定し、以後は60kg以下のライト級、85kg以下のライトヘビー級の王座も創設予定である。さらに、世界王座だけでなく、地域王座、国内王座なども創設し、世界ランキングを作ってランキング上位の選手が世界王座に挑戦していくシステムを作っていく予定である。また、これらの階級・王座を認定していくことによって2011年を目標に世界各国5階級5選手による国別対抗戦、「K-1 WORLD CUP」の開催を目指すことを表明している。
- 近年は試合の判定結果などにおいて、大会運営者の中立性・公平性への疑問が呈されることが多い。例として2004年7月7日、「K-1 WORLD MAX 2004 〜世界一決定トーナメント〜」において魔裟斗は決勝戦でブアカーオ・ポー.プラムックと対戦したが、ダメージの蓄積に加え、ブアカーオの攻撃になすすべもなく3Rにはフラフラの状態で戦っていたのにもかかわらず、3R終了時点判定1-0で延長R突入となり、延長Rで判定負け、準優勝となった。この判定は問題となり、大会終了後の7月9日に「3R終了時点の判定はミスジャッジングであり、不適格かつ不可解」であったとして、角田信朗を始めとした審判員の処分を発表した。また、3R終了時点でブアカーオが3-0の判定勝ちであったことを正式に認証することになったが、公式記録上の変更は行わなかった。さらにレイ・セフォーはK-1 WORLD GP 2004 決勝戦のトーナメントにおいて武蔵に判定負けした際のインタビューで「努力だけでは報われない何か別の力が働いてしまったとしか思えない。」と発言している。また、K-1 WORLD GP 2005 in TOKYO 決勝戦の1回戦において武蔵に判定負けしたルスラン・カラエフは「武蔵選手はノックダウン、もしくは、ノックアウトしないと勝てないことは知っていました。それができなかったことが、私の間違いでした。」と試合後のインタビューで発言している。
- 2006年5月13日オランダ・アムステルダムでの、フランス人ジェロム・レ・バンナ vs. オランダ人レミー・ボンヤスキー戦は、明らかにバンナ優勢の試合内容であったにもかかわらず、オランダ人ジャッジ3人の判定2-0でレミーが勝利した。バンナ陣営から判定結果に強い抗議を受けた結果、日本にてビデオでの再ジャッジが行われて6月30日に正式に結果が出され、日本人6名、アメリカ人2名で構成された検証審判員によるビデオ検証の結果、3-0でバンナの判定勝利に変更された[1]。この試合は選手の人気や国籍が試合結果に影響しているのではないかというファンの疑念を深めてしまった。
- 2008年には、K-1 WORLD MAXの世界トーナメント決勝大会が、従来のK-1の一日3試合のトーナメント(準々決勝・準決勝・決勝を一日で行う形式)から一日2試合のトーナメント(準決勝・決勝を一日で行う形式)へと実験的に変更され、このシステムは2009年以降も継続されることとなった。これは選手のコンディションや安全面に配慮してのルール変更であったが、一方でK-1 WORLD MAXの看板スターである魔裟斗が前年の決勝トーナメント後に「もうトーナメントからは引退してワンマッチだけで戦っていきたい」とコメントしたことを配慮しての変更、というファンからの憶測や批判的な意見も多い。
- 2008年10月1日の日本武道館にて開催されたK-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINALでは、オープンスコアリングシステムを試験導入したが、魔裟斗 vs. 佐藤嘉洋 および 魔裟斗 vs. アルトゥール・キシェンコの2試合において、判定について疑惑[2]の声が上がる。
- 海外での興行は開催国でのK-1の人気拡大を目的としており、開催国での印象を良質な物にする為現地人の審判団を多く起用している。その為ホームタウンディシジョン(地元有利の判定)が誘発されるのだとする意見も存在するが、GP決勝戦が行われる日本の場合でもその意見は成立するため、多くの国での開催は公平な物だとも言える。
