WANDS
メンバー
名前 | プロフィール | 担当 | 在籍時期 | ||||
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第1期[† 1] | 第2期[† 2] | 第3期[† 3] | 第4期[† 4] | 第5期[† 5] | |||
上杉昇 (うえすぎ しょう) |
1972年5月24日(52歳) |
ボーカル(初代) | ● | ● | |||
柴崎浩 (しばさき ひろし) |
1969年12月13日(54歳) |
ギター(初代) | ● | ● | ● | ● | |
大島康祐 (おおしま こうすけ) |
1970年9月4日(53歳) |
キーボード(初代) | ● | ● | [† 6] | ||
木村真也 (きむら しんや) |
1969年7月28日(54歳) |
キーボード(2代目) | ● | ● | ● | ||
和久二郎 (わく じろう) |
1970年12月11日(53歳) |
ボーカル(2代目) | ● | ||||
杉元一生 (すぎもと いっせい) |
1972年5月8日(52歳) |
ギター(2代目) | ● | ||||
上原大史 (うえはら だいし) |
ボーカル(3代目) | ● | ● |
- 「第〇期」で数えると、一番多くの期間在籍しているのは柴崎だが(第3期以外全て)、実質的な活動期間で換算すると、一番長く在籍しているのは木村になる(1992年9月頃~2000年、2019年~)。
来歴
結成、デビュー 〜 解体(1991年 - 2000年)
1991年夏頃、ビーイングの音楽プロデューサー長戸大幸を介し、当時のBeing音楽振興会(後のBeing Music School)在籍の上杉と、BADオーディション(Being Artist Development Audition)で最終選考に残っていた柴崎、LOUDNESSのサポートメンバーとして活動していた大島を加えて結成[1]。同年12月にシングル『寂しさは秋の色』でデビュー。
1992年7月、3rdシングル『もっと強く抱きしめたなら』を発表。この作品を最後に、大島が自身のユニットSO-FIを結成するために脱退。後任として、柴崎のYAMAHA音楽院時代の知人であった木村が加入。10月、中山美穂とのコラボレーション作品として、中山美穂 & WANDS名義で発表したシングル『世界中の誰よりきっと』がミリオンセラーの大ヒットを記録。1992年の『第43回NHK紅白歌合戦』に中山がこの曲で出場した際、WANDSもサポートの形で参加した。『もっと強く抱きしめたなら』も、オリコンチャート登場29週目にして1位となりミリオンセラーを記録する。
1993年2月、4thシングル『時の扉』、4月には同名のアルバム『時の扉』を発表。いずれもオリコンチャート1位、ミリオンセラー記録の大ヒットとなり、日本の音楽界においてトップアーティストとしての地位を確立する。1993年度はシングル4,112,008枚、アルバム3,187,564枚の売り上げを記録し、第8回日本ゴールドディスク大賞を受賞した。以降1995年まで、シングル『愛を語るより口づけをかわそう』『世界が終るまでは…』、アルバム『Little Bit…』『PIECE OF MY SOUL』が、それぞれミリオンセラーを記録。シングル『恋せよ乙女』『Secret Night 〜It's My Treat〜』もオリコンチャート1位獲得のヒットとなった。
1995年12月、10thシングル『Same Side』を発表。2ndシングル以来のメンバーのみの手によるシングル曲で、上杉が志向する欧米的な流れであるニルヴァーナ風のオルタナティブのサウンドを如実に示すものであったが、当時の日本での売れ筋J-POP路線とは一線を画していたため前作から大幅に売上を落とす結果となった。しかし現在ファンの間では再評価され、上杉自身も「この曲が今の自分の音楽の原点となった。」と発言している。
1996年2月、11thシングル『WORST CRIME〜About a rock star who was a swindler〜/Blind To My Heart』を発表後、長戸が求めるWANDSのスタイルと音楽性との違いを理由に1997年初頭に上杉昇と柴崎浩が脱退(後に2人はal.ni.coを結成)し、活動を休止。ビーイングが「WANDS」の名前を商標登録していたため、残った木村真也は2代目ボーカルに和久二郎、ギターに杉元一生を迎え、第3期WANDSとして活動を再開する。
1997年9月、当時デビュー直後であった小松未歩の楽曲提供により、12thシングル『錆びついたマシンガンで今を撃ち抜こう』を発表。その後もZARDの坂井泉水やGARNET CROWとしてデビューする前のAZUKI七からの楽曲提供を受け、シングル4枚、オリジナルアルバム1枚を発表したが、2000年3月に公式サイト上で「解体」(解散)を表明した。
解体後(2000年 - 2019年)
※ここでは、メンバー間の繋がりがある事例のみを記載する。
