「アリババと40人の盗賊」の版間の差分
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</ref><ref>西尾哲夫『アラビアンナイト --- 「物語」に終わりはない』、100分de名著、NHK出版、2013年11月、pp.19-20、ISBN 978-4-14-223032-7 『ガランは「千一夜」物語という以上は物語は千一夜分あるはずだとかたく信じていたので、続きが書かれた写本を必死で探しまわりました。しかし、うまく見つけることができません。困り果てていたところ、シリア北部アレッポの出身でフランスに滞在していたハンナ・ディヤーブという人物と知己になり、彼が故郷の民話にくわしいことがわかりました。そこで彼に写本に入っていないアラビアンナイトのような物語をいろいろ聞き取りし、それを翻訳の続きに加えていきました。このとき聞き取った話の中に、いまのわれわれにおなじみの「アラジン」や「アリババ」「空飛ぶ絨毯」などがありました。』</ref>。
1908年に至り、{{仮リンク|ダンカン・B・マクドナルド|en|Duncan Black MacDonald}}がオックスフォード大学の[[ボドリアン図書館]]の写本目録の中からアラビア語原典の存在を確認し、1910年に英国王立アジア協会の雑誌にその原文を発表した<ref>ロバート・アーウィン、西尾哲夫訳『必携アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ』、p.76、平凡社、1998年1月、ISBN 4-582-30803-1</ref>。これで原典探しは一件落着となったとされた。日本では、この原文は[[前嶋信次]]によって日本語に訳され、1985年、前嶋の死去のあと、平凡社東洋文庫「アラビアン・ナイト」の別巻として出版されている<ref name="ikeda471">池田修、ムフシン・マフディー版「アラビアン・ナイト」の登場、「千夜一夜物語と中東文化---前嶋信次著作集I」に所載、p.471、平凡社東洋文庫669、2000年4月10日初版、ISBN 4-582-80669-4</ref>。ただし、前嶋は、「果たしてガランが使用したものと同じか否か、両者間に文体の差があって不確かである。またシリア系の説話という説が有力だが、トルコやスラブ系の説話の影響も認められる」としている<ref>前嶋信次(訳)『アラビアン・ナイト 別巻』アラジンとアリババ、東洋文庫443)あとがきにかえて、pp.287-288、[[平凡社]]([[平凡社東洋文庫]])、1985年3月8日初版第1刷</ref>。
ところが、1984年にハーバード大学のアラビア語の教授であった{{仮リンク|ムフシン・マフディー|en|Muhsin Mahdi}}が、「千夜一夜物語」の原型といわれるものの復元に成功して、「初期アラビア語原典による千夜一夜物語の書」という、画期的な研究成果を発表し、今まで解明されていなかった多くの問題に光を与えるところとなった<ref>池田修、ムフシン・マフディー版「アラビアン・ナイト」の登場、「千夜一夜物語と中東文化---前嶋信次著作集I」に所載、p.469、平凡社東洋文庫669、2000年4月10日初版、ISBN 4-582-80669-4</ref><ref>ロバート・アーウィン、西尾哲夫訳『必携アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ』、p.79-81、平凡社、1998年1月、ISBN 4-582-30803-1</ref>。マフディーの写本研究はまた思いがけない発見をしている<ref
なお、「アリババと40人の盗賊」、「[[アラジンと魔法のランプ]]」のように、アラビア語の原典が見当たらない物語群は「orphan tales」<ref>[http://books.google.co.jp/books?id=5D70AgAAQBAJ&pg=PA30&lpg=PA30&dq=%22orphan+tales%22%E3%80%80arabian+nights&source=bl&ots=v9uFb9XTw6&sig=hGI75Xycuzxugmzm1XoRolAZI5U&hl=ja&sa=X&ei=fPSuU63lHZL68QXsuYC4Ag&redir_esc=y#v=onepage&q=%22orphan%20tales%22%E3%80%80arabian%20nights&f=false] Robert Irwin: The Arabian Nights: A Companion(1994), p.30(下から3行目), ISBN 978-1860649837</ref>と呼ばれている。
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