- マイク・ベルナルド(WBF)やヴァージル・カラコダ(IBC)のように、マイナー団体で王座を獲得した者が「ボクシング世界王者」と呼ばれ喧伝されることに対し、違和感を覚える格闘技・ボクシングファンは少なくない。
- 2000年から「K-1 WORLD GPシリーズ」が始まり、世界各国で予選、日本でも予選はトーナメント制からスタートした。しかしこの体制が始まってからK-1の人気選手であるピーター・アーツやマイク・ベルナルド等がケガやコンディション不良のためなかなか勝ちあがることが出来ず、これを見かねた石井がもう一度体制を見直し、2002年から前年ベスト8に残った選手は、開幕戦で地区予選優勝者と戦わせるという開幕戦ワンマッチ方式を編み出した。結果的に日本で行われるWORLD GP予選のトーナメント制は約2年で廃止されることとなった。
- 2004年より「K-1 FIGHTING NETWORKシリーズ」を開始。世界各地が開催されてきた予選会を統合した。
- 2007年には日本人選手の発掘を目的としたトライアウトを初めて実施した。このトライアウトからは元プロ野球選手の立川隆史らを輩出した。また、漫才コンビ「オードリー」の春日俊彰も売れる前にこのトライアウトに参加して、試合も経験している。
- 2008年より若年部門「K-1 YOUTHシリーズ」を新設。以降、「K-1甲子園」と題した高校生によるイベントを実施している。
- 2009年より女子部門の新設を表明。3月20日の「K-1 AWARD & MAX KOREA 2009」にてイム・スジョン vs. レーナ戦が組まれ、年内にもイベントを開催する予定である。女子の試合は過去に岡本依子 vs. ルシア・ライカ戦などワンマッチとして開催したことはある。
- 近年は中軽量級の充実を図るため、他のキックボクシング系組織との連携を行っている。2008年には全日本キックボクシング連盟によるKrushの旗揚げに協力しており、2009年にはR.I.S.E.と協力体制を強化した。
開催履歴
詳細は「K-1の大会一覧」を参照
基本的なルール
- 7.2メートル四方のリングで試合を行う。ロープは4本
- パンチ、キック、ひざなどの打撃技のみが使用が許される
- ローキックの使用は無制限に許されている一方、ひじ、頭突きなどは反則となる。もちろん投げ技、寝技は反則である
- 通常のワンマッチは3分5ラウンド。トーナメントは3分3ラウンドで延長もあり。しかし、2004年以降は通常のワンマッチも3分3ラウンド制に変更されている。
- 勝敗は以下の要素で決定する
ボクシングとは異なり、足による打撃が認められている。また、一般的なキックボクシング・ムエタイと違い、肘を攻撃に用いてはならず、首相撲からの膝蹴りやクリンチ、バックハンドブローにも制約がある。
これらはあくまでK-1のオフィシャルルールに過ぎず、実際の興行では、異なるルール、例えば総合格闘技ルールやそれとの折衷ルールの試合も行われている。
テレビ放送
K-1 WORLD GPシリーズ
- 無差別級トーナメント、スーパーヘビー級(100kg以上)・ヘビー級(100kg未満)のワンマッチを中心としたイベント
- 1993年の第1回からフジテレビで放送され、1996年の大会から全国ネットとゴールデンタイム放送に格上げされた。また、CS放送・フジテレビNEXTでも放送されている(CSの放送はステレオ2音声の放送となり、第1音声は通常の実況放送。第2音声はリングノイズ=実況音声なしで会場内音声のみの放送となる)。
- しかし、ここ数年は大会の予選数が増加しており、大抵のレギュラー枠のスポンサーがなかったり、また、大会自体によっては、予選が放送されない地域もある。
- 現在の司会は、女優の藤原紀香とタレントの長嶋一茂が担当している。また、SRSの格闘ビジュアル・クイーンがリポーターを務めている。
- WORLD GPはほとんど土日祝日に開催されている。海外での開催の場合は日曜日の夜か深夜に放送されることが多く(場合によってはゴールデン、19:00〜)、日本国内開催の場合はその日の夜(主に21:00〜)に放送されることが多い。下記のMAXとは違い、大抵は主要カードを全て放送する(ただし一部のカードはラウンドのカットやダイジェストとなることはある)。リザーブファイト、オープニングファイト、フレッシュマンファイトは放送されない。
