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Page:Kojiki-gairon1936.djvu/24

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などの類だ。而して大國主神に「僕が子等百八十神」とあるは同神の一族である。而してー書據れば髙御産巢日神は子一千五百座を有すとある。乃ち氏族(Clan)であつて氏族制度が社會制度たると同時に國家制度であつたのである。孝德天皇大化ニ年、郡縣制を行ひ、民族制度は國家より離れたが各人は其の家族に屬すると同時に氏神を尊崇すること以前の如く以て今日に至つて居る。今日の日本人は宗敎の如何を問はず、其の祖神の氏子として、之れを尊祟して居るのである。各家庭は氏神を祭り、同時に氏神の因りて出る所の天照大神を祭りつゝあるのである。

四 天の御柱とは何か

 伊邪那岐伊邪那美二神が淤能碁呂嶋に天降りまし天の御柱を見立て、八尋殿を見立てといふことがある。此の天の御柱とは何ぞや。余は之を以て宗敎的の者なりとするのである。日本書紀には

ニ神於是降居彼島。因欲共爲夫婦產出洲國。便以礅馭盧嶋。爲國中之柱。

としてある。本居宣長は「趣異なるが如くなれども彼の嶋の成れるは此殿の柱を