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| 芸名 = ピーター・フォンダ
| ふりがな = Peter Fonda
| 画像ファイル = PeterFonda10TIFFPeter Fonda 2009.jpg
| 画像サイズ = 220px
| 画像コメント = 20102009[[トロント国際映画祭]]にて宣伝写真
| 本名 = Peter Henry Fonda
| 出生地 = [[ニューヨーク州]][[ニューヨーク]]
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| 事務所 =
| 公式サイト =
| 主な作品 = 『[[イージー・ライダー]]』(1969年)<br />『[[木洩れ日の中で]]』(1997年)
| ゴールデングローブ賞 = '''[[ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門)|主演男優賞(ドラマ部門)]]'''<br />[[1997年]]『木洩れ日の中で』<br />'''助演男優賞(シリーズ・ミニシリーズ・テレビ映画部門)'''<br />[[2000年]]『The Passion of Ayn Rand』
| ニューヨーク映画批評家協会賞 = '''[[ニューヨーク映画批評家協会賞 主演男優賞|主演男優賞]]'''<br />[[第63回ニューヨーク映画批評家協会賞|1997年]]『[[木洩れ日の中で]]』
| 備考 =
}}
'''ピーター・フォンダ'''(Peter Fonda, [[1940年]][[2月23日]] - [[2019年]][[8月16日]])は、[[アメリカ合衆国]][[ニューヨーク州]]出身の[[俳優]]。父は名優[[ヘンリー・フォンダ]]、姉は女優[[ジェーン・フォンダ]]であり、芸能一家で育つ。娘[[ブリジット・フォンダ]]も女優として活躍している。
 
== 略歴 ==
幼い頃、母親の自殺が原因で父[[ヘンリー・フォンダ]]と不和となり、生涯しこりを残したといわれている。大学時代から演劇活動を本格化させ、卒業と同時に[[ブロードウェイ]]に進出する。1963年『タミーとドクター』で映画デビューを果たし、清純で一本気な青年役のキャラクターで売り出すも、商業ベース主義の作品に嫌悪感を抱く。さらに、自らが想い描く俳優像とは異なるエリート青年役が続いたことに疲弊し、次第に姉ジェーンの影響によりドラッグに冒され、精神的に困憊耽溺すると共よう覚醒してゆくなった。そんなピーターの様子に興味を抱いた[[ロジャー・コーマン]]は、[[1966年]]に自らが率いる[[アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ]](AIP)製作で実在する[[ヘルズ・エンジェルス]]の生態を描いた低予算映画『[[ザ・ワイルド・エンジェルス]]』(共演[[ナンシー・シナトラ]]、[[ブルース・ダーン]])に主演させる。当初は西海岸のみのヒットだったものの、次第に全米規模の大ヒットへとつながっていき、AIPは『オートバイ映画』(その後はAIPのみならず大手も参戦し粗製乱造される)という新たなる映画ジャンルを築いた。翌67年にピーターは『[[白昼の幻想]]』(共演は[[アクターズ・スタジオ]]の創設者[[リー・ストラスバーグ]]の娘である[[スーザン・ストラスバーグ]])で[[デニス・ホッパー]]と[[ジャック・ニコルソン]](2人とも一連のオートバイ映画に出演していた)と出会って意気投合し、これが映画『[[イージー・ライダー]]』への布石となる。
 
俳優生活を通してピーターは浮き沈みの激しい人生を送る。それゆえか後年、彼を形容する言葉は常にピーターではなく「若き時はヘンリーの息子、その後はジェーンの弟、今ではブリジットの親父」という位置付けで扱われることが多い。
 