- 協賛されることが多いスポンサー(開催地が日本の場合)…フィールズ、サッポロビール、JT、マツモトキヨシ、エスエス製薬、ロッテ、明治製菓や、その時間帯に提供されている一部の企業
- 提供クレジットのみ自粛するスポンサー(協賛しているスポンサーの競合スポンサーが多い)…日産自動車、KIRIN、DAIHATSU、再春館製薬所など
- 提供されないスポンサー(協賛していない企業、化粧品のスポンサーが多い)…ユニリーバ、アサヒビール、HONDA(ヒッチハイクになることがある)、P&G(ヒッチハイクになることがある)
- 使用される会場は、日本では東京ドーム、大阪ドームの他、地方でも行われている。また、海外でも、ラスベガスのホテル内ホールなどで行われる。
- テレビ放送でのナレーターは武居“M”征吾。その後2006年4月30日の放送(ラスベガス大会)からは2007年12月8日(決勝戦)まで鈴木英一郎が担当。現在2008年4月13日の放送(横浜大会)から立木文彦が担当。VHSやDVD版のナレーターは青嶋達也か奥寺健が多い。
K-1 WORLD MAXシリーズ
- ミドル級(70kg契約)。
- 2002年の第1回からTBS系列で放送されており、2月の日本代表決定トーナメントを皮切りに、年4回(2月・5月・7月・10月)開催されている。
- WORLD MAXは平日に開催されることが多い。2005年までは水曜日(一部土曜日)が多かったが、2006年以後は『月曜ゴールデン』の枠に放送する関係上、ほとんど月曜日に開催されている。放送時間は平日開催の場合は大抵21:00 - 22:54であり、土曜日開催の場合は19:00 - 20:54に放送される。以前はメインの試合が放送終了の約5 - 10分前に終わり、その後にベストバウトのカードを何試合かもう1回放送していたこともあったが、現在はメイン終了後にそのまま放送終了となるケースがほとんどである(メインカード前に他の試合のダイジェストとベストバウトをまとめて放送することもある)。そのためか、全カードを放送することは皆無に等しく、ダイジェストあるいは結果のみで完全にカットされるカードもある。
- 使用される会場は、有明コロシアムもしくは代々木第一体育館、横浜アリーナ、日本武道館。
K-1 甲子園シリーズ・K-1 WORLD YOUTHシリーズ
- 2007年よりTBS系列で放送。
- 2007年2月、K-1 WORLD MAX日本代表決定トーナメントにて、ヘッドギア着用の特別試合として現役中学生だったHIROYAがK-1史上最年少デビューを果たして3RKO勝利を収め、翌日のスポーツ新聞の一面を飾るなど話題となったことをきっかけにスタートした。
- K-1甲子園は年齢18歳以下の高校生ファイターによるイベント。2007年12月31日のK-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!でスタートし、2008年までは62kg以下級のみで行われていたが、2009年からは70kg級も行われることになった。名称は全国高等学校野球選手権大会が行われている阪神甲子園球場から。新空手との全面協力で行われている。2008年はK-1甲子園の地区予選トーナメントが各地区ごとに「K-1甲子園 予選トーナメント試合ルール[3]。」に則って行われ、予選優勝者がK-1甲子園トーナメントに進出し、決勝大会は同年大晦日のDynamite!!で行われる形式だった。2009年からは地区代表決定戦もリングの上で試合を行うことが決定している。
- K-1 WORLD YOUTHシリーズはK-1甲子園の反響の大きさを受けて2008年にスタート。20歳以下のK-1選手育成・強化を目的とする世界的プロジェクトである。世界各国においてU-20のトライアウトを実施し、強化選手を選抜しナショナル・チームを編成して国別対抗戦を行っている。K-1 WORLD MAXシリーズの大会で対抗戦を行うこともある。WORLD YOUTHの日本代表チームの監督は前田憲作が務めている。
- 2003年よりTBS系列で放送。
