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後藤陽一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

後藤 陽一(ごとう よういち、1913年11月2日 - 2002年3月17日[1])は、日本歴史学者。専門は日本近世史。広島大学名誉教授、広島修道大学名誉教授。

経歴

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大正2年(1913年)、熊本県に生まれる。昭和12年(1937年)、広島文理科大学を卒業。昭和15年(1940年)から1年間は旧制崇徳中学校歴史科嘱託教員。昭和18年(1943年)からは広島県立広島女子専門学校教授。昭和23年(1948年)から広島文理科大学助教授を務めた。昭和29年(1954年)から新制広島大学教養部教授。昭和49年(1974年)から昭和52年(1977年)まで広島大学大学総合科学部教授を務める。その後は、平成元年(1989年)まで広島修道大学教授を務める。平成14年(2002年)3月17日、急性肺炎のため死去。

主な著書

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  • 『広島県の歴史』山川出版社、1978 年
  • 後藤陽一・友枝 龍太郎校注『日本思想史大系 30 熊沢蕃山』岩波書店、1971年
  • 『安芸国土井家作帳の研究』広島近世史研究会、1977年
  • 『近世村落の社会史的研究』渓水社、1982年

主な論文

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  • 「近世思想史上に於ける実学的思惟-熊沢蕃山の時処位論について」『史学研究』45号、1951年
  • 「瀬戸内海地域に於ける近世村落の形成」『史学研究』47号、1952年
  • 「一九世紀山陽筋農村における富農経営の性格」『史学雑誌』63(7)、1954年
  • 「封建権力と村落構成」(社会経済史学会編『封建領主制の確立』有斐閣、1957年)
  • 「役家体制」『日本歴史』200号、1965年
  • 「近世の身分制と社会」(朝尾直弘編『岩波講座日本歴史 9 近世』岩波書店、1975年)

脚注

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  1. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 2 (学術・文芸・芸術篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、439頁。