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金鉄万

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金 鉄万
김 철만
生年月日 1920年11月2日
出生地 大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮咸鏡南道雲興郡
没年月日 (2018-12-03) 2018年12月3日(98歳没)
死没地 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国平壌直轄市
所属政党 朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党
称号 金日成勲章金正日勲章
共和国二重英雄労働英雄

当選回数 9回
在任期間 1962年4月 - 2018年12月3日
最高指導者 金日成1948年 - 1994年
金正日(1994年 - 2011年
金正恩(2011年 - )

その他の職歴
朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員
1990年5月 - 2003年3月
朝鮮労働党の旗 朝鮮労働党中央委員会委員
1970年11月 - 2018年12月3日)
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金 鉄万
各種表記
チョソングル 김철만
漢字 金鐵萬
発音 キム・チョルマン
日本語読み: きん・てつまん
英語表記: Kim Chol-man
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金 鉄万(キム・チョルマン、朝鮮語: 김철만1920年11月2日 - 2018年12月3日)は、朝鮮民主主義人民共和国軍人政治家朝鮮人民軍における軍事称号(階級)は大将。抗日パルチザン世代の1人である。共和国二重英雄[1]

朝鮮労働党軍需工業部第二経済委員会委員長、朝鮮労働党中央委員会政治局委員候補、朝鮮労働党中央軍事委員会委員、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員などを歴任。

経歴

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1920年、日本統治下の両江道雲興郡に生まれる。1937年7月に金日成指揮下の抗日武装組織朝鮮人民革命軍に入隊し、呉仲洽7連隊で抗日パルチザン活動に参加する。朝鮮戦争では連隊長としとて従軍する[2]

1962年最高人民会議第三期より代議員に選出された。民族保衛省作戦局長、朝鮮人民軍陸軍第2軍団長などを歴任。

1966年朝鮮労働党中央委員会委員候補、1970年に中央委員会委員を経て、1976年に政治局委員候補に就任した。1981年に一度退任する。1990年5月24日に行われた最高人民会議第9期最高人民会議第1回会議で朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員、政治局委員候補に選出された。1970年朝鮮労働党中央軍事委員会委員に就任。1988年に大将に昇進し、軍需動員総局長に就任した。1989年から軍需工業部第二経済委員会委員長に就任し、軍需工業の現代化やミサイル開発を進めたことから「北朝鮮ミサイルの父」と呼ばれる[3]

2003年に15年間務めた軍需工業部第二経済委員会委員長と国防委員会委員を退任。2010年9月には中央委員会政治局委員候補・中央軍事委員会委員を退任し、第一線から退く[1]。党中央委員会委員・最高人民会議代議員には死去するまで在任していた。

2018年12月3日、膀胱癌の為死去した。党中央委員会と党中央軍事委員会、国務委員会最高人民会議常任委員会金正恩を国家葬儀委員長として国葬を執り行った[1]

略歴

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脚注

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  1. ^ a b c 北朝鮮の金鉄万氏が死去…抗日パルチザン出身の軍需通 デイリーNK 2018年12月5日
  2. ^ 北朝鮮の金鉄万氏が死去…抗日パルチザン出身の軍需通 デイリーNK 2018年12月5日
  3. ^ 「北ミサイルの父」金鉄万死去…葬儀委員長に金正恩 中央日報 2018年12月5日