「ニューヘイブン (コネチカット州)」の版間の差分

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[[1638年]]4月、[[イングランド]]人牧師ジョン・ダベンポート([[w:John Davenport (clergyman)|John Davenport]])と[[ロンドン]]の商人セオフィラス・イートン([[w:Theophilus Eaton|Theophilus Eaton]])に率いられ、500人の[[清教徒]]たちが[[マサチューセッツ湾植民地]]を発ち、船でこの地にたどり着いた。湾が天然の良港であったため、彼らはこの地に[[マサチューセッツ州|マサチューセッツ]]を超える宗教コミュニティを築くことを望み、都市計画を立てた。一方、クィニピアック族は近隣に住むペコット族([[w:Pequot|Pequot]])の攻撃から自分たちを守ることを条件に、入植者たちに土地を売り払った。
 
[[1640年]]頃までには、町の神政府と碁盤の目のように区画された街路に象徴される都市計画が実行に移されていた。また町の名もクィニピアックからニューヘイブンに改められた。町は[[ニューヘイブン植民地]]の主都となった。この頃はニューヘイブンは[[ハートフォード (コネチカット州)|ハートフォード]]を中心とする[[コネチカット植民地]]とは別個に存在していた。しかし、[[1646年]]にニューヘイブン植民地は経済危機に見まわれた。[[イングランド]]に向けて貨物を満載した船が植民地に戻らなかったのである。この事件によりニューヘイブンの貿易拠点としての地位は低下し、[[ボストン]]やニューアムステルダム(現在の[[ニューヨーク]])に大きく水を空けられることになった。
 
[[1660年]]、ダベンポートの願いは遂に叶い、その3年前に死去したエドワード・ホプキンスの遺産約1,000[[UKポンド|ポンド]]を投じてホプキンス学園が創立された。[[1661年]]、[[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]の死亡宣告書に署名した判事が[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]に「国王殺しの大罪人」として追われ、このニューヘイブンに逃げてきた。ダベンポートはこの3名の判事をかくまい、町の北西に連なるウェスト・ロックに住まわせた。現在のニューヘイブンでは、これらの判事は''The Three Judges''と呼ばれている。
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[[20世紀]]に入り、[[第一次世界大戦]]の後もニューヘイブンの成長は続いた。この頃の人口増加の要因は主に南部諸州からの[[アフリカン・アメリカン]]や、[[プエルトリコ]]系の流入であった。[[南北戦争]]が終わり、自由の身となっても人種差別の厳しかった南部の州から彼らは移り住んできたのであった。[[第二次世界大戦]]の直後、[[1950年]]にニューヘイブンの人口は164,443人を数え、ピークに達した。
 
しかし、[[1950年代]]後半にさしかかると、ダウンタウンは再開発や[[州間高速道路]]の建設によって取り壊され、全米の多くの他都市同様、郊外への人口流出が始まった。もともと市域が狭く、新たに建てられる家はニューヘイブン市域の外に建てられることが多かったということも、市の人口減少に拍車をかけていた。[[1960年代]]から[[1990年代]]に至るまで人口は減り続け、経済的にも衰退していった。数々の都市再生計画が立ち上げられたが、いずれも成果は芳しくなかった。市当局と[[イェール大学]]とが課税や土地利用をめぐって揉め事を起こすようになったのもこの頃であった。州内の[[ブリッジポート (コネチカット州)|ブリッジポート]]や[[ハートフォード (コネチカット州)|ハートフォード]]同様、治安も悪化した。
 
[[2000年代]]に入り、ようやくニューヘイブンは持ち直してきている。[[イェール大学]]に代表される研究・教育水準の高さを生かし、市は生医学・薬学分野での研究所を誘致しようと働きかけている。ダウンタウンには高層オフィスビルのほか、高級コンドミニアム、各種ショップや[[バー (酒場)|バー]]が建ち並ぶようになり、活気を取り戻した。イェール大学をはじめとする市内の大学や学校は全米から、そして世界中から若者を集め続けている。
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ニューヘイブンの代表的な新聞社は日刊紙であるニューヘイブン・レジスター([[w:New Haven Register|New Haven Register]])である。このほかのニューヘイブンで読まれている新聞としては、週刊のニューヘイブン・アドボケイト([[w:New Haven Advocate|New Haven Advocate]])やオンライン日刊新聞のニューヘイブン・インディペンデント(New Haven Independent)が挙げられる。[[イェール大学]]の学生が運営している新聞には日刊のイェール・デイリー・ニュース([[w:Yale Daily News|Yale Daily News]])や週刊のイェール・ヘラルド([[w:Yale Herald|Yale Herald]])がある。ランパス・マガジン([[w:Rumpus Magazine|Rumpus Magazine]])という[[タブロイド]]誌もニューヘイブンで刊行されている。
 