2006年のT.M.Revolutionのアルバム『UNDER:COVER』のレコーディングに柴崎と大島が参加。以前からT.M.Revolutionのライブにサポートメンバーとして参加していた柴崎の仲介で大島を起用できたと西川貴教がインタビューで語っている。2011年4月2日に行われた西川主催のチャリティーライブ『STAND UP! JAPAN 中央共同募金会』では前述のアルバムで大島が編曲とキーボード、柴崎がギターを手掛けた「HEART OF SWORD 〜夜明け前〜」を大島、柴崎を含むメンバーでライブ演奏している。2人のライブでの共演はWANDS時代を含め初めてであった。イベント終了後、2人が「WANDSとしてサインした」という大島がWANDS時代に使用していたシンセサイザー、YAMAHA DX7II-FDがチャリティーオークションに出品された。
2011年3月28日、杉元(現・安保)が出演したライブに、和久が、本名の"松元治郎"名義でゲストボーカルとして参加[2]。尾崎豊の「僕が僕であるために」を歌唱している。2人のライブでの共演はWANDS時代を含め初めてであった。その後、2012年に松元は安保の支援を受けて音楽活動を再開[3]。同年10月にリリースされた松元の初ソロアルバム『Reverb』は、安保がプロデューサーを務めており、収録曲「Journey」のクレジットは「作詞:松元治郎 作曲:木村真也 編曲:安保一生」といった第3期メンバーの並びとなった[4]。2012年12月2日に開催された初ワンマンライブ『松元治郎 1st LIVE』で、松元と安保が再び共演した[5]。
2016年3月13日、『松元治郎 2nd LIVE』では引き続き安保が参加、スペシャルゲストとして木村が参加したことで、第3期WANDSのメンバーが全員揃っての初のライブとなり、第3期WANDS時代の楽曲(シングル曲全て)も披露された。
再始動(2019年 - )
2019年11月13日、新ボーカリスト上原大史を3代目ボーカルに迎え第5期として活動を再開することを発表した。プロデューサーの長戸は2018年からWANDSの再始動に向けて動いており、大島康祐、柴崎浩、上原大史の3人体制を第4期とし、楽曲の制作を行なっていた。その後大島は制作に専念し、木村がメンバーに加わることが決定。上原、柴崎、木村の3人で第5期の活動となった[6]。11月17日に行われるフリーライブ『DFT presents 音都 ONTO vol.6 @堂島リバーフォーラム』の模様をYouTube Liveで生配信、2020年1月29日にシングル『真っ赤なLip』を発売することが併せて発表された。
2020年1月29日にWANDS第5期としては初めての楽曲となる、『真っ赤なLip』をリリース。この曲はテレビアニメ名探偵コナンのOP曲に起用された。同年5月20日には『抱き寄せ 高まる 君の体温と共に』をリリースし、オリコンのデイリーチャートで初登場首位を獲得した。なおこの曲はBSテレ東土曜ドラマ9『サイレント・ヴォイス season2』の主題歌に起用されている。
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「WANDS」というバンド名は、プロデューサーである長戸が付けたもので、タロットカードのワンド(wand/wands:「魔法の杖」のこと)の中の、キモヲタWWWWWWゴキブリ必死だな。
編集。くっさかわいそう。
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! rowspan="2" | 名前
! rowspan="2" | プロフィール
! rowspan="2" | 担当
! colspan="5" | 在籍時期
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! 第1期[† 7]
! 第2期[† 8]
! 第3期[† 9]
! 第4期[† 10]
! 第5期[† 11]
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| align="center"|上杉昇
(うえすぎ しょう)
| 1972年5月24日(52歳) 日本 埼玉県川越市
| ボーカル(初代)
| style="text-align:center" | ●
| style="text-align:center" | ●
|
|
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| align="center"|柴崎浩
(しばさき ひろし)
| 1969年12月13日(54歳) 日本 東京都
| ギター(初代)
| style="text-align:center" | ●
| style="text-align:center" | ●
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| style="text-align:center" | ●
| style="text-align:center" | ●
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| align="center"|大島康祐
