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佐々木正利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

佐々木 正利(ささき まさとし)は、日本テノール歌手、指揮者である。現在、岩手大学教育学部教授、平成21年度より岩手大学教育学部附属小学校校長。二期会会員。グルッペ・ベッヒライン会員。日本声楽発声学会理事。日本発声指導者協会理事。日本音楽表現学会理事(副会長)。仙台バッハ・アカデミー理事。盛岡バッハ・カンタータ・フェライン、仙台宗教音楽合唱団、岡山バッハ・カンタータ協会、各指揮者。岩手大学合唱団、東北大学混声合唱団各常任指揮者。オーケストラ・アンサンブル金沢合唱団、東京21合唱団各指揮者。山響アマデウスコア音楽監督。

略歴

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東京芸術大学声楽科卒業。同大学院修士および博士後期課程修了。須賀靖元(声楽)、服部幸三(音楽学)、小林道夫(演奏法)、森明彦(発声法)、松本民之助(作曲)、岳藤豪希(宗教音楽)に師事。

1973年バッハクリスマス・オラトリオ」の福音史家で楽壇デビューして以来、バッハをはじめとする宗教音楽の専門家として活躍している。1979年シュトゥットガルトに渡り、L・フィッシャーに師事。1980年、第6回ライプツィヒヨハン・ゼバスティアン・バッハ国際コンクール声楽部門において第5位入賞。同年より1982年までデトモルト北西ドイツ音楽大学に学び、H・クレッチマールに師事。在独中は欧州各国の演奏会に招かれ、特に1980年ウィーン楽友協会ホールでの「マタイ受難曲」では『若き日のペーター・シュライアー』と新聞各紙で評される。帰国後もライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団ベルリン交響楽団国立ブカレスト交響楽団NHK交響楽団など、世界・日本の著名オーケストラのソリストとして度々起用され、クルト・マズアホルスト・シュタインヘルベルト・ブロムシュテット小澤征爾ら、世界を代表する数々の指揮者と共演。またヘルムート・リリングハンス・ヨアヒム・ロッチュミシェル・コルボルネ・ヤーコプスらが率いる、シュトゥットガルト・バッハ合奏団ゲヒンゲン聖歌隊トーマス教会少年合唱団RIAS室内合唱団などの演奏会に度々出演している。特にヘルムート・ヴィンシャーマン率いるドイツ・バッハ・ゾリステンの演奏会では度々共演している。

1985年ザルツブルク音楽祭に招待され、R. バーダー指揮のモーツァルテウム管弦楽団ベルリン聖ヘドヴィヒ聖歌隊とバッハの「マニフィカト」、モーツァルトの「戴冠式ミサ」を共演した。在独中はヴェストファーレン州立歌劇場で「コシ・ファン・トゥッテ」のフェランド、「フィデリオ」のヤッキーノ、「グリゼルダ」のコッラード役で出演。

現在までリサイタル21回を数え、レコード・CDも多数リリース。テレビ・FMなどにも度々出演している。

1970年東京芸術大学のバッハ・カンタータ・クラブの創設に携わり、多くの後進を育てると共に指揮者としての活動を開始。以後約30年にわたって主に宗教曲の演奏活動に尽力する。特に盛岡バッハ・カンタータ・フェライン、仙台宗教音楽合唱団、岡山バッハ・カンタータ協会などを率いての8度にわたるドイツを中心とした欧州公演では『シュッツ、バッハの世界的担い手』とした評が新聞各紙に掲載され、1993年ヘルムート・ヴィンシャーマンとの「マタイ受難曲」では、『マタイ演奏史上、最も特筆されるべき演奏の一つ』、1995年のJ. ツィルヒとの「天地創造」では『音楽と言葉の見事なまでの融合』と評された。1987、88年には、ヘルムート・リリング音楽監督のバッハ・アカデミーにてテノール・マスタークラスの講師を務めた。また、コダーイ・サマースクールや古楽サマースクールなどでも指導講師に招かれている。

1994年、長年にわたる顕著な演奏、教育の業績に対し、第47回岩手日報文化賞(学芸部門)が贈られた。