コネチカット公営テレビ([[w:Connecticut Public Television|Connecticut Public Television]]、Ch. 65)はニューヘイブンに放送局を置いている。同局はニューヘイブンのほか、[[ハートフォード (コネチカット州)|ハートフォード]](Ch. 24)、[[ブリッジポート (コネチカット州)|ブリッジポート]](Ch. 49)、[[ノーウィッチ (コネチカット州)|ノーウィッチ]](Ch. 53)にも放送局を置いている。
 
== 交通 ==
ニューヘイブンの玄関口となる空港としては、ニューヘイブン湾の東岸にトゥウィード・ニューヘイブン空港があり、[[USエアウェイズ]]の定期便がある。ただし空港の規模が小さく、[[ジェット機]]は[[2006年]]1月を最後に発着していない。ニューヘイブン市民がよく利用する空港は[[州都]][[ハートフォード (コネチカット州)|ハートフォード]]の北郊に位置する[[ブラッドレー国際空港]]である。東海岸以外への便や国際線には、[[ニューヨーク]]の3空港([[ケネディ国際空港]]、[[ラガーディア空港]]、[[ニューアーク国際空港]])がよく利用されている。これら3空港からは車か、一旦[[ペンシルベニア駅 (ニューヨーク)|ペンシルベニア駅]]へ出て鉄道でニューヘイブンへ着くことができる。
 
ニューヘイブンでは2本の[[州間高速道路]]、I-95とI-91が合流する。I-95は[[大西洋]]岸の主要都市を結んで南北に走る幹線である。一方、I-91はニューヘイブンから北へハートフォードや[[スプリングフィールド (マサチューセッツ州)|スプリングフィールド]]を通り、[[バーモント州]]東部を縦断して[[カナダ]]国境へと至る高速道路である。これら2本の州間高速道路のほか、フリーウェイになっているコネチカット州道15号線が市の北を通っており、ニューヘイブンの環状道路・I-95のバイパス道路としての役割を果たしている。
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ニューヘイブンは道路交通のみならず、鉄道交通でも重要な拠点である。市内のユニオン駅は[[アムトラック]]の北東回廊線上に位置し、同線の中距離列車や[[アセラ・エクスプレス]]が停車する。また、ハートフォードやスプリングフィールドを通り、バーモント州へと向かう中距離列車[[バーモンター]]号が北東回廊線から枝分かれし、北へと向かう起点となっている駅でもある。さらに、ユニオン駅は近郊列車のターミナルともなっている。ニューヨークの近郊列車である[[メトロノース鉄道]]はニューヘイブンが終点となっている(ニューヘイブン線)。コネチカット州内の近郊列車、ショア・ライン・イーストはユニオン駅を起点とし、東へ[[ニューロンドン (コネチカット州)|ニューロンドン]]まで延びている。ユニオン駅は[[グレイハウンド (バス)|グレイハウンド]]のバスターミナルも兼ねており、ニューヨークと[[プロビデンス (ロードアイランド州)|プロビデンス]]、[[ボストン]]とを結ぶ路線が停車する。
 
地域の交通機関としてはCTトランジット(CTTRANSIT)の運営する[[路線バス]]がニューヘイブン市内及び周辺をカバーしている。CTトランジットはニューヘイブンのほかにも[[ハートフォード (コネチカット州)|ハートフォード]]や[[スタンフォード (コネチカット州)|スタンフォード]]など州内の数都市で路線バスを運営している。また、市が運営する[[電気自動車]]のトロリー2路線がダウンタウン内を走っており、ビジネス街や[[イェール大学]]のキャンパスを通りながら循環している。このトロリーは無料である。
 
== 人口動勢 ==