[[File:1962 Peter Fonda Patty McCormack New Breed.jpg|thumb|150px|1962年デビュー当時、[[パティ・マコーマック]]との宣伝写真]]
[[1960年代]]後半、映画中で吹に巻荒れ起こっアメリカン・[[ニューシネマ]](ニューハリウッド)のブームに乗って、自らも映画製作会社を立ち上げ、低予算映画をいくつも量産した。そのうちの一つがインディーズムービーのバイブルとも呼ばれ、カルト的な支持を得ることとなってゆく、1969年の『[[イージー・ライダー]]』であった。ピーターが同作は『[[ザ・ワイルド・エンジェルス俺たちに明日はない]]』に続いてこと並んで、ニュー・シネマ代表作品においても乗車する[[チョッパー]]は、長身(188cm)の彼ジャストマッチし、格好よさが引き立見られされていることも人気の要因でもある(ちなみにデニス・ホッパー。彼175cm)。この成功によって一躍アメリカン・ニューシネマの旗手となったしかしなおス・ホッパシネマ時代去り、その遺産を食いつぶすような活動が仇と後に共和党支持者にったのか、1970年代から1980年代に至っても代表作は[[B級映画]]のみ、しかも大半が劇場未公開とう不本意なものとなってしまう。90年代は、女優として台頭した娘のブリジットの成長を見守ような日々が続いた
 
71年には『[[さすらいのカウボーイ]]』73年には『アイダホ・トランスファー』に出演した。そして74年には人気作品『[[ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー]]』を発表した。日本では70年代後半以降は注目されなくなってしまったが、アメリカでは地道に俳優活動を継続した。90年代は、娘のブリジットが女優として活躍した。
[[1990年代]]末頃から息を吹き返すようにカムバックし、[[1997年]]『[[木洩れ日の中で]]』での老養蜂家を演じて[[ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門)]] を受賞。[[アカデミー主演男優賞]]にもノミネートされ、受賞こそならなかったが久々に世界中から賞賛を浴びた。ちなみにフォンダを破り[[オスカー]]を手にしたのが、奇しくもかつての旧友であり『イージー・ライダー』でともにかけ上がった仲のジャック・ニコルソン(『[[恋愛小説家]]』)であった。ニコルソンはスピーチで「バイク仲間のフォンダ」と声をかけ、フォンダもこれに応えたというエピソードが知られる。
 
[[1990年代]]末頃から息を吹き返すようはフォンダはカムバックした俳優と見られるようになった。[[1997年]]『[[木洩れ日の中で]]』での老養蜂家を演じて[[ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門)]] を受賞。[[アカデミー主演男優賞]]にもノミネートされ、受賞こそならなかったが久々に世界中から賞賛を浴びた。ちなみにフォンダを破り[[オスカー像|オスカー]]を手にしたのが、奇しくもかつての旧友であり『イージー・ライダー』でともにかけ上がった仲のジャック・ニコルソン(『[[恋愛小説家]]』)であった。ニコルソンはスピーチで「昔の[[バイク]]仲間のフォンダ」と声をかけ、フォンダもこれに応えたというエピソードが知られる。
晩年もテレビ、映画を中心に出演した。俳優としてだけでなくプロデューサー、脚本家、監督として多方面に活躍をし続ける一方で、華美な[[ハリウッド]]嫌いをあくまで貫くように、[[モンタナ州]]の田舎でひっそりと暮らしていた。
 
晩年もテレビ、映画を中心に出演した。俳優としてだけでなくプロデューサー、脚本家、監督として多方面に活躍をし続ける一方で、華美な[[ハリウッド]]嫌いをあくまで貫くように、[[モンタナ州]]の田舎でひっそりと暮らしていた。
 
父ヘンリーとの共演作に自ら監督した[[1979年]]『グランドキャニオンの黄金』、姉ジェーンとは[[1967年]]のオムニバスのヨーロッパ映画『世にも怪奇な物語』、娘ブリジットとは1993年『恋愛の法則』でそれぞれ共演している他、日本映画にも主演している。
 
