コンテンツにスキップ

篠民三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

篠 民三(しの たみぞう、1843年5月(天保14年4月[1][2])- 1910年明治43年)8月28日[1])は、明治期の漁業家、実業家政治家衆議院議員

経歴

[編集]

陸奥国閉伊郡浦鍬ヶ崎村[3]岩手県[1]閉伊郡浦鍬ヶ崎村、東閉伊郡浦鍬ヶ崎村、鍬ヶ崎町下閉伊郡鍬ヶ崎町[2]宮古町を経て現宮古市鍬ヶ崎)で、徳三郎の長男として生まれた[3]。独学で学問を修めた[3]

1878年(明治11年)汽船を用いて天然氷40トンを初めて東北から東京へ輸送することに成功[3]。1880年(明治13年)閉伊川沿岸埋立工事を計画し、3年間の工期で切通しを開削して交通の利便性を向上させた[3]。1882年(明治15年)宮古湾漁業会社を設立して、鮭建網、鮭留網の新漁場を開いた[3]

政界では、鍬ヶ崎町会議員、下閉伊郡会議員、同議長を務め、岩手県会議員に2期在任した[1][2][3]

1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(岩手県第2区、国民協会)で落選[4]小田為綱の死去に伴い、1901年(明治34年)5月に実施された第6回総選挙岩手県第2区補欠選挙で当選したが[1][3][5][6]、1902年(明治35年)1月22日に当選無効となり議員を退職した[1][7]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』308頁。
  2. ^ a b c 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』219頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『岩手県姓氏歴史人物大辞典』206頁。
  4. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』38頁。
  5. ^ 『第一回乃至第十九回総選挙衆議院議員当選回数調』238頁。
  6. ^ 『官報』第5380号、明治34年6月11日。
  7. ^ 『第一回乃至第十九回総選挙衆議院議員当選回数調』239頁。

参考文献

[編集]
  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 衆議院事務局『第一回乃至第十九回総選挙衆議院議員当選回数調』1936年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『岩手県姓氏歴史人物大辞典』〈角川日本姓氏歴史人物大辞典3〉角川書店、1998年。