長楽寺 (恵那市)
長楽寺(ちょうらくじ)は、岐阜県恵那市笠置町姫栗にある釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院。山号は安智山。恵那三十三観音霊場29番。
長楽寺 | |
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所在地 | 岐阜県恵那市笠置町姫栗1119-3 |
位置 | 北緯35度28分56.8秒 東経137度21分34.2秒 / 北緯35.482444度 東経137.359500度座標: 北緯35度28分56.8秒 東経137度21分34.2秒 / 北緯35.482444度 東経137.359500度 |
山号 | 安智山 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
本尊 | 釈迦牟尼仏 |
創建年 | 寛文2年(1662年) |
開山 | 龍護寺2世楚山 |
開基 | 遠山景久 |
札所等 | 恵那三十三観音霊場29番 |
法人番号 | 6200005009168 |
雲嶽山 長増寺
元はこの場所には、寛文2年(1662年)に苗木雲林寺4世の玄外宗三により開山された雲嶽山 長増寺が存在していた。
天明6年(1786年)12月、六世の恵文和尚の代に、迎春準備の残火により、寺宝、仏具、仏像、古記録に至るまで悉く灰燼に帰した。
天明7年(1787年)春、姫栗村の庄屋の樋田幸之助の尽力により、縦11間3尺、横7間の庫裡を再建し、さらに文化8年(1811年)に縦9間、横6間の本堂を再建し、文政5年(1822年)に完全に復旧した。
明治3年(1872年)、長増寺は苗木藩の廃仏毀釈政策により廃寺とされ取り壊された。
現在は庫裡と開山の木像、数体の石仏(観世音菩薩・薬師如来・妙見大菩薩)、三界萬霊十萬至聖、大乗妙一字一石塔、境内にある天満宮祠と長増寺の寺号を記した石柱が残るのみである。
境内の西方の堤上にある天満宮祠は、檜皮葺総欅斗拱正本殿造りであるが、天明6年(1786年)に類焼し、寛政10年(1798年)9月の再建である。
長増寺は、姫栗村と毛呂窪村の二村を檀家としていたが、廃寺とされた際に寺産の配分について、姫栗村と毛呂窪村に軋轢を生じ、遂に公儀に出訴した際の訴状が残されている。寺が保有していた山林は椿山神社の所有に移された。本堂は取壊されて薪とされてしまったという。
長増寺8世で住職の珉宗宗琢は廃寺後は還俗して帰農し、名を野田長蔵とし、残った庫裡に居住した。
廃藩置県後の明治4年11月22日(1872年1月2日)、苗木県(旧苗木藩)が岐阜県に吸収され消滅すると、廃仏毀釈が終了したため、野田長蔵は、長増寺の再興を企図して実現に努めたが、一旦廃絶した寺号を容易に復活させることはできないことを知って一旦は断念した。
安智山 長楽寺として再興
野田長蔵は、恵那郡明知町の龍護寺二世の楚山が明知城の北麓に開山した長楽寺が既に廃寺となっていたものの寺号のみが残っていることを知った。
明治14年(1881年)、長増寺の跡地に、長楽寺の寺号を移転するという名目で寺を再興した。
明治17年(1884年)5月、官の許可を得て、妙心寺の直末となった。
明治34年(1904年)5月、梵鐘を鋳造し同時に鐘楼を建設した。
大正12年(1923年)、大般若経600巻を購入。その他、名匠の吉村一山が刻した中興の珉宗宗琢(野田長蔵)の座像をはじめとして仏具・仏画を完備した。
境内
天満宮祠、三界萬霊供養塔、狩猟鳥獣供養塔がある。
関連リンク
参考文献
- 恵那郡教育會『恵那郡史』 p614 1937年
- 笠置村教育会『笠置村誌』第九節 仏閣 143~146P 昭和13年
- 『八百津町史』p219、p220 苗木藩の廃仏毀釈