[[2019年]]8月16日、[[カリフォルニア州]][[ロサンゼルス]]の自宅で[[肺癌|肺がん]]による呼吸不全のため死去した<ref>{{Cite web |和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3240188 |title=米俳優ピーター・フォンダさん死去、79歳 『イージー・ライダー』など |publisher=AFPBB News |date=2019-808-17 |accessdate=2019-808-17 }}</ref>。
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== 人物 ==
[[File:PeterFondaCaptainAmerica-side.jpg|thumb|220px|映画「イージー・ライダー」を再現したバイクを運転(2009年)]]
趣味はバイクで、若い頃には自らバイクを作ってしまったというエピソードもある。また自分の名前に似ている[[ホンダ]]のバイクについては「あまり好きではない。」と答えているが、「[[ホンダ・CBX1000]]だけは欲しい、バイクは嫌いだけどエンジンがいい。あの6気筒エンジンは最高だ。」と答えている。([[だいじょうぶマイ・フレンド]] 公開前の雑誌インタビューより)
また[[スウォッチ]]のコレクターでもある。
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== 人物と思想 ==
[[File:PeterFondaCaptainAmerica-side.jpg|thumb|220px|映画『[[イージー・ライダー]]』を再現したバイクを運転(2009年)]]
リベラルな姿勢は、1960年代当時から変わらなかった。2011年にフォンダはティム・ロビンスとともに『[[ビッグ・フィックス]]』というドキュメンタリー映画を制作した。この映画はディープ・ウォーター・ホライズンにおける油流出事件についてBPの責任を追及する作品だった。ピーター・フォンダはバラク・オバマ大統領に手紙も書いている<ref>{{Cite web |url = http://www.movieline.com/2011/05/peter-fonda-bashes-president-obama-in-cannes-you-are-a-f-traitor.php |title = Peter Fonda Bashes President Obama in Cannes|accessdate = 03 April 2020}}</ref>。ティム・ロビンスはスーザン・サランドンらとともに、俳優の中でも特にリベラル、左派と目されている俳優である。また[[ドナルド・トランプ]]による[[トランプの壁|メキシコ国境における母親と子供を引き離す鎖国政策]]を激しく非難した。
 
趣味はバイクで、若い頃には自らバイクを作ってしまったという。イージー・ライダーではハーレー・ダヴィッドソンに乗車した。日本のバイクでは北米・欧州向けモデルの1000ccバイクだけが欲しいと答えていた(『[[だいじょうぶマイ・フレンド]]』公開前の雑誌インタビューより)。また、スイスの時計[[スウォッチ]]のコレクターでもある。
 
