益子祇園祭
益子祇園祭 | |
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イベントの種類 | 祇園祭(山王祭) |
通称・略称 | (益子訛りの方言として)ギョン祭り[1] |
開催時期 | 7月23日、24日、25日 |
会場 |
栃木県益子町町内の各所。 城内町、田町、道祖土町などの各参加町の主要道路。 栃木県益子町鹿島神社前。 |
最寄駅 | 益子駅 |
益子祇園祭(ましこぎおんまつり)は、栃木県芳賀郡益子町で毎年7月23日から7月25日の3日間、益子にある八坂神社[2]の祭礼として行われる祭りである[3][4]。
中日の7月24日に、「当番町引き継ぎの儀式」である神事の一つとして「関東三大奇祭」の一つとされることもある「御神酒頂戴式」が行われることで有名である[5]。
概要
[編集]益子町にある八坂神社は、同じく益子町にある鹿島神社の末社である[4]。そして毎年、7月23日、24日、25日の3日間、祇園祭(過去には天王祭と呼ばれていた)が行われる[4]。
益子の祇園祭は「八坂神社の祇園祭」とも呼ばれている[5]。
益子の中心部にある集落からそれぞれ山車が参加し、益子町の中心街を練り歩く盛大な祭りである[1]。
もともとの益子町民のみならず、高内秀剛や[6]薄田浩司など、益子町に移住した陶芸家の中にも積極的に参加する者もいる[7][8]。
新型コロナ禍により、山車練り歩きはされたものの、屋台の出店取り止めや、感染対策が取られた上での御神酒頂戴式などの規模縮小の措置が取られていた[9]。そして2023年(令和5年)7月23日から7月25日まで、屋台も出店した完全な形での益子祇園祭が4年ぶりに行われた[10]。
由来
[編集]宝永2年(1705年)の頃、益子に疫病が流行った際に、疫病退散を祈り疫病を司る牛頭天王を祭ったことから始まったとされている[5]。
昔の祭事日程と内容
[編集]陰暦の6月15日に仮屋への神輿の橋渡しが行われる[11]。
そして陰暦6月23日から大祭が挙行される[11]。
陰暦6月23日には氏子一同に神酒が賜る。当番引き継ぎには、当時の一年の日数に合わせた三升六合入りの大杯を用いて神酒を賜った[11]。これが現在の「御神酒頂戴式」へと繋がっている。
陰暦6月24日には神輿の入御が行われ、昔は警衛士、大旗、騎馬乗馬の鎧武者、神主、靴持ち、道具持ち、村役人などによる行列式が行われた[11]。
そして陰暦6月25日には、当時の益子村の領主であった黒羽藩主・大関氏へ、神主からお祓い献上の儀式が行われた[11]。
日程と各種行事
[編集]日付は曜日とは関係無く、日程を変更すること無く、毎年7月23日、24日、25日の日程で開催される。
1日目となる7月23日、八坂神社から御分霊された御霊を八坂神社の本社神輿に乗せて担ぎ、その年の当番となった地区に設置された「御仮屋」に配置する[3]「神輿の渡御(出御祭)」から始まる[5]。
そして益子町内の5地区:新町・田町・内町・城内・道祖土と、田野地区の山本を入れる6地区の屋台が「付け祭り」として[5]益子町内を巡行し、益子の町中を練り歩く[3]。これは期間中3日間、他の各種行事と平行しながら続けられる。
ちなみに「御神酒頂戴式」は女人禁制であるが、益子祇園祭の牛頭天王は「女性」と言われているためか[5]、屋台の巡行やお囃子の演奏にも女子や女性が積極的に参加する。そして他の地域の祇園祭のような、屋台同士でぶつかり合っての荒々しい揉み合いは行われない[5]。
7月23日の夜[注釈 1]、2005年(平成17年)から採用された[12][13][14]、益子町在住の造形家・KINTA[15][16][17][18]を中心として結成された「下野手筒会」により[19][20]「手筒花火」が打ち上げられ、祭りを盛り上げる[5][10]。
2日目となる7月24日には、江戸時代から伝わる益子町指定無形民俗文化財であり、栃木県日光市輪王寺の「強飯式」を代表とする、栃木県に多く存在する「強飯習俗」のうちでも「本物の酒」を飲むことを強いる、全国でも稀な「当番引き継ぎ式」となる[5]ことから関東三大奇祭の一つとされている「八坂神社御神酒頂戴式(やさかじんじゃおみきちょうだいしき)」が行われる[5][3][21][22][23]。
最終日の7月25日の夜22時からは、益子町の鹿島神社の前に各町の屋台が全て集い、「御上覧」と呼ばれる屋台の神前奉納の儀が行われる[5][4]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 益子探訪,倉本秀清 1992, p. 72.
