「モーリス・メルロー=ポンティ」の版間の差分
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| notable_ideas = 知覚の現象学、匿名の集合、運動的志向性、世界の肉、「知覚する心は身体化された心である」、キアスム、浸透
| influences = [[アンリ・ベルクソン]]、[[オイゲン・フィンク]]、[[マルティン・ハイデッガー]]、[[エトムント・フッサール]]、[[セーレン・キェルケゴール]]、[[クルト・コフカ]]、[[ヴォルフガング・ケーラー]]、[[クロード・レヴィ=ストロース]]、[[カール・マルクス]]、[[フリードリヒ・ニーチェ]]、[[ジャン=ポール・サルトル]]、[[フェルディナン・ド・ソシュール]]など
| influenced = [[デイヴィッド・エイブラム]]、Renaud Barbaras、[[ジュディス・バトラー]]、[[コルネリュウス・カストリアディス]]、Paul Crowther、[[アーサー・ダントー]]、[[ジル・ドゥルーズ]]、[[ヒューバート・ドレイファス]]、James M. Edie、Nader El-Bizri、[[ミシェル・フーコー]]、Amedeo Giorgi、[[グレアム・ハーマン]]、Don Ihde、[[リュス・イリガライ]]、Galen Johnson、Nikolas Kompridis、[[ジャック・ラカン]]、[[ジャン・ラプランシュ]]、[[クロード・ルフォール]]、[[ロン・マクラムロック]]、[[クロード・レヴィ=ストロース]]、[[ジャン=ポール・サルトル]]、[[ジルベール・シモンドン]]、[[エヴァン・トンプソン]]、[[フランシスコ・バレーラ]]、Dalibor Vesely、[[ポール・ヴィリリオ]]など
| signature =
| signature_alt =
| website = <!-- {{URL|example.com}} -->
}}
'''モーリス・メルロー=ポンティ'''(Maurice Merleau-Ponty、[[1908年]][[3月14日]] - [[1961年]][[5月3日]])は、[[フランス]]
[[ロシュフォール (シャラント=マリティーム県)|ロシュフォール]]生まれ。[[パリ]]の自宅で執筆中、[[心臓麻痺]]のため死去。
== 生涯 ==
[[1908年]][[フランス]]の[[ロシュフォール (シャラント=マリティーム県)|ロシュフォール]]に生まれる。18歳のとき[[高等師範学校 (フランス)|高等師範学校]]に入学し、[[ジャン=ポール・サルトル|サルトル]]、[[シモーヌ・ド・ボーヴォワール|ボーヴォワール]]、[[クロード・レヴィ=ストロース|レヴィ=ストロース]]らと知り合う。21歳のとき[[エトムント・フッサール|フッサール]]の講演を聴講し、現象学に傾注する。以後現象学の立場から身体論を構想する。37歳のとき主著『知覚の現象学』を出版するとともに、サルトルと「[[レ・タン・モデルヌ|レ・タン・モデルヌ(現代)]]」誌を発刊する。戦後は[[パリ大学]]文学部教授となり([[1949年]])、[[児童心理学]]・[[教育学]]を研究する一方、[[冷戦]]激戦化の状況の中、[[マルクス主義]]に幻滅し、サルトルとは決別した<ref>『新訂版 倫理用語集 ソフィエ ~智を学び夢を育む~』235ページ、[[清水書院]]</ref>。
メルロ=ポンティは、知覚の主体である身体を主体と客体の両面をもつものとしてとらえ、世界を人間の身体から柔軟に考察することを唱えた。身体から離れて対象を思考するのではなく、身体から生み出された知覚を手がかりに身体そのものと世界を考察した。[[1959年]]、『見えるものと見えないもの』を刊行。[[パリ]]の自宅で執筆中、[[心臓麻痺]]のため[[急逝]]([[1961年]])。
== 思想 ==
{{独自研究|section=1|date=2013年4月}}
たとえば、それまで枯れ木を見たことがない人にとっては、枯れ木を見るだけでは、名前のない枯れ木を「[[現象]]」としてしか知ることができない。「枯れ木」を恒常的に認識できるようになるためには、「枯れ木」という言葉([[記号]])を知る必要がある。
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それは、[[論理実証主義]]哲学、[[分析哲学]]、[[プラグマティズム]]などの<言語が知られている次元>からの哲学に厳しい指摘をしたといえる。そこには多くの哲学の垣根を越える試みが見られ、また、異文化理解や芸術などに大きな影響を与えた。