== 主な出演作品 ==
=== 映画 ===
{| class="wikitable"
|-
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|rowspan="2"|1963 || タミーとドクター<br />''Tammy and the Doctor'' || マーク・チェスウィック博士 ||
|-
| [[勝利者 (1963年の映画)|勝利者]]<br />''The Victors'' || ウィーヴァー ||
|-
|rowspan="2"|1964 || [[リリス (映画)|リリス]]<br />''Lilith'' || スティーブン ||
|-
| 若い恋人たち<br />''The Young Lovers'' || エディ ||
|-
| 1966 || [[ワイルド・エンジェル]]<br />''The Wild Angels'' || ヘブンリー・ブルース ||
|-
| 1967 || [[白昼の幻想]]<br />''The Trip'' || ポール・グローヴス ||
|-
| 1968 || [[世にも怪奇な物語]]<br />''Histoires extraordinaires'' || ウィルヘルム男爵 || [[オムニバス映画]] 第1話 「黒馬の哭く館」
|-
| 1969 || [[イージー・ライダー]]<br />''Easy Rider'' || ワイアット || 脚本・出演・製作
|-
|rowspan="2"|1971 || [[さすらいのカウボーイ]]<br />''The Hired Hand'' || ハリー・コリングス || 監督・出演
|-
| ラスト・ムービー<br />''The Last Movie'' || 若い保安官 ||
|-
| 1973 || [[ふたり (1973年の映画)|ふたり]]<br />''Two People'' || エヴァン・ボナー ||
|-
|rowspan="2"|1974 || [[ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー]]<br />''Dirty Mary Crazy Larry'' || ラリー ||
|-
| [[ダーティハンター]]<br />''Open Season'' ||ケン ||
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|rowspan="2"|1977 || アウトローブルース<br />''Outlaw Blues'' || ボビー ||
|-
| [[ハイローリング]]<br />''High-Ballin''' || レイン ||
|-
| 1979 || グランドキャニオンの黄金<br />''Wanda Nevada'' || Beaudray Demerille || 監督・出演
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| 暴力天使<br />''Certain Fury'' || ロドニー ||
|-
| 1988 || 勇者の大地/フリーダム・ファイター<br />''Mercenary Fighters'' || ヴィレリ ||
|-
| 1990 || デッドロック/ベトナム死の掟<br />''Fatal Mission'' || ケン・アンドリュース ||
|-
| 1991 || ファミリー・エキスプレス<br />''Family Express'' || ニック ||
|-
|rowspan="3"|1993 || [[恋愛の法則]]<br />''Bodies, Rest & Motion'' || ライダー ||
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| プロフェッショナル<br />''Deadfall'' || ピート ||
|-
|rowspan="2"|1994 || レニー・ゼルウィガーの 危険な天使<br />''Love and a .45'' || Vergil Cheatham ||
|-
| ナディア<br />''Nadja'' || [[ドラキュラ伯爵]]/[[ヴァン・ヘルシング]] ||
|-
|rowspan="2"|1996 || [[エスケープ・フロム・L.A.]] <br />''Escape from L.A.'' || パイプライン ||
|-
| [[グレイス・オブ・マイ・ハート]]<br />''Grace of My Heart'' || グル・デイヴ || 声の出演
|-
| 1997 || [[木洩れ日の中で]]<br />''Ulee's Gold'' || ウリー・ジャクソン || [[ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門)]] 受賞<br />[[ニューヨーク映画批評家協会賞 主演男優賞]] 受賞
|-
| 1998 || テンペスト<br />''The Tempest'' || ギデオン・プロスパー || テレビ映画
|-
| 1999 || [[イギリスから来た男]]<br />''The Limey'' || テリー・ヴァレンタイン ||
|-
|rowspan="3"|2000 || ワイルド ガン<br />''South of Heaven, West of Hell'' || Shoshonee Bill ||
|-
| [[きかんしゃトーマス 魔法の線路]]<br />''Thomas and the Magic Railroad'' || バーネット・ストーン ||
145 ⟶ 148行目:
| 氷の誘惑<br />''Second Skin'' || マーヴ・ガットマン ||
|-
| 2002 || [[ララミー・プロジェクト]]<br />''The Laramie Project'' || Doctor Cantway || テレビ映画
|-
|rowspan="2"|2004 || [[ワシントンDCの陰謀]]<br />''Capital City'' || ブリッジウォーター大統領 || テレビ映画
|-
| [[サラ、いつわりの祈り]]<br />''The Heart Is Deceitful Above All Things'' || 祖父 ||
|-
| 2005 || スーパーノヴァ<br />''Supernova'' || オースティン・シェパード博士 || テレビ映画
|-
|rowspan="43"|2007 || [[ゴーストライダー (映画)|ゴーストライダー]]<br />''Ghost Rider'' || メフィストフェレス ||
|-
| [[団塊ボーイズ]]<br />''Wild Hogs'' || ダミエン・ブレイド ||
|-
| [[3時10分、決断のとき]]<br />''3:10 to Yuma'' || バイロン・マッケルロイ ||
|-
| [[ER緊急救命室]]<br />''ER'' || ピアース・タナー || テレビシリーズ、シーズン14のエピソード: ''300 Patients ''
|-
| 2008 || センター・オブ・ジ・アース<br />''Journey to the Center of the Earth'' || エドワード・デニソン || テレビ映画
|-
|rowspan="2"| 2009 || [[処刑人II]]<br />''The Boondock Saints II: All Saints Day'' || ローマ人 ||
|-
| 2011 || ダメ男がモテる本当の理由<br />''The Trouble with Bliss'' || シーモア・ブリス ||
| [[カリフォルニケーション]]<br />''Californication'' || 本人 || テレビシリーズ、シーズン3のエピソード: ''So Here's the Thing... ''
|-
|rowspan="32"|20112013 || ダメ男がモテる本当あした理由家族のつくり方<br />''TheAs Cool Troubleas withI BlissAm'' || シーモア・ブリスジェラルド ||
|-
| ユージュアル・ネイバー<br />''The Harvest'' || 祖父 ||
| [[CSI:ニューヨーク]]<br />''CSI: NY'' || || テレビシリーズ、シーズン7のエピソード: ''Life Sentence ''、''Nothing for Something''
|-
| 2015 || [[コンテンダー]]<br />''The Runner'' || レイン・プライス ||
|-
| rowspan="2"|2017 || [[アメリカで最も嫌われた女性]]<br />''The Most Hated Woman in America'' || ボブ・ハリントン牧師 ||
|-
| [[ワイルド・ウエスト 復讐のバラード]]<br />''The Ballad of Lefty Brown'' || エドワード・ジョンソン ||
|-
| 2018 || [[ディア・グランパ 幸せを拾った日]]<br />''Boundaries'' || ジョーイ ||
|-
| 2019 || [[ラスト・フル・メジャー 知られざる英雄の真実]]<br />''The Last Full Measure'' || ジミー・バー || 遺作
|-
|}
 
