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ポール・ホイタック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポール・ホイタック
Paul Foytack
デトロイト・タイガース時代
(1960年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ペンシルベニア州
生年月日 (1930-11-16) 1930年11月16日
没年月日 (2021-01-23) 2021年1月23日(90歳没)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
175 lb =約79.4 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1949年
初出場 MLB / 1953年4月21日
NPB / 1965年4月13日
最終出場 MLB / 1964年5月7日
NPB / 1965年9月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ポール・ユージーン・フォイタック(Paul Eugene Foytack、1930年11月6日 - 2021年1月23日[1][注 1])は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州出身[注 2]プロ野球選手投手[注 3])。右投右打[注 4]

身長は、5' 11" =約180.3 cm[注 5]、体重は、175 lb =約79.4 kg[注 6]

姓の片仮名表記である「ホイタック」は、日本プロ野球在籍時の登録名であり、基本的に日本国内のメディアで使用された[注 7]

来歴・人物

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ベン・テクニカル高校[注 8]から、デトロイト・タイガース[2][4][3]ロサンゼルス・エンゼルス[2][4][3]を経て、1965年の春季キャンプで日本(NPBセントラル・リーグ)の中日ドラゴンズへテスト入団[注 9]。防御率3.16とまずまずの成績だったが、勝ち運に恵まれず[2]、2勝に終わった[2]。同年に退団[注 10]

中日時代、自身の起用法について当時投手コーチだった近藤貞雄と話し合い、その中で当時メジャーでは当たり前となっていた「投手分業制」を近藤に教えたといわれている。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1953 DET 6 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 51 9.2 15 1 9 -- 1 7 0 0 12 12 11.17 2.48
1955 22 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 227 49.2 48 4 36 3 0 38 4 0 29 29 5.26 1.69
1956 43 33 16 1 2 15 13 1 -- .536 1098 256.0 211 24 142 4 2 184 8 3 114 102 3.59 1.38
1957 38 27 8 1 0 14 11 1 -- .560 904 212.0 175 19 104 12 4 118 5 0 79 74 3.14 1.32
1958 39 33 16 2 1 15 13 1 -- .536 944 230.0 198 23 77 1 3 135 2 0 98 88 3.44 1.20
1959 39 37 11 2 2 14 14 1 -- .500 1000 240.1 239 34 64 3 2 110 6 1 137 124 4.64 1.26
1960 28 13 1 0 0 2 11 2 -- .154 435 96.2 108 11 49 3 0 38 2 1 70 66 6.14 1.62
1961 32 20 6 0 0 11 10 0 -- .524 702 169.2 152 27 56 0 2 89 1 0 81 74 3.93 1.23
1962 29 21 5 1 0 10 7 0 -- .588 654 143.2 145 18 86 2 1 63 5 2 80 70 4.39 1.61
1963 9 0 0 0 0 0 1 1 -- .000 78 17.2 18 4 8 0 0 7 0 0 18 17 8.66 1.47
LAA 25 8 0 0 0 5 5 0 -- .500 300 70.1 68 9 29 6 0 37 1 1 35 29 3.71 1.38
'63計 34 8 0 0 0 5 6 1 -- .455 378 88.0 86 13 37 6 0 44 1 1 53 46 4.70 1.40
1964 2 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 13 2.1 4 2 2 1 0 1 0 0 4 4 15.43 2.57
1965 中日 18 10 0 0 0 2 3 -- -- .400 256 57.1 46 4 40 4 3 35 3 0 24 20 3.16 1.50
MLB:11年 312 193 63 7 5 86 87 7 -- .497 6406 1498.0 1381 176 662 35 15 827 34 8 757 689 4.14 1.36
NPB:1年 18 10 0 0 0 2 3 -- -- .400 256 57.1 46 4 40 4 3 35 3 0 24 20 3.16 1.50
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