(おおしま こうすけ)
| 1970年9月4日(53歳) 日本 福岡県
| キーボード(初代)
| style="text-align:center" | ●
|
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| style="text-align:center" | ●
| style="text-align:center" | [† 12]
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| align="center"|木村真也
(きむら しんや)
| 1969年7月28日(54歳) 日本 青森県五所川原市
| キーボード(2代目)
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| style="text-align:center" | ●
| style="text-align:center" | ●
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| style="text-align:center" | ●
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| align="center"|和久二郎
(わく じろう)
| 1970年12月11日(53歳) 日本 東京都
| ボーカル(2代目)
|
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| style="text-align:center" | ●
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| align="center"|杉元一生
(すぎもと いっせい)
| 1972年5月8日(52歳) 日本 東京都
| ギター(2代目)
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| style="text-align:center" | ●
|
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| ' | | | | style="text-align:center" | ● | style="text-align:center" | ● |- |}
- 「第〇期」で数えると、一番多くの期間在籍しているのは柴崎だが(第3期以外全て)、実質的な活動期間で換算すると、一番長く在籍しているのは木村になる(1992年9月頃~2000年、2019年~)。
名前 | プロフィール | 担当 | 在籍時期 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
第1期[† 13] | 第2期[† 14] | 第3期[† 15] | 第4期[† 16] | 第5期[† 17] | |||
上杉昇 (うえすぎ しょう) |
1972年5月24日(52歳) |
ボーカル(初代) | ● | ● | |||
柴崎浩 (しばさき ひろし) |
1969年12月13日(54歳) |
ギター(初代) | ● | ● | ● | ● | |
大島康祐 (おおしま こうすけ) |
1970年9月4日(53歳) |
キーボード(初代) | ● | ● | [† 18] | ||
木村真也 (きむら しんや) |
1969年7月28日(54歳) |
キーボード(2代目) | ● | ● | ● | ||
和久二郎 (わく じろう) |
1970年12月11日(53歳) |
ボーカル(2代目) | ● | ||||
杉元一生 (すぎもと いっせい) |
1972年5月8日(52歳) |
ギター(2代目) | ● | ||||
上原大史 (うえはら だいし) |
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タグがありますが、対応する <references group="†"/>
タグが見つかりません
- ^ 引用エラー: 無効な
<ref>
タグです。「barks20080112
」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません - ^ Suginho Session お写真、Suginho Session お写真 2 - Issei Ambo "Private Management"にて、ライブの模様がアップされている。
- ^ 松元治郎 始動♪ - Issei Ambo "Private Management"より
- ^ 松元治郎『Journey』動画 公開♪ - Issei Ambo "Private Management"より
- ^ 松元治郎公式サイトのライブ情報の『BAND MEMBER』参照。『Brand New Love』を提供した綿貫正顕も、ゲストで参加した。
- ^ “第5期WANDS始動!初ライブ生配信&年明けにニューシングル” 2019年11月13日閲覧。