- ^ 「ましこ世間遺産」認定No.10|八坂神社-益子町公式ホームページ
- ^ a b c d 益子の文化 伝統文化|益子町観光協会
- ^ a b c d 「ましこ世間遺産」認定No.54|八坂神社祇園祭(益子祇園祭・天王祭)|益子町公式ホームページ
- ^ a b c d e f g h i j k 柏村祐司,栃木の祭り 2012, p. 106-108.
- ^ 益子探訪,倉本秀清 1992, p. 72-74.
- ^ 下野新聞社 1984, p. 94-95.
- ^ ito_susukida 薄田いと [@ito137.3life] (2017年11月18日). "父と父のもとで修行した7名とで…". Instagramより2023年7月19日閲覧。
- ^ 益子町祇園祭規模縮小で開催 | 真岡新聞
- ^ a b “雨のように降り注ぐ火の粉に歓声 益子祇園祭で復活の手筒花火”. 下野新聞「SOON」 (2023年7月24日). 2023年7月26日閲覧。
- ^ a b c d e f 『下野神社沿革誌 巻之6』風山広雄 編「益子町」「益子町大字益子鎮座」「村社 鹿島神社」十五 - 十六 - 国立国会図書館デジタルコレクション 2023年9月23日閲覧。
- ^ 「下野新聞」2005年(平成17年)7月22日付 11面「手筒花火を披露」「24日に益子祇園祭」「本場・愛知で習ってきました」「自営業者の会が実演」
- ^ 「下野新聞」2006年(平成18年)7月22日付 31面「手筒花火を今年も披露」「祇園祭の24日」
- ^ 「下野新聞」2006年(平成18年)7月26日付 26面「火の粉浴びながら」「益子の下野手筒会」「勇壮な打ち上げ披露」
- ^ KINTA STUDIO【ご案内】
- ^ KINTA/キンタ【プロフィール】
- ^ 永田茂夫 作家名 KINTA (@kinta_studio0105) - Instagram
- ^ 枻出版社,焼き物の里を訪ねて益子・笠間 2009, p. 86-89.
- ^ 下野手筒会について
- ^ 下野手筒会【しもつけてづつかい】
- ^ 八坂神社御神酒頂戴式御神酒頂戴式|文化財詳細|益子町の文化財 - 益子町公式ホームページ
- ^ “祇園祭を振り返って ー御神酒頂戴式ー”. ましこサポーターズクラブ (2013年8月1日). 2023年7月26日閲覧。
- ^ 「下野新聞」2006年(平成18年)7月25日付 26面「6.5リットルの大杯 飲み干す」「酒豪集い「御神酒頂戴式」」「益子町」
参考文献
[編集]- 柏村祐司『栃木の祭り』有限会社 随想社、2012年11月15日、13,106-108頁。ISBN 9784887482708。
「益子祇園祭」に関わる人物の記事が掲載されている文献
[編集]- 倉本秀清『益子探訪 -益子の陶芸家に学ぶ-』株式会社 光芸出版、1992年7月5日、72-74頁。ISBN 4769400977。
- 下野新聞社『陶源境ましこ 益子の陶工 人と作品』1984年9月27日、94-95,135頁。 NCID BN1293471X。国立国会図書館サーチ:R100000001-I25110924685。
- 『焼物の里を訪ねて 益子・笠間 器の里、最新ガイド。』株式会社 枻出版社〈エイムック 1816〉、2009年10月20日、86-89頁。ISBN 9784777914579。
外部リンク
[編集]益子祇園祭
[編集]- 益子の文化|伝統文化|祇園祭-益子町観光協会
- 「ましこ世間遺産」認定No.54|八坂神社祇園祭(益子祇園祭・天王祭) - 益子町公式ホームページ
- 益子祇園祭|益子町 - ニッポン旅マガジン
- 益子祇園祭 -2023年- - 祭の日
御神酒頂戴式
[編集]下野手筒会
[編集]- 永田茂夫 作家名 KINTA (@kinta_studio0105) - Instagram
益子町山車組
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