コンテンツにスキップ

金沢嘉市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かなざわ かいち

金沢 嘉市
生誕 (1908-10-02) 1908年10月2日
愛知県宝飯郡蒲郡町平田村(現・蒲郡市平田町)
死没 (1986-10-10) 1986年10月10日(78歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 青山師範学校東京学芸大学の前身)
職業 教育者教育評論家
著名な実績 子どもの文化研究所所長
代表作 1967年『ある小学校長の回想』
1988-89年『金沢嘉市の仕事』全5巻
テンプレートを表示

金沢 嘉市(かなざわ かいち、1908年10月2日 - 1986年10月10日)は、日本の教育者教育評論家

愛知県出身。41年の教員生活で世田谷区立祖師谷小学校校長などを務め、定年後には「児童教育研究家」の肩書で活動した。

経歴

[編集]

青年時代

[編集]
母校である宝飯郡実業学校

1908年(明治41年)10月2日に愛知県宝飯郡蒲郡町平田村(現・蒲郡市平田町)に生まれた。父親は平田村の副区長や区長を務めた。1915年(大正4年)に蒲郡町立東部小学校に入学し、1921年(大正10年)に宝飯郡実業学校(その後愛知県立蒲郡農学校に改称、現在の愛知県立蒲郡高等学校)に入学して教員の道を目指した。1927年(昭和2年)に東京の青山師範学校二部(東京学芸大学の前身)に入学し、1928年(昭和3年)に青山師範学校を卒業して小学校教師となった。

教員時代

[編集]

まずは東京府西多摩郡多西村(現・あきる野市)の多西村立多西小学校に赴任し、1931年(昭和6年)に北豊島郡(現・豊島区)の西巣鴨第三小学校に転任した。1935年(昭和10年)に南山小学校の養護教諭だった木下イトと結婚した。1940年(昭和15年)に芝区南桜小学校に転任した。1943年(昭和18年)に芝区の麻布中央国民学校に転任した。1944年(昭和19年)に芝区の愛高国民学校に転任した。1947年(昭和22年)に港区港区立桜川小学校に転任した。1955年(昭和30年)に世田谷区世田谷区立玉川小学校教頭として転任した。

1958年(昭和33年)には50歳で世田谷区の世田谷区立祖師谷小学校の校長となり、勤務評定問題と向き合った。1962年(昭和37年)には世田谷区立三宿小学校の校長となり、学力テスト問題と向き合った。1966年(昭和41年)には世田谷区立代沢小学校の校長となり、1967年(昭和42年)には岩波書店から『ある小学校長の回想』を出版した。1968年(昭和43年)から1969年(昭和44年)には家永教科書裁判で証言を行った。1969年に定年となり、同年にはモービル児童文化賞を受賞した。

児童教育研究家時代

[編集]

定年後には「児童教育研究家」の肩書で活発に教育評論活動を行い、さまざまな都市で講演などを行った。1972年(昭和47年)にはTBSの「母と子の教育相談」に教育評論家の丸木政臣らとともにレギュラー出演した。同年にあすなろ書房から出した『つしま丸のそうなん 沖繩の子どもたち』は、第19回産経児童出版文化賞に推薦されている。1974年(昭和49年)には学校法人明星学園の理事となった。1978年(昭和53年)には子どもの文化研究所の所長となった。1985年(昭和60年)には東京女子医科大学病院に検査入院して肺線維症と診断され、1986年(昭和61年)10月10日に清瀬市国立療養所東京病院で死去した。78歳没。

死後

[編集]

墓所は杉並区久我山の専光寺。死後の1988年(昭和63年)から1989年(平成元年)にはあゆみ出版から『金沢嘉市の仕事』全5巻が刊行された。死後には出身地の蒲郡市立図書館に遺族から蔵書が寄贈され、1993年(平成5年)には図書館に「金沢ヒューマン文庫」が設置された[1]

著書

[編集]

単著

[編集]
  • 『ある小学校長の回想』1967 岩波新書
  • 『人間にくずはない わたくしの教育信条』あすなろ書房 1967
  • 『一まいの卒業証書』久米宏一絵 あすなろ書房 1969
  • 『ほんとうの教育を求めて』主婦の友社 1970
  • 『風の子太陽の子に 続・ほんとうの教育を求めて』主婦の友社 1974
  • 『教育に生きて』毎日新聞社 1977
  • 『子どもの天分を生かすために』あすなろ書房 1977
  • 『子どもらに未来を』毎日新聞社 1979
  • 『人間のやさしさ強さ』童心社 1981 子どもの文化双書
  • 『私の教育談義』群羊社 1985
  • 『ゆっくり芽を出せ柿の種 金沢先生に学ぶ』椋の木社 1987
  • 『金沢嘉市の仕事』全5巻 金沢嘉市著作集編集委員会編 あゆみ出版 1988-89

共編著

[編集]
  • 『人間教師は苦悶する 真実の教育を求めて』樋口澄雄対話 誠文堂新光社 1969
  • 『子ども・親・教師三つどもえの教育』丸岡秀子,遠藤豊吉共著 あすなろ書房 1972
  • 『母と子の教育相談 幼児編/児童篇/中学篇』丸木政臣共著 偕成社 1974
  • 『登校拒否 学校ぎらいの深層心理』丸木政臣共編 労働旬報社 1983

脚注

[編集]
  1. ^ 『金沢ヒューマン文庫』が蒲郡南部小に移設」『東愛知新聞』2018年8月14日

外部リンク

[編集]