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大乗寺

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大乗寺
仏殿
仏殿
所在地 石川県金沢市長坂町ル10番地
位置 北緯36度31分57.2秒 東経136度39分32.2秒 / 北緯36.532556度 東経136.658944度 / 36.532556; 136.658944座標: 北緯36度31分57.2秒 東経136度39分32.2秒 / 北緯36.532556度 東経136.658944度 / 36.532556; 136.658944
山号 東香山(とうこうざん)
(林号:)椙樹林
金獅峯
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦牟尼仏
創建年 弘長3年(1263年
開基 徹通義介
別称 椙樹林
文化財 仏殿、五山十刹図、一夜碧巌、三代嗣法書、六祖壇経、羅漢供養講式稿本断簡 道元筆(重要文化財)
総門、山門、回廊、鐘鼓楼、庫裡、書院、法堂、聯芳堂、僧堂、碧厳蔵、本多家霊廟、附棟札(石川県/金沢市指定有形文化財)
公式サイト 東香山 大乗寺
法人番号 7220005000669 ウィキデータを編集
大乗寺の位置(金沢市内)
大乗寺
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大乗寺(だいじょうじ、大乘寺)は、石川県金沢市長坂町にある曹洞宗寺院。山号は東香山、椙樹林、古くは金獅峯。僧堂がある。江戸時代にここで清規(僧侶の修行規則)が再構築され、規矩大乗と称された。

周防正行監督、本木雅弘主演の映画『ファンシイダンス』のロケ地のひとつである。

歴史

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寺伝によれば、弘長3年(1263年)、冨樫家尚が野市(現在の野々市市)に真言宗澄海を招聘して創建したという。後、禅寺に転じ、弘安6年(1283年)、曹洞宗の徹通義介を招聘して開山とした。なお、開山の年については正応2年(1289年)または正応4年(1291年)との伝えもある[1]

乾元元年(1302年)、瑩山紹瑾が2世住持となる。応長元年(1311年)、臨済僧である恭翁運良が瑩山の後を継いだ。臨済僧が住持となったのは、十方住持制度(禅寺において、自派に限らず他派からも住持を選ぶ)に基づくものと考えられている[2]。しかし、恭翁運良と大乗寺の間にはその後確執があったようで、彼の名は世代から除かれており、暦応元年(1338年)住持した明峰素哲が大乗寺第3世とされている。

寺は暦応3年(1340年)、足利尊氏祈願所となるが、室町時代後期、戦乱に巻き込まれて焼失した。その後、前田利長の家臣・加藤重廉が檀越となり、寺は木新保(現在の金沢市本町)に移転した。さらに、江戸時代初期には 加賀藩家老本多家菩提寺となり、現在の金沢市本多町に移転している。

寛文11年(1671年)には中興の祖とされる月舟宗胡が住持となり、次代の卍山道白延宝8年・1680年住持となる)とともに寺の復興に努めた。寺が現在地に移転したのは元禄10年(1697年)のことであり、当時の住持は、その前年に就任した明州珠心であった。

明治時代初期には廃仏毀釈で一時衰退した。昭和50年代、板橋興宗が住職に就任。平成13年(2001年)には駒沢女子大学学長を務めた東隆眞が住職に就任した。

伽藍

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総門
山門
法堂
  • 総門 - 黒門、寛文5年(1665年)建立、石川県/金沢市指定有形文化財
  • 山門 - 江戸時代初期、石川県/金沢市指定有形文化財
  • 仏殿 - 元禄15年(1702年)、重要文化財(国指定)
  • 法堂 - 元禄10年(1697年)頃、石川県/金沢市指定有形文化財
  • 碧厳蔵-金沢市指定有形文化財
  • 本多家霊廟-金沢市指定有形文化財

文化財

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重要文化財

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  • 仏殿
  • 支那禅刹図式(寺伝五山十刹図)
  • 仏果碧巌破関撃節(一夜碧巌集) - 『碧巌録
  • 三代嗣法書
  • 韶州曹渓山六祖壇経(紙背仮名消息) - 通称、大乗寺本
  • 羅漢供養講式稿本断簡 道元

所在地

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石川県金沢市長坂町ル10番地

交通アクセス

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IRいしかわ鉄道線金沢駅から車で20分

近隣の情報

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脚注

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  1. ^ 歴史の節の記述は平凡社地方資料センター (1991)に基づく。
  2. ^ 佐橋法龍 1979, p. 194.

参考文献

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  • 平凡社地方資料センター 編『石川県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系〉、1991年9月。ISBN 4582910092 
  • 東隆眞『太祖瑩山禅師』国書刊行会、1996年9月。ISBN 4336038694 
  • 佐橋法龍『人間瑩山』春秋社、1979年6月。全国書誌番号:79020609 

関連項目

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外部リンク

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