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Page:Kojiki-gairon1936.djvu/7

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古事記概論

 古事記槪論といふ以上は古事記の全體に渉る思想又は少くとも根本的なる思想を述べなければならぬ。固と史書である。之れに對して槪論をいふは頗る難事である。若し古事記の大要を抄譯せんとならば決して難事でない。其の根本思相を得んには餘程の努力を要する。佘は決して成功せりとは思はない。唯本年昭和十年一月より六月至る迄、月にー囘、ー時間、併せて六囘六時間。赤羽工兵大隊の招聘に應じ「古事記を中心として見たる日本精神」と題し、講述する所あつた。古事記の考證、字句の講義などは國學者の能くなす所である。吾が輩敢てしない。日本精神といふ以上に於ては當然吾輩の仕事である。考慮深沈、而して後大體此種の如き結果到達した。けれども余が疎懶なる、思ひ付いて直ちに之を筆記するとをしない爲め、往々して忘れた處がある。自分ながら遺慽に思ふて居る。