- 2001年・2002年の大晦日にTBS系で「日本レコード大賞」の後に放送していた「猪木祭」が2003年は日本テレビに移り、代わって登場したイベント。これによって、2003年の大晦日は日テレ系=猪木祭、TBS系=K-1、フジ系=PRIDEと、3局で格闘技イベントが放送された。
- 2003年は、藤原紀香・長谷川京子が、2004年は、井上和香・田丸麻紀が司会を務めた。
- 使用される会場は、大晦日イベントとなってからは大阪ドーム(東京ドームがジャニーズ事務所によるカウントダウンライブで使えないため)、2008年からはさいたまスーパーアリーナ(やれんのか! 大晦日! 2007を吸収したため)。
- 2005年7月・9月の「HERO'S」(2004年に行われた「K-1 ROMANEX」の後続イベント)では、本大会で決勝に残った2人が、大晦日の「K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!」で決勝を行った。また、「HERO'S」、「K-1 ROMANEX」は共にTBS系で放送。また、地上波の放送から数週間後以降にBS-iやCS放送・TBSチャンネルでも放送される(K-1 WORLD MAXシリーズも含む)。またJ SPORTS ESPNでもメインの試合をピックアップして放送される。
K-1 JAPAN シリーズ
- 協栄ボクシングジムがシュートボクシング初代全日本カーディナル級王者大村勝巳を専属コーチに迎えK-1キョウエイジムの看板を掲げ参戦したことも有った。
- 1997年から日本テレビ系列で放送開始。2004年の6月の大会を最後に事実上打ち切りとなり、現在では終了しているシリーズである。
- 日本人ファイター育成を目的に立ち上げられたシリーズだが、総合格闘技に挑戦したり、日本人ファイターと規格外の体格を持ったいわゆるモンスター系のファイターとを対戦させ、総合格闘技ルールの試合も行うなど、実験的要素の多いシリーズでもあった。
- テレビ放送のナレーターは垂木勉。VHSやDVD版は基本的にナレーターなし。マスコットガールは優香。日本テレビは『超K-1宣言』というK-1JAPANシリーズをフォローする情報番組も深夜に放送していた。
テーマ曲
- K-1 WORLD GPシリーズ(フジテレビ中継)のテーマ曲はプリンス(Prince)(当時はジ・アーティスト・フォーマリー・ノウン・アズ・プリンス(The Artist Formerly Known As Prince))のアルバム「ゴールド・エクスペリエンス(Gold Experience)」収録曲の「エンドルフィンマシーン(Endorphinmachine)」。エンディング曲は同じくプリンスの同アルバムの収録曲の「ゴールド(Gold)」。
- K-1 JAPAN GPシリーズ(日本テレビ中継)のテーマ曲はB'zのボーカリストである稲葉浩志の「AKATSUKI」。
- K-1 WORLD MAXシリーズ(TBS中継)のテーマ曲はガンマ・レイ(GAMMA RAY)のアルバム「ノー・ワールド・オーダー(No World Order)」収録曲の「インダクション(Induction)」。オープニングテーマはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)の「レクイエム ニ短調 K.626 第3曲 セクエンツィア」。
歴代優勝/準優勝者/3位
K-1 WORLD GPシリーズ
回 | 開催日 | 優勝 | 準優勝 | 3位 |
---|---|---|---|---|
1 | 1993年4月30日 | |||
2 | 1994年4月30日 | |||
3 | 1995年5月4日 | |||
4 | 1996年5月6日 | |||
5 | 1997年11月9日 | |||
6 | 1998年12月13日 | |||
7 | 1999年12月5日 | |||
8 | 2000年12月10日 | |||
9 | 2001年12月8日 | |||
10 | 2002年12月7日 | |||
11 | 2003年12月6日 | |||