また、知覚の優位性からの新しい存在論の試みが絶筆となった『見えるものと見えないもの』で見られる。
== 主
:
* ''"La nature de la perception" (1933 - )'' <ref>本書の構成は「Précédé de Projet de travail sur la nature de la perception (1933) - 知覚の本性に関する研究計画」「La nature de la percept
**『知覚の本性 -- 初期論文集』 [[加賀野井秀一]]編訳 * ''"La Structure du comportement" (1942)''
**『行動の構造』 [[日本の哲学者#た|滝浦静雄]]・[[木田元]]共訳 [[みすず書房]](1964)、新版(上下、2014) * ''"[[:en:Phenomenology of Perception|Phénoménologie de la perception]]" (1945)''
**『知覚の現象学 1』 [[竹内芳郎]]・[[加賀乙彦|小木貞孝]]共訳 みすず書房(1967)、のち各・新版 *
*
* ''"Humanisme et terreur, essai sur le problème communiste" (1947)''
**『ヒューマニズムとテロル』 * ''"Sens et non-sens" (1948)''
**『意味と無意味』 [[東京都立新宿高等学校の人物一覧#学問|永戸多喜雄]]訳 [[国文社]](1970)、のち改訂版 * ''"Les aventures de la dialectique" (1955)''
**『弁証法の冒険』 滝浦静雄・木田元・[[田島節夫]]・[[市川浩]]共訳 みすず書房(1972) * ''"Signes" (1960)''
**『シーニュ *
* ''"L’Œil et l’esprit" (1961)''
**『眼と精神』 滝浦静雄・木田元共訳 **『メルロ=ポンティ『眼と精神』を読む』 富松保文編訳注、[[武蔵野美術大学]]出版局(2015)
* ''"Le Visible et l’invisible, suivi de notes de travail", texte établi par Claude Lefort (1964)''
* ''"Résumés de cours, Collège de France 1952-1960" (1968)'' 『言語と自然 - コレージュ・ド・フランス講義要録 - 』 滝浦静雄・木田元共訳 みすず書房(1979)▼
**『見えるものと見えざるもの』 [[クロード・ルフォール]]編、中島盛夫監訳、[[法政大学出版局]]・叢書ウニベルシタス(1994)
* ''"La Prose du monde" (1969)'' 『世界の散文』 滝浦静雄・木田元共訳 みすず書房(1979)▼
**『見えるものと見えないもの』 [[滝浦静雄]]・[[木田元]]共訳 みすず書房(1989)
* ''"Résumés de cours, Collège de France 1952-1960" (1968)''
▲*
== 関連項目 ==
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;メルロー=ポンティに影響を与えた人物
:*[[フェルディナン・ド・ソシュール]]
:*[[ハリー・スタック・サリヴァン]]
:*[[アンリ・ベルクソン]]
:*[[アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド]]
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:*[[クロード・レヴィ=ストロース]] - 雑誌「[[レ・タン・モデルヌ]]」を共に著した。
▲== 脚注 ==
{{reflist}}
== 外部リンク ==
*[[足立和浩]]
*[http://www.merleau.jp/index.html 日本メルロー=ポンティサークル]
*{{SEP|merleau-ponty/|Maurice Merleau-Ponty}}
*{{IEP|merleau|Maurice Merleau-Ponty}}
{{大陸哲学}}
{{Philos-stub}}
{{Academic-bio-stub}}
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