=== テレビシリーズ ===
{| class="wikitable"
|-
!放映年!!邦題<br />原題!!役名!!備考
| [[Hawaii Five-0]]<br />''Hawaii Five-0'' ||ジェシー・ビリングス || テレビシリーズ、シーズン2のエピソード: ''Mea Makamae''
|-
| 2007 || [[ER緊急救命室]]<br />''ER'' || ピアース・タナー || テレビシリーズ、第14シーズン14第10話「300人エピソード: ''300 Patients ''患者」
| rowspan="2" |2015 || [[THE BLACKLIST/ブラックリスト]]<br />''The Blacklist'' || ||テレビシリーズ、シーズン2 #6 <nowiki>''</nowiki>モンバサ・カルテル<nowiki>''</nowiki>
|-
| 2009 || [[カリフォルニケーション]]<br />''Californication'' || 本人 || テレビシリーズ、第3シーズン3のエピソード: ''So Here's the Thing第7話「大事な話... ''
| [[コンテンダー]]<br />''The Runner'' || レイン・プライス ||
|-
|rowspan="2"|2011 || [[CSI:ニューヨーク]]<br />''CSI: NY'' || ビル・ハント || 第7シーズン第20話「絡み合う糸」<br />第7シーズン第21話「17年目の真実」
| 2017 || [[アメリカで最も嫌われた女性]]<br />''The Most Hated Woman in America'' || ボブ・ハリントン牧師 ||
|-
| [[HawaiiHAWAII FiveFIVE-0]]<br />''Hawaii Five-0'' || ジェシー・ビリングス || テレビシリーズ、第2シーズン2のエピソード: ''Mea Makamae''第4話「海に眠る宝」
| 2018 || [[ディア・グランパ 幸せを拾った日]]<br />''Boundaries'' || ジョーイ ||
|-
| rowspan="2" |2015 || [[THE BLACKLIST/ブラックリスト]]<br />''The Blacklist'' || ジェフ・パール ||テレビシリーズ、 第2シーズン2 #6 <nowiki>''</nowiki>話「モンバサ・カルテル<nowiki>''</nowiki>
|}
 
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== 関連項目 ==
*[[ウッドストック・フェスティバル]]
*[[ボブニールディラ]]
*[[グレイトフル・デッド]]
*[[いちご白書]]
199 ⟶ 216行目:
*[[カウンターカルチャー]]
*[[アンダーグラウンド (文化)]]
*[[ジョン・レノン]]
*[[団塊ボーイズ]]
 
== 外部リンク ==
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[[Category:ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム]]
[[Category:ニューヨーク市出身の人物]]
[[Category:肺癌で亡くなった人物]]
[[Category:1940年生]]
[[Category:2019年没]]