コンテンツにスキップ

松平忠倫 (戦国時代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松平 忠倫(まつだいら ただとも、生年不詳 - 天文16年(1547年))は、戦国時代武将。通称三左衛門。佐々木松平家松平信次は弟か [1]

略歴

[編集]

長沢松平家の庶流で、佐々木城、上和田城(共に愛知県岡崎市)城主。天文9年(1540年)頃より織田信秀に内通し、松平広忠に逆心した[2]

三河物語』によれば、天文16年(1547年)、松平広忠方の筧重忠とその弟筧正重(助太夫)に暗殺された[2]。また、松平三左衛門と忠倫は別人だとする説もある[2]

参考文献

[編集]
  • 『尾張群書系図部集第 2 巻』(続群書類従完成会、1997年、964p)
  • 『通俗日本全史第9巻』( 早稲田大学出版部 、1913年、154p)

脚注

[編集]