トウケイニセイ

日本の競走馬、種牡馬 (1987-2012)

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トウケイニセイ1990年代初期から中期にかけて岩手競馬で活躍した競走馬

トウケイニセイ
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1987年5月21日
トウケイホープ
エースツバキ
母の父 リフォーム
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産者 田中堅一
馬主 小野寺喜久男
調教師 小西重征(盛岡
競走成績
生涯成績 43戦39勝
獲得賞金 3億1577万円
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概要

2000年以前の馬齢は旧表記を用いる。

出自

トウケイホープ南関東、岩手で活躍したが[1]種牡馬となった際に血統的に二流であった事、実績が地方競馬のみであったため、繁殖牝馬がなかなか集まらず、そのためオーナーである小野寺喜久男が馬産地を駆け回って交配相手を探し回り、やっとの思いで集めた、初年度の交配相手は、たった5頭のみであった[2]。しかも、トウケイホープは初年度の交配を済ませた後、心臓麻痺で急死してしまう。その中で生まれた産駒は4頭、うち牡馬はたったの1頭、誰もがトウケイホープの血統はここで終わると予想した。しかし、その1頭こそが地方競馬史に残る歴史的名馬となる。

一方、母エースツバキは生産者の田中堅一牧場がとある牧場から購入した繁殖牝馬であるが[3]、その牧場が多くの繁殖牝馬を整理するためにまとめて売りに出していた際、田中堅一牧場の跡取りであった田中哲実が駆けつけた時には2頭しか残っておらず、どちらも見栄えの冴えない牝馬であったが、せっかく訪れたのに買わないのも申し訳なく思った田中はエースツバキを選んで購入した。エースツバキは持込馬ながら中央競馬1勝止まりであったが、購入後に産駒のトウケイフリート、イイオカスワローが地方競馬の重賞競走を優勝、トウケイニセイを含め重賞優勝馬3頭の母となった。

戦績

デビュー戦勝利の後屈腱炎で1年以上の休養を余儀なくされる。復帰後は常に足元と相談しながらだましだましレースに使う状態が続く。しかしそんな状態で勝ち続け、いつしかデビュー以来の連勝が注目されるようになって行き、ハルサンヒコーの2着に敗れた時の連勝は18まで伸びていた。これは当時のサラブレッド連勝の日本記録である[4]

1993年、7歳になったトウケイニセイは初めて重賞に登場した。当時の岩手競馬は「岩手の怪物」と呼ばれ、南関東や中央への遠征経験もあったスイフトセイダイと、そのライバルでトウケイニセイの同厩舎の先輩馬グレートホープの2頭による「SG時代」が数年続いていたが、明け5歳のモリユウプリンスが、赤松杯でSG2頭を抑えて優勝、モリユウ時代の到来が確実視されていた頃だった。しかしトウケイニセイはSGどころか新王者モリユウをも抑えて重賞を連勝。デビュー以来の連勝が決して相手に恵まれてのフロックではない事を示した。なおモリユウプリンスもみちのく大賞典では2年連続でトウケイニセイを下して意地を見せた。

また、その後も常に脚元の状態を見ながらのレース出走であり、地元の岩手開催以外では東北地方交流の東北サラブレッド大賞典山形県新潟県に遠征した程度で、全国規模の競走に出走することは無かったが、地元ではデビュー以来の連続連対記録を伸ばしていた。

9歳になった1995年交流元年と呼ばれ中央競馬と地方競馬の交流が促進されると北日本地区交流であったマイルチャンピオンシップ南部杯も中央競馬も含む全国交流競走となり、中央や他地区の強豪を迎え撃ったが、中央のライブリマウント高崎競馬ヨシノキングに次ぐ3着に敗れ連対記録も41で止まった。

その時、水沢競馬場は観客達が発した溜息とともに静まりかえってしまった。その為かライブリマウントの主戦騎手の石橋は「今日ばかりはヒール(悪役)になった気分だよ」とコメントを残している。また、トウケイニセイの主戦騎手である菅原は「あと1年早ければ・・・」とコメントを残した。

しかし一般的に競走馬としては全盛期を過ぎていると考えられる9歳(現在の表記では8歳)であったことから健闘といえる。また連続連対記録41もローゼンホーマの40を超え、日本記録として残っている。

その後、年末の桐花賞を楽勝して引退した。その後は種牡馬となったが2004年に引退している。

通算成績は43戦39勝2着3回3着1回というほぼ完璧なもので、岩手競馬史上最強馬という評価は現在でも不動のものである。主戦騎手だった菅原勲は後にJRAGIフェブラリーステークスを勝ったメイセイオペラにも騎乗しているが、トウケイニセイとの比較を尋ねられて、トウケイニセイの方が強いと断言している。菅原曰く「メイセイも強くなっているが全盛期のニセイに比べればまだまだ。一番良い頃のニセイがドバイワールドカップに出たら勝っていたと思う。」(1999年発売『20世紀名馬大全』(宝島社発行)トウケイニセイの項目よりコメント抜粋)

また、その功績から2000年より岩手競馬でトウケイニセイ記念という重賞競走が開催されている。

主な戦績

種牡馬成績

引退後1996年、日高軽種馬農協門別種馬場で種牡馬となった。地方競馬出身の種牡馬のためもあってか配合相手に恵まれず、また、産まれた産駒も大井で重賞で好勝負するも勝ちきれなかったドリームサラや、ダービーグランプリで5着になったトウケイキセキ程度で目立った成績を残すことができず、2004年に種牡馬引退となった。

種牡馬引退後は、えりも町のエクセルマネジメントで余生を過ごしていたが、現在は岩手県滝沢村の「馬っこパーク・いわて」に繋養されている。[6]

血統表

トウケイニセイ血統ナスルーラ系アウトブリード (血統表の出典)

トウケイホープ
1976 鹿毛
父の父
*イースタンフリート
Eastern Fleet
1968 鹿毛
Fleet Nasrullah Nasrullah
Happy Go Fleet
Amoret Bull Lea
Mar-Kell
父の母
エリモグレース
1972 鹿毛
Sassafras Sheshoon
Ruta
*フゼッタ
Fughetta
Ribot
Noblesse

エースツバキ
1975 栗毛
Reform
1964 鹿毛
Pall Mall Palestine
Malapert
Country House Vieux Manoir
Miss Coventry
母の母
*ヴェスタルファイア
Vestal Fire
1965 鹿毛
Match Tantieme
Relance
Refreshed Hyperion
Monsoon F-No.1-w


脚注

  1. ^ 53戦22勝。主な勝鞍:東京大賞典報知オールスターカップ関東盃東北サラブレッド大賞典桐花賞、シアンモア記念
  2. ^ その際、小野寺は「自分も辛い、でも一番辛いのはホープなんだ」と周囲に語っている。
  3. ^ 『競馬名牝読本』 宝島社 1996年 ISBN 9784796692472
  4. ^ 現在の記録はチアズファンシーの19連勝。競馬の日本一の一覧も参照。
  5. ^ 1993年1994年は重賞競走として行われ、1993年は岩手競馬オープンクラスと中央競馬900万円以下クラス、1994年は岩手オープンと中央1500万円以下との条件交流であったが、いずれも圧勝している。
  6. ^ 2009年1月10日河北新報。

外部リンク