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松平親純

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松平 親純
時代 江戸時代中期
生誕 元禄16年10月25日1703年12月3日
死没 元文4年2月16日1739年3月25日
改名 吉五郎(幼名)→重交(初名)→親純
戒名 心源院
墓所 東京都台東区松が谷海禅寺
官位 従五位下、豊後守、市正
幕府 江戸幕府
豊後杵築藩
氏族 新庄氏能見松平家
父母 父:新庄直詮、母:松平重栄の長女
養父:松平重休
兄弟 新庄直祐直員松浦信尹新庄孝寛京極高周関長張正室、親純新庄直矢
正室:松平忠喬の娘
側室:浅井氏
親盈親章、娘(関政富正室)
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松平 親純(まつだいら ちかずみ)は、豊後杵築藩の第4代藩主。能見松平家10代。

略伝

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常陸麻生藩主・新庄直詮の十三男。早くから外祖父重栄の養嗣子となり、正徳5年(1715年)におじで先代藩主の重休が早世したため、その跡を継いだ。藩政においては享保9年(1724年)から天候不順、享保の大飢饉による大被害を受け、幕府から3,000両を借用してしのぐほどであったと言われている。元文4年(1739年)2月16日、37歳で死去し、跡を長男の親盈が継いだ。