12 | 2004年12月4日 | |||
13 | 2005年11月19日 | |||
14 | 2006年12月2日 | |||
15 | 2007年12月8日 | |||
16 | 2008年12月6日 | N/A | ||
17 | 2009年12月5日 | |||
K-1世界スーパーヘビー級王座
代 | 在位期間 | 王者 | 防衛回数 |
---|---|---|---|
初 | 2007年3月4日 - 現在 | 3 |
K-1世界ヘビー級王座
代 | 在位期間 | 王者 | 防衛回数 |
---|---|---|---|
初 | 2007年4月28日 - 2008年12月17日(剥奪) | 1 | |
2 | 2009年3月28日 - 現在 | 0 |
K-1 WORLD MAXシリーズ
回 | 開催日 | 優勝 | 準優勝 | 3位 |
---|---|---|---|---|
1 | 2002年5月11日 | |||
2 | 2003年7月5日 | |||
3 | 2004年7月7日 | |||
4 | 2005年7月20日 | |||
5 | 2006年6月30日 | |||
6 | 2007年10月3日 | |||
7 | 2008年10月1日 | |||
8 | 2009年10月26日 | |||
K-1 甲子園シリーズ
回 | 開催日 | 優勝 | 準優勝 | 3位 |
---|---|---|---|---|
1 | 2007年12月31日 | |||
2 | 2008年12月31日 | |||
K-2 GP
回 | 開催日 | 優勝 | 準優勝 | 3位 |
---|---|---|---|---|
1 | 1993年12月19日 | |||
K-3 GP
回 | 開催日 | 優勝 | 準優勝 | 3位 |
---|---|---|---|---|
1 | 1995年7月16日 | |||
各種記録等
- 最多優勝アーネスト・ホースト(4回)、MAX記録ブアカーオ・ポー.プラムック、アンディ・サワー、魔裟斗(2回)
- 最多連続優勝セーム・シュルト(3年連続)
- ファイナル連続最多出場記録アンディ・フグ、セーム・シュルト、MAX記録ブアカーオ・ポー.プラムック、アンディ・サワー(3年連続)
- 決勝トーナメント最多出場記録ピーター・アーツ(16回連続)、MAX記録魔裟斗(7回連続)
- 最年少優勝記録ピーター・アーツ(24歳)、MAX記録アルバート・クラウス(21歳)
- 最年長優勝記録ブランコ・シカティック(38歳)、MAX記録魔裟斗(29歳)
- 最短KO記録レミギウス・モリカビュチス(8秒)
- 最多連勝記録ピーター・アーツ(14連勝)
- 最多KO連勝記録ピーター・アーツ(9連続)
- 最多対戦回数、ピーター・アーツVSマイク・ベルナルド(6回)
脚注
- ^ ジェロム・レ・バンナ選手側からの判定に対する異議申し立てについての回答 K-1公式サイト 2006年6月30日
- ^ 一度両者にダウンを奪われた魔裟斗が反撃したという形で、本戦3R終了時の判定は引き分け延長戦になったことについて疑義を指摘される。魔裟斗VS佐藤嘉洋戦の判定について - K-1競技統括委員会より 2008年10月3日。その後、大会終了後の記者会見で「K-1ルールブックによると、必ず優勢の選手に10ポイントをつけるということが記されているが、魔裟斗vs佐藤嘉洋戦のジャッジで9-8がついている。これはどういう判断か」 という質問に対し「その表記に関しては、指摘があって変更するというのも恐縮ですが、必ず優勢の選手10にするということは、すぐに訂正したいと思います」と回答し、その場で事後的なルールの変更を表明した。魔裟斗vs佐藤嘉洋のジャッジについて角田信朗氏が説明 kamipro.com 2008年10月2日
- ^ K-1甲子園 予選トーナメント試合ルール
関連項目
- K-1選手一覧
- K-1 GRANDPRIX(テレビ番組)
- K-1グランプリ(玩具)
- K-1 PREMIUM Dynamite!!
- HERO'S
- WRESTLE-1
- 正道会館
- 極真会館
- PRIDE
- K-1王者一覧