「高徳寺 (中津川市)」の版間の差分

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この巨岩が蛙の形に似ていたため、蛙薬師(かわずやくし)と呼ばれるようになった。正式には、「蛙薬師瑠璃光如来」と称し、高徳寺の第二本尊である。
 
[[明治]]3年([[1870年]])の[[苗木藩の廃仏毀釈]]の際に壊されて廃棄されたが、現在の蛙薬師は再建されたものである。
== 寶林寺 ==
[[慶長]]19年([[1614年]])に[[苗木藩]]初代藩主の[[遠山友政]]は、[[苗木遠山氏]]の菩提寺を建立することを発願し、帰依していた[[加茂郡]]の[[大仙寺]]([[正伝寺 (岐阜県八百津町)|正傳寺]]という説もある)の維天継縦を開山として招請したが、維天は高齢であったため、代わりに[[武儀郡]]の[[梅龍寺]]8世(加治田[[龍福寺 (岐阜県富加町)|龍福寺]]2世)の夬雲玄孚を推挙した。