「コール・ド・バレエ」の版間の差分

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[[Image:Swanlake013.jpg|thumb|250px|『[[白鳥の湖]]』。両脇に控えるのがコール・ド・バレエ。主役オデットの[[ニーナ・アナニアシヴィリ]]を引き立てる。]]
 
'''コール・ド・バレエ'''([[フランス語|仏]]: '''corps de ballet''')とは、[[フランス語]]で[[バレエ#バレエ団|バレエ]]において<ref>Koegler, Horst, "Corps de ballet", ''The Concise Oxford Dictionary of Ballet'', 2nd ed., 1982, <small>ISBN 0-19-311330-9</small>, p.104</ref>、またはバレエ団の[[バレエダンサー|ダンサー]]たちが構成する集団のこと<ref name="Roucher">Roucher, Eugénia, "Corps de ballet", '''群舞Dictionnaire de la Danse'''のこと。略して「コール・ド」とも (Le Moal, Philippe, ed.), Larousse, 2008, <small>ISBN 978-2-03-583335-8</small>, p.718.</ref>
 
フランス語以外の言葉では後者に解し、ソリスト以外の、'''群舞'''や大人数の情景を担当するダンサーをひとまとめに指していう。日本語では略して「コール・ド」と呼ぶこともある<!--西洋語の略称なので間違いも何も-->。
もとは[[バレエ団]]全体を意味する言葉で<ref>Koegler, Horst, "Corps de ballet", ''The Concise Oxford Dictionary of Ballet'', 2nd ed., 1982, <small>ISBN 0-19-311330-9</small>, p.104</ref>、現在でもフランス語ではその意味で使うことがあるが、多くの場合バレエ団の中でソリストと区別して、「その他大勢」のダンサーたちを指していう。
 
[[パリ国立オペラ|パリ・オペラ座]]バレエ]]では、狭義に解する場合、ダンサーの階級のうち最下級のカドリーユ<!--この“カドリーユ”はオペラ座内の階級を示す用語で、一般的な意味の「カドリーユ」とは関連が薄いため、読者の混乱を招かないためにも[[カドリーユ]]の内部リンクは張らないで下さい--> (quadrille) と、その一つ上のコリフェ (coryphée) をコール・ド・バレエという<ref>[[蘆原英了]] 『バレエの基礎知識』、創元社、1950年、p.240.</ref><ref>さら{{refnest|group=注釈|ただしE. Roucherは、時代や組織より上の階級まで含める場合とそうでない場合があると断った上で、一つ上のプティ・シュジェ (petit sujet) までを本来のコール・ド・バレエにむとすめてい文献もある。Roucher, Eugénia,<ref name="Corps de balletRoucher", ''Dictionnaire de la Danse'' (Le Moal, Philippe, ed.), Larousse, 2008, <small>ISBN 978-2-03-583335-8</small>, p.718.</ref>。}}
 
一方[[ロシア]]では伝統的にコリフェ({{lang|ru|корифеикорифей}})より下の、最下級の階級名がコール・ド・バレエ ({{lang|ru|кордебалет}}) と呼んり、[[マリインスキー・バレエ]]では現在でも称を用いている<ref>[httphttps://www.mariinsky.ru/company/ballet/kopdeballet/corps {{lang|ru|Кордебалет}}], - {{lang|ru|Мариинский Театр}}</ref>。
 
== 発展の経緯歴史 ==
バレエの端役に均一な動きで対称的に踊らせることを最初に示したのは、[[1760年]]、メートル・ド・バレエマスターとして[[シュトゥットガルト|シュツットガルト]]に招かれた[[ジャン=ジョルジュ・ノヴェール|J=G・ノヴェール]]だっは、[[カール・オイゲン (ヴュルテンベルク公)|ヴュルテンベルク公]]に著書 『舞踊とバレエについての手紙』 を献じ、バレエの端役のダンサーたちを均一かつ対称的に踊らせることを初めて示した<ref>Roucher, ''op. cit.,''<name="Roucher"/ref>。ちにノヴェールは[[1803年]]に出版した文章の中で、コール・ド・バレエは端役24人とその統率役のコリフェ8人計32人があれば十分であるとした上で述べ、舞台で人目を引く規律正しさから、それを[[歩兵]]集団に例えた<ref>ノヴェール 「補五の手紙」 (『舞踊とバレエについての手紙』 小倉重夫訳、1974年、[[冨山房]])、pp.263-264.</ref>。またコール・ド・バレエの踊りは主役の踊りとは別ものであるとし、「プルミエ・ダンスールのそれとはほとんど何の類似性も有していない」<ref>''ibid'', p.265</ref>という結論付けた
 
こうした見方は後代にも受け継がれ、コール・ド・バレエによる均一な踊りは現代にいたるまで多くのバレエ作品で必須のものとなっている。その使用法もさまざまで、『[[ラ・バヤデール]]』(1877年)の“影の王国”のように独立した群舞として使われる場合や、『[[白鳥の湖]]』(1895年)第2幕のように主役のソリスト2人と絡めて使われる場合もある<ref>{{lang|ru|"Кордебалет", «''Энциклопедия Русский балет''» Согласие, 1997, <small>ISBN 5-85270-162-9</small>, p.538.}}</ref>。
厳格な隊形美で展開されるコール・ド・バレエは 『[[ジゼル]]』([[1841年]])、『[[白鳥の湖]]』([[1895年]]改訂)など19世紀の古典作品において主役を物語の中で引き立てる役割を担っている。コール・ド・バレエの画一的な使用に抵抗する試みは早くからなされていたが、[[ミハイル・フォーキン]]は[[1911年]]に初演された 『[[ペトルーシュカ]]』 で市場の群衆役の一人ひとりに別の動きをさせ、近代バレエ作品としての特徴を打ち出した。
 
他方、コール・ド・バレエを画一的に使用しない試みも早くからなされている。[[ジュール・ペロー]]は 『[[ジゼル]]』(1841年)において、ウィリ([[妖精]])が登場する第2幕では群舞を展開させたが、第1幕ではそうした使用法を嫌って兵士・村人・[[ジプシー]]といった登場人物に異なる動きをさせた<ref>Beaumont, Cyril W., ''The Ballet called Giselle'', 1945, C. W. Beaumont, p.36.</ref>。同じようにコール・ド・バレエの各人を個性的に動かす演出は、[[ミハイル・フォーキン]]が 『[[ペトルーシュカ]]』(1911年)の市場の場面で用いて成功した。
== 脚注 ==
 
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<references group="注釈" />
== 出典 ==
{{reflist}}
</div>
 
== 関連用語 ==
{{DEFAULTSORT:こおるどばれえ}}
* [[category:バレリーナ]]
 
{{DEFAULTSORT:こおるどばとはれえ}}
[[de:Corps de ballet]]
[[category:バレエ団|*]]
[[en:Corps de ballet]]
[[Category:フランス語の成句]]
[[eo:Korpo de baleto]]
[[fr:Corps de ballet]]
[[it:Glossario della danza classica#Corps de ballet]]
[[ko:코르 드 발레]]
[[pl:Corps de ballet]]
[[sv:Corps de ballet]]