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NPB

背番号

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  • 39 (1953年)
  • 36 (1955年)
  • 21 (1956年 - 1963年)
  • 49 (1963年)
  • 20 (1964年)
  • 18 (1965年)[注 11]

登録名

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脚注

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注釈

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  1. ^ 参考出典:
    • 英語表記「Paul Foytack」…[2]
      • 「PAUL FOYTACK」…[3]
    • 生年月日…[4][2][3]
  2. ^ ペンシルベニア州出身である旨は、次の資料を参照[2][4]
  3. ^ 投手だったことは、次の資料を参照[2][4]
  4. ^ 利き腕は、次の資料を参照[2][4][3]
  5. ^ 日本プロ野球在籍時は180cm[3]
  6. ^ 日本プロ野球在籍時は81kg[3]
  7. ^ フォイタック」と表記する場合もある。参考…1975年[5]
  8. ^ 次の資料より、最終学歴として明記[6]。「ベンテクニカル高校」[2][4][3]と記載する資料もあり。
  9. ^ 1965年のキャンプ中に中日へテスト入団したことは、次の資料に記載[2]
  10. ^ 1965年限りで中日を退団したことは次の資料を参照[2][4]
  11. ^ a b 参考…[7][8][6]

出典

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  1. ^ “Obituary for Paul Eugene Foytack” (英語). Heritage Funeral Home & Cremation Services, LLC. https://www.tnfunerals.com/obituary/paul-foytack 2021年1月28日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『日本プロ野球歴代全選手写真名鑑』(『B.B.MOOK』1144。2015年4月15日発売、ベースボール・マガジン社発行。コード:ISBN 978-4583622217)P180掲載「ホイタック」
  3. ^ a b c d e f g h 日本野球機構(NPB)公式サイト内プロフィール
  4. ^ a b c d e f g h 『中日ドラゴンズ70年 昇竜の軌跡』P142掲載「ホイタック」
  5. ^ 『週刊ベースボール』1975年3月3日特大号P43より、「来日外人選手と通算成績(26年以降)=投手」(昭和26年=1951年以降の日本プロ野球における外国出身投手と通算成績の一覧)を参照。 ※一覧末尾より、原則本名で記載しつつも日本における通称が著しく異なる場合のみ別途記載の旨記述あり。
  6. ^ a b 日本プロ野球80年史』記録編に収録された、名古屋→産業→中部日本→中日ドラゴンズ→名古屋ドラゴンズ→中日ドラゴンズの年度別メンバー表を参照。
  7. ^ 中日ドラゴンズ70年 昇竜の軌跡』P149に掲載された、1965年当時の中日ドラゴンズの背番号一覧表。
  8. ^ 日本プロ野球背番号大図鑑』に掲載された、名古屋→産業→中部日本→中日ドラゴンズ→名古屋ドラゴンズ→中日ドラゴンズの年度別背番号一覧表を参照。

参考資料

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  • 『中日ドラゴンズ70年 昇竜の軌跡』(『B・B・MOOK』350、『スポーツシリーズ』NO.234。2005年4月発売・6月1日発行、ベースボール・マガジン社ISBN 978-4583613246
  • 『日本プロ野球背番号大図鑑 球団別全背番号年表』(『BB MOOK』892。2013年2月1日、ベースボール・マガジン社発行) ISBN 978-4583619354
  • 『日本プロ野球80年史 1934-2014』(2014年12月、ベースボール・マガジン社発行) ISBN 978-4-583-10668-7
    • 付録DVD-ROM「記録編」
  • 『週刊ベースボール』1975年3月3日特大号「75年プロ野球選手写真名鑑」(第30巻第8号週刊第912号。同年月日、ベースボール・マガジン社発行) ※のちに『日本プロ野球80年史』初回生産分特別付録として復刻版も発行。
    • P40-43掲載『記録の手帖』第730回「過去来日した外人選手の全調査」

関連項目